少女の過去【前編】
時計の針の音がやたら大きく聞こえる。
周囲から出る些細な音。それが気になってしまうほど、瀧葉さんが言った内容は不穏さがにじみ出ていた。
「秘書・・・・・もう嫌な予感しかしないですね」
私がそう口にすると、
「多分だけど、これから話すことは、あなたが想像する十倍は気分が悪いものかもね」
瀧葉さんはそんなテンションの下がるようなことをさらりと言う。
そして、瀧葉さんからほぼ強制的に当時のことを聞かされる。
「当時の私は、女中として土岐家に住み込みで働いていたの・・・・・・」
—三年前—
「お帰りなさいませ。旦那様」
大きな屋敷で、一人の人物を出迎るメイド服姿の瀧葉。
瀧葉の視線の先には、この屋敷の主である土岐頼春がいた。
頼春は「うむ」と答えつつ、瀧葉に持っていた鞄を預けると同時に、
「おとーさん!」
後ろから元気な女の子の声が聞こえ、声のしたほうを頼春が見ると、そこにはまだ幼い少女がいた。
土岐・セレスティーナ・姫花。
数年後に斎藤道三を降霊し、その子孫である斎藤奈三を巻き込んだ張本人である。
姫花は頼春を見つけるやいなや、嬉しそうに頼春に抱き着き、頼春も姫花を愛おしそうに抱き上げる。
そんな微笑ましい光景に、優しく声をかける人物が一人。
「おかえりなさい」
土岐・オーロラ・セレスティーナ。
頼春の妻であり、姫花の母親でもある女性。
頼春はセレスティーナに「ただいま」と笑顔で返す。
・・・・・・瀧葉はその光景に笑みを浮かべ、穏やかな表情で見守る。
とても温かく、まさに理想の家族像がそこには描かれていた・・・・・
だが、そんな幸せとも言える時間は、一瞬にして崩れ去る。
「ちょっと待ってくださいよ!」
頼春が知事としての仕事を行う執務室で、一人の男性の怒鳴り声が響き渡る。
それに対応したのは、向かいのソファーに座る、眼鏡をかけた小太りの男。
きらりと光る胸の弁護士バッジから、小太りの男が弁護士だということが見て取れる。
小太りの男は怒鳴り声を上げた男性に、
「いやー、こちらとしても非常に残念です」
突き放すような言葉を投げかけると、
「私も忙しいので、ここで失礼します」
そう言い、席を立って執務室から出ていこうとする。
そんな彼に向って、奥で座っていた頼春が尋ねる。
「一つ聞かせてくれないか」
小太りの男は部屋から出ていこうとした足を止め、頼春に聞き返す。
「なんでしょう?」
頼春は小太りの男の目を真っすぐ捉えて聞く。
「もしかしてだが、君は最初から裏切るつもりだったのか?それとも誰かに買収されたのか?」
頼春の問いかけに、小太りの男は眼鏡をくいっとかけ直すと、
「さあ?どうでしょうか」
含みのある言葉だけを残し、そのまま部屋から出て行った。
「ふぅ・・・・・」
小太りの男が出て行ってすぐに、ため息まじりの息を吐き、疲れた様子を見せる頼春。
椅子の背もたれに背を預け、ゆっくりと目を閉じ、そして考える。
そんな頼春に、この部屋にいたもう一人の人物が声をかける。
「どうしますか?」
その人物は、当時頼春の秘書として働いていた竹中夜半。
夜半は頼春の隣で事の成り行き見守った後、そう頼春に問いかけると、頼春は背もたれから体を起こし、
「・・・・・少し考えさせてくれ」
そう夜半に答えるものの、有効な手立てが思いつかない。
すると、見計らったかのように部屋の外がやたらと騒がしくなる。
「お待ちください!事前に予約をされていない方をお通しすることはできません!」
最初に聞こえてきたのは、執務室の外で受付をしている女性の声。
だが、静止する女性の声を無視するように、執務室の扉が荒々しく開けられる。
「何事だ?」
開けられた扉のほうに視線を向け、そう頼春が受付の女性に聞くが、答えたのは受付の女性ではなく、勝手に入ってきた二人の男性だった。
「岐阜県警の者です」
「岐阜県警?」
入ってきた男性の一人がそう言って、胸ポケットから警察手帳を出すが、なぜ警察が突然来たのかわからない頼春。
だが、男性は頼春の疑問を無視して、一枚の紙を取り出す。
「土岐頼春知事。あなたに公務員横領及び、業務上詐欺などの疑いで逮捕状が出ています」
警察の男性が言った通り、罪状などが記載された紛れもない逮捕状がそこにはあったが、頼春には身に覚えのない罪ばかり。
しかし、現在頼春の頭を悩ませているのはまさにこのことについてだ。
逮捕状に書かれているような罪を犯した覚えのない頼春だったが、なぜかマスコミや報道機関はあったものとして記事にし、大々的に報道されているのが現状。
それを打破する為、さっきの弁護士も然り、あらゆる手を用いて無実の罪を証明しようとした・・・・が、最初は嘘の情報をリークしたとされる人物を名誉棄損で訴えようと、真剣に取り組んでいたはずの弁護士が、先程のやり取りを見てもわかる通り、途中から手の平を返したかのように離れていく。
そして現在、警察までも動き出し、もはや八方塞がりの状態になってしまっている頼春だったが、この一連の流れを見て、一つのことに気が付いた。
「ずいぶんとタイミングが良いものだな」
まるで、最初から計画されたようなこの展開に、頼春は誰かの手が加わっているとしか思えなかった。
だが気付いた時にはもう遅く、頼春の言葉は警察には届かない。
「署までご同行願います」
無慈悲な言葉が頼春に告げられ、頼春はそれ以上はなにも言わず、警察に従って部屋から出ていこうとしたが、
「知事!待ってください!」
弁護士の男に怒鳴り声を上げていた男性が、頼春を呼び止める。
しかし、悔しそうな表情を浮かべる男性に、
「安心しろ。すぐに戻ってくる」
頼春は笑みを浮かべてそう言い残し、部屋から出て行った。
そして、目まぐるしく変化する状況は、頼春が逮捕されたことによって終わりを告げ、時間だけがただ残酷に過ぎ去っていく・・・・・・