少女の過去【中編】
・・・・・・頼春が逮捕されてから数日後、
「また派手に遊ばれましたね」
姫花を学校まで迎えに来ていた瀧葉が、姫花の姿を見て言う。
そんな瀧葉の出迎えに、
「べつに・・・・」
姫花は素っ気なく答えるだけ・・・・・
綺麗だった髪はぐしゃぐしゃに乱れていて、顔のあちらこちらには小さな傷が付いており、それは遊んだというより、まるで喧嘩した後と言ったほうが正しい姿の姫花。
数日前に見せていた眩しいほどの笑顔はそこになく、不貞腐れたように帰り道を歩く。
頼春が世間を賑わせ始めると同時に、姫花を取り巻く環境は大きく変わった。
学校でいじめられるようになり、周りにいたはずの友達が一人もいなくなってしまった姫花。
だが、負けん気が人一倍強い姫花は、いじめを受けても必死に抵抗し、喧嘩ばかりするようになったのは必然とも言える。
そんな姫花に瀧葉はなにも言わない。ただ、姫花を守るように後ろに付いて歩くだけ。
しばらく歩いていると、唐突に姫花が瀧葉に問いかける。
「ねぇ、お父さんは本当に悪いことをしたのかな?」
この投げかけに瀧葉はどう答えようか迷ったものの、
「姫様は旦那様を疑っておられるのですか?」
出てきたのは気遣いのないストレートな一言。
それに対して姫花はすぐに、
「違うよ!」
語気を強めて否定したが、その表情はすぐに曇る。
「・・・・ただ、友達だった子だけじゃなくて、先生とか大人達もお父さんのことを悪く言うから、私が間違っているのかなって・・・・」
自分だけが取り残されたような、そんな感覚に陥っていた姫花は、自分に対して疑問を覚えていた。
しかし、姫花の不安に瀧葉は優しく声をかけるでもなく、ただただ呆れたように、ため息を一つ返す。
「はぁー・・・・・姫様ともあろうお方が、そんなことで悩んでおられたとは」
「そんなことって・・・・」
瀧葉の予想外の反応に姫花は戸惑うが、瀧葉は構うことなく、
「姫様」
「なに?」
姫花を真っすぐに見つめ、瀧葉は一人の男のことについて話し始める。
「私の父だった男は、独裁的で傲慢なろくでもない男でした」
それは遥か昔、瀧葉が斎藤義龍だった頃の話。
「周囲の話しもろくに聞かず、自分の子供であるはずの私にも冷たかった父でした」
過去を思い出すように話す瀧葉の脳裏には、嫌いだった父の顔、斎藤道三の顔が浮かぶ。
「しかし、そんなろくでもない父でしたが、一つだけ、今も忘れられない言葉があります」
瀧葉はそう言うと、懐かしむように在りし日の思い出を姫花に語り始める。
「義龍よ、お主も儂を憎んでおろう」
稲葉山城の天守閣にて、義龍に背を向けながら問う斎藤道三。
その道三の問いに、片膝を付いて頭を垂れる斎藤義龍が答える。
「滅相もございません」
義龍の声はとても平坦で、否定したその言葉もうわべだけのものだとすぐわかる。
「よい。下手な諂いをするでない」
道三は義龍に対して怒るとかでもなく、
「よいか義龍、儂は誰に疎まれようともこの生き方をやめる気は毛頭ない」
揺らぐことのない、断固とした意志を伝えるが、道三のその固い意志に義龍は賛同ができない。
「お言葉ですが、それでは家臣の者は付いてこられませぬ」
道三の傲慢なやり方に、多くの家臣達が斎藤家から離れている現状を訴えたが、道三はそれを意にも返さず、
「そんなことは百も承知。だがな、儂は神や仏ではなくただの人間なのだ。一人一人の言葉に耳を傾けるなど到底不可能。ならば、強引にでも我を通して引っ張っていく・・・・それが上に立つ者の宿命なのだ」
これが正しいと言わんばかりの主張を述べる道三。
当然ながら、それに納得するはずもない義龍は、不満な表情を隠すことなく、その発言がすでに傲慢なのだと訴えかけるように道三を睨みつけるが、道三は気にしない。
「理解せんでもよい。これは儂自身の考えであり、お主にはお主なりの考えがあるじゃろうからな」
道三はそう言うと、睨んでいる義龍の目を真っすぐに見つめ、そして助言をするかのように告げる。
「だがな、これだけは覚えておくがよい。たとえ信じた覇道が間違っていようとも、決して後悔はせぬこと。これがこの不条理な世の中を生き抜く術なのじゃからな」
姫花に自分の過去を話した瀧葉は、
「父とは考えや性格、すべてにおいて相容れなかったですが、その言葉だけはなぜか、今も忘れずに覚えているのです」
どこか懐かしむような表情を浮かべながらそう言うと、
「ですので姫様」
瀧葉は姫花のほうへと視線を戻し、
「あなたが信じているものがたとえ間違っていようとも、後悔してはなりません。それは、旦那様を想うあなたの気持ちを裏切ることにもなるのですから」
道三の言葉を借りるように、姫花にそう諭す。
だが、瀧葉の言葉も、今の姫花には響かない。
「それは・・・・そうだけど・・・・・」
まだ幼い姫花にとって、今の現状は過酷すぎた。
今まで楽しかったはずの日々が一瞬にして崩れ去る。それは、姫花の精神を大きく不安定にさせるには十分なものだった。
しかし、そんな姫花に瀧葉は優しい声と表情で言う。
「安心してください。私は常に姫様の味方ですので」
まるで、我が子を見守るような目で姫花を見る瀧葉。
すべての人間が敵に見えていた姫花にとって、瀧葉のその言葉はなによりも嬉しかったのか、それとも、その温かい眼差しが、荒んでいた姫花の心を溶かしたのか・・・・・
姫花は一瞬、泣き出しそう表情を浮かべた後に、
「うん!」
溢れんばかりの満面な笑みを浮かべていた。
頼春が逮捕されてから消えていた姫花の笑顔は、瀧葉にとっても希望の光に見えた。