奉公先
「千代、清十郎さんから手紙がきているよ。」
家業の手伝いで薬を紙に包んでいると、
母が声をかけてきた。
「…ありがとう。」
千代は手紙を受け取ると、作業を中断して中を見た。
他愛もない内容である。
千代の体調を気遣う文章から始まり、最近の江戸の様子や、玄武館から試衛館に入門した友人の話など、清十郎の周りの近況が記されていた。
(恋文…ではないよなあ)
千代の様子を気にしている母を尻目に、千代は手紙を閉じ、懐にしまった。
返事は後で書こうと、再び作業に戻る。
直接会ったのは、例の奉納試合での一度きりだ。
しかし、その後、江戸の奉公先に戻ったと思われる清十郎から手紙が送られてくるようになり、文通が続いている。
両親には、奉納試合で清十郎と話した内容をそのまま伝えた。
そして、結婚をしたくないわけではないが、まだ乗り気にはなれないこと、そのため、清十郎とのやりとりは自分で直接したいという旨の話をした。
優しい両親である。
本来であれば、無理矢理にでも結婚に持っていきたいところだろうが、
千代の気持ちを尊重してくれると言うのである。
「まあ、もともと一筋縄でいくとは思っていなかったさ。
幸い、向こうさんも急いでいないようだし、お前の気持ちが前向きになるまで待つよ。」
勘次郎は笑った。
「それに、無理矢理事を運んだって、お前のことだ。どうせ大人しく言うことなんか聞かんだろう?」
祝言当日に逃げられでもしたら、そっちの方が困るからな、と勘次郎は付け足した。
(とりあえずは何とかなったけど…)
実家の手伝いをし、道場に通う。
今のところ千代の毎日は平和で、それなりに充実している。
こんな日々が続けばいいのに、と思う一方で、そうはならない未来を、千代は知っていた。
ーーこのままの生活を続けていて、未来は変わるのだろうか?
最近の千代は、そんな不安を常に感じている。
出来上がった薬を風呂敷に包むと、千代は彦五郎宅へと向かった。
***
奉納試合の効果は絶大であった。
試衛館の門下生は一気に増え、彦五郎宅で開かれる稽古に通う人間も増えた。
江戸にある本体の試衛館で稽古の頻度が増えたため、周助はそちらの対応に追われるようになり、
最近の出稽古は、もっぱら勇が取り仕切っている様子である。
いつも通り裏庭に回り、道場で稽古が終わるのを待っていると、ちらほらと見慣れない顔が交じっているのに気がついた。
間も無くすると、勇が、本日はここまで、と解散の合図をした。
みんながバラバラと散っていく中で、真っ先に千代に近づいてくるのは彦五郎である。
「ごめんね千代ちゃん、待たせてしまって。預からせてもらうよ。」
千代はよろしくお願いします、と、持ってきた風呂敷を彦五郎に渡した。
季節の変わり目で風邪が流行っているのか、日野宿に寄る旅人が体調不良の相談にくるといるので、用意をしたものだ。
「それ、何の薬なんですか?」
彦五郎の後ろから、ひょっこりと総司が顔を出した。
「甘草といって、喉の痛みや咳の症状を和らげる薬だよ。」
千代は答える。
そして、時間溯行前、総司にも処方したことがあったな、と思い出した。
甘くて飲みやすい、この薬だけは好きだと、その時の総司は言っていた。
当時、千代が総司と関わりを持つようになったのは、総司が体調不良を理由に、第一線を退いた後である。
千代の師匠である藩医が総司の診察にあたっていたが、途中から前線に立つことが難しくなり、新選組と行動を別にして、江戸で療養に専念することになった。
故にその後のことを、千代は知らない。
「そういえば、千代さん。この前の話ってまだ有効ですか?」
「この前の話?」
「奉公先を探してるっていうやつ。」
そういえば、そんな話を総司にしたな、と思い出した。
「ああうん、まだ決まってないけれど…」
「奉公とはちょっと違うかもしれませんが、もしかしたら紹介できるかもしれなくて。」
「え!?」
藪から棒、寝耳に水、といったところだろうか。
思わぬ話に千代は声を上げた。
「ど…どこ?」
千代の問いに、総司は柄にもなくニヤリと笑った。
「詳細は、明日の稽古終わりでもいいですか?」
「いいけど…」
勿体ぶる理由がよく分からなかったが、千代は了承した。
***
総司に言われた通り、千代は次の日も道場を尋ねた。
久々に周助が稽古に出ている。
稽古が終了すると、周助の隣にいる総司が、手招きで千代を呼んだ。
男ばかりの空間を突っ切るのは少しばかり気が引けたが、身を縮めながらそそくさと総司のいる方に駆け寄った。
「千代さん、例の件、先生から直接ご説明します。」
「周助先生が、奉公先を…?」
千代が周助を見ると、周助は少し困ったように笑った。
「奉公先なんて立派なもんじゃないんだが、よかったら、うちの道場を手伝ってもらえないかと思って。」
「…江戸にある、試衛館のことでしょうか?」
千代が問いかけると、周助は頷いた。
「ああ。そうだ。
近頃、門人と一緒に食客も増えたんだが、うちは妻が別居していて、今のところ勇の嫁しか女手がない。」
食客とは、いわゆる居候である。
剣術を学びながら、その道場に住み込みで雑用をこなす者たちのことを、最近はそう呼ぶらしい。
周助は続けた。
「その嫁が今、身重で里帰りをしようとしているんだが…食客の男どもは、掃除や雑用はまだしも、料理や洗濯といった細かいことが苦手でなあ…
給金は小遣い程度しか出せないが、住み込みで構わないし、千代ちゃんが職を探しているのなら、ぜひうちに来てもらえないかと思ったんだが…」
周助は千代の反応を伺っている。
「お願い千代さん!つねさんが里帰りから戻ってくる間だけでも!」
総司が付け加えた。
勇の妻は、どうやらつねという名前のようだ。
「いえ、私でよければぜひ!」
千代は食い気味で即答した。
試衛館に行けば、勇ーー新選組局長となる男の動向が、間違いなく分かる。
試衛館での手伝いが長引けば、時間溯行前に、千代の医術の師…藩医と出会うきっかけ、そして京に行くきっかけとなった武家屋敷への奉公はできなくなるかもしれない。
しかし、未来を変えるには、勇の身辺を探って、勇や歳三の上洛を阻止するーー新選組の結成を阻止する方向に動いた方が賢明であると思った。
千代の返事を聞いて、周助はホッとしたようである。
「よかった。顔馴染みの千代ちゃんが来てくれるとなると、こちらとしても非常に心強いよ。」
「よかったですねえ先生。これで芯の残ったごはんを食べなくて済みます…」
ああ、本当に。と周助が総司に相槌を打つ。
その食客達とやらは、米すら満足に炊けないのか、と千代は思った。
***
その後、律儀にも、周助は勘次郎に直接話を通してくれた。
最初から勘次郎に、千代を借りたいと頼む選択肢もあっただろう。
先に千代の意向を確認するあたり、周助の人の良さが伺える。
勘次郎も、日頃世話になっている師範の頼みならもちろん、と快諾した。
(江戸かぁ…)
その日の夜、千代が布団に入ろうと着物の帯を解くと、前日に受け取った清十郎からの手紙が懐から落ちた。
(試衛館に行くこと、清十郎さんにも伝えなきゃ…)
手紙の返事を書こうか悩んだが、灯りを燃やすのが勿体無いと思い、明日にしようと考え直す。
人と物に溢れ、活気に満ちた江戸の雰囲気が千代はとても好きだったが、時間溯行をしてから今まで、行く機会がなかった。
浮かれる気持ちがある一方で、少しだけ寂しく思う部分もある。
(歳さんとは、あんまり会えなくなるだろうな。)
現状、特別親しくしているわけではない。
しかし今は、彦五郎の屋敷に行けば顔を見ることができる。今後はそうもいかなくなるだろう。
多摩と江戸は、徒歩だと丸半日かかる距離である。
基本的に試衛館に住み込みになることを踏まえると、やはり休暇を貰わない限り、戻ってくるのは厳しい。
(………)
余計な思考を排除しようと、千代は勢いよく灯りに息を吹きかけ、消した。




