奪還作戦【後編】
陽は沈み、辺りがすっかりと暗闇に包まれるも、街中を照らす照明や街灯、さらにはまだ活発に動く人の動きや声。
それによって、夜なのにそこまでの暗さを感じさせない。
時刻は、あと少しで午後七時になるところ。
暗さを感じさせない街中とは打って変わって、廃墟ビルなのか、辺りには片付けられていない廃材や木材が散らばり、周りを照らす明りどころか、人の気配が一切ない屋上で、一人の男が悪態を吐く。
「・・・・・・チッ!なんでわざわざ俺が、あんな小娘の監視をしないといけないんだ」
男は双眼鏡を片手に、忌々しそうに言葉を吐き捨てる。
「こうなったのも全部、あの役所の女のせいだ」
そんな恨み言を呟きながら、双眼鏡を覗く男。
男が双眼鏡で見ていたのは、とある一軒の家。
その家を、苛立った様子で男が見ていると、
「へぇー・・・・・夜でも、ここからなら私の家もよく見えますね」
自分以外誰もいないと思っていたのに、ふいに女性の声が聞こえたものだから、男は驚き、声がしたほうを慌てて向くと、
「なっ⁉」
驚いた男の視線の先には、男と同じように、とある一軒の家、つまりは、自分の家を眺めている、奈三の姿がそこにあった。
突然の奈三の登場に、男は驚きのあまり声を出せずにいると、奈三は視線を自分の家からその男に移し、
「まさか、こんなにも早くまた会うとは思いませんでしたよ」
不敵な笑みを浮かべて奈三が言うと、暗くて見えなかった男の顔が、月明りによって徐々に映し出される。
「・・・・・・は、ははっ」
気まずそうに笑う男の正体は、なんと、ながらの里の園長である白井だった。
「私も、まさかこんなところであなたに会うとは思いませんでしたよ」
さっきまでの悪態が嘘かのように、白井は急遽、穏やかな笑みを取り繕う。
しかし、そんな白井を気にも留めず、奈三はなにかを探すように、屋上の手摺りを触ると、
「いやー、私もね、こんな見事に引っ掛かってくれるとは思いませんでしたよ」
そう言いながら、奈三は小さな機械部品のようなものを手に取ると、
「最近は便利な世の中ですよねー。こんな小さな機械でも、ちゃんと赤外線センサーの役割を果たすんだから」
その小さな機械部品が赤外センサーだと明かすと、取り繕っていた白井の笑みが消え、そんな白井に奈三は尋ねる。
「それで、こんなところで私の家を覗いて、なにをやっていたんですか?」
もし、姫花を監視する人間がいた場合、姫花を引き取ったら必ず、その動向を探ろうとするはずだ。そう予測を立てた奈三は、このビルの屋上がもっとも監視するのに適していると踏んで、あらかじめ赤外線センサーを仕掛けていた。
そんな奈三の策略にまんまとはまってしまい、白井は奈三の問いかけにも黙ってしまうが、
「・・・・・の、覗くなんて人聞きが悪い」
白井はすぐに、消えていた笑みをもう一度貼り付け、
「私はただ、華怜ちゃんが心配で、こうやって様子を見ていただけですよ」
取って付けたかのような言葉を並べる白井に対し、
「それだったら、わざわざこんなところにいないで、直接私の家に来てくださいよ」
奈三がさらに追及するも、
「そうしたかったのは山々なんですが、こんな夜分に訪問するのもご迷惑になると思ったので、こうやって遠くから見守っていたんです」
もっともらしい理由を付け、白井は奈三の追及をかわす。
「・・・・・へぇー、よっぽどあの子のことが心配だったんですね」
「ええ、まあ、そうですね。施設の子達も心配していたので、どういう様子かを教えてあげようかと思って」
白井は心配をする素振りを見せるが、その様子はどこかわざとらしく、そんな白井を奈三はじっと見つめ、二人の間には、妙な沈黙が訪れる・・・・・
だがすぐに、世間話をするかのように、奈三が口を開く。
「そう言えば、知っていますか?最近、まだ幼い少女を使って、非合法な経営をしていた風俗店が摘発されたって話し」
そう言って、奈三は眼下に広がる街の景色に視線を移す。
「怖いですよねー。聞けば、その少女らって、元は児童養護施設に預けられていた子達らしいですよ」
賑わう街の様子を見ながら奈三は言い、白井のほうをちらりと見ると、一瞬、白井の顔が動揺したようにも見えたが、それを隠すかのように、白井はすぐに表情を変え、
「・・・・・・そうですか。そんな恐ろしいことがあったとは」
奈三の言葉に、白井は悲しそうな表情を浮かべるが、奈三の言葉には続きがあった。
「そうですよねー。同じ、児童養護施設を経営されているあなたにとっても、気になる話しじゃないですか?」
そんなふうに聞かれた白井は、
「そう・・・ですね。でも、私のところでは、そんな非人道的な真似はやっていませんから、あまり関係のない話しかと思いますよ」
少し困った表情を浮かべながらも、そんなことはやっていないと、白井ははっきりと否定するが、次に奈三の口から出た言葉に、白井は笑みどころか、表情さえも消え失せた。
「ですよね。だから一応、あなたのところの施設を知り合いに調べてもらったんですよ。そうしたら・・・・・」
そう言って、奈三は調べたことを淡々と述べていく。
「里親の名義が違うのはずなのに、なぜか子供達が同じ人のところに送られていたんですよね。しかも、女の子だけじゃなくて、男の子までも同じところに送られていて、まるで、人身売買の奴隷みたいな扱いを受けていたらしいんですけど・・・・・・これについてはどう思います?」
その問いかけに対し、白井の表情は一切動かない。
だが、一つ間を置いてすぐに、
「まさか、私のところにいた子供達が、そんな扱いを受けていたとは・・・・・・」
消え失せていた表情を、驚きの表情へと塗り替え、白井はそう答える。
「これについては、なにも知らなかったと?」
「ええ。もちろんです。私の役割ははあくまで、子供達と里親を繋ぐ架け橋みたいなものですから、その人を里親として認める最終判断は、市と認定部会が決めているので、私としては、安心して子供達を見送ったつもりだったんですが、子供達がそんな扱いを受けているとは、私も知りませんでした」
初めて聞いたというような、そんな表情を浮かべる白井だったが、コロコロと変わる白井の表情に、奈三は呆れながらも、
「そうですよねぇ。子供のためにある施設で、そんな斡旋みたいなこと、普通しませんよねぇ」
にっこりと笑い、その笑顔を白井に向けると、
「ええ。もちろんですよ」
白井も同じくにっこりと笑って奈三に答える。
「それを聞いて安心しました」
奈三はそう言って、また街のほうへと視線を向けると、これ以上の追及はないと思ったのか、白井もまた、にこにこした表情をさらに深め、街のほうへと視線を向ける。
しかし、白井が安心していた矢先、奈三は思い出したかのように「あ、そうそう」と言うと、
「もう一つだけ聞きたかったんですが」
白井の返事を待たずして、奈三は一枚の写真を取り出す。
「この写真に写っているのって、園長さん、あなたですよね?それと・・・・・」
そう言って、写真に写っている白井を指で差した後、その指を横にゆっくり動かしながら、
「横に写っているこの人・・・・・明らかに一般の人ではないですよね?」
奈三が取り出した写真には、白井ともう一人、男性が一緒に写っていたのだが、奈三はその男性を指で差しながら、白井に問いかける。
白井と一緒に写っていた男性は、人相が悪く、写真からでも近寄りがたい威圧感のようなものが感じられ、俗に言う、ヤクザのような風貌をしていた。
そんな男性と縁のなさそうな白井が、なぜ一緒に写っているのか、奈三が聞くと、にこにこした笑みはどこへ行ったのか、白井は無言のまま。
「こんな強面の人と一緒に、なんで園長さんがいるのかなーって思って、この人のことも調べてみたんですよ。そしたら・・・・・」
なにも言わない白井に構わず、奈三は続ける。
「この人〝蛇龍会〟っていう暴力団組織の人だったってことがわかったんですよ」
押し黙る白井に、奈三は追い打ちをかけるように、さらに言葉を紡ぐ。
「それで、その蛇龍会って名前、どこかで聞いたなぁって思って調べてみたら・・・・・・・なんと驚きなことに、あなたのところから出た子供達が全員、その組織に連れていかれてるんですよね」
奈三はわざとらしく驚きながらも、すぐに白井に向き合い、
「なんでそんな組織の人間とあなたが、こうやって親しそうに写真に写っているのかいるのか、詳しく教えてくれませんか?」
言い訳をする隙さえも与えない奈三の追及。
これだけの証拠が出揃う中、白井がどう反論してくるのか、奈三がその反応を待っていると、
「・・・・・・くっくっく」
唐突に不気味な笑い声を上げ、さっきまでの穏やかな口調とは打って変わり、白井の口調は粗暴なものへと変わる。
「まったく、せっかく順調だったのに、お前や、あの役所の女のせいですべてがおかしくなった」
「おや?否定をしないということは、蛇龍会と園長さんはグルだと思っていいんですか?」
「ああ、そうだ。元々親に捨てられ、救いようのないガキどもを育ててやってるんだ、蛇龍会の奴らに子供を売って、小銭を稼いでも罰は当たらんだろう」
これが本当の姿なのか、白井は悪びれた様子もなく、そんなことを開き直ったように言い放つ。
「・・・・・清々しいほどのクズですね」
「クズ?はっ!クズはあのガキどもを捨てた親のほうだろ!」
奈三の言葉に、白井は吐き捨てるように反論すると、
「俺はクズに捨てられたあのガキどもを、ただ有用活用しただけにすぎん」
まるで、それが正しいことだと言わんばかりの態度で、白井はそんなことを口にするが、その言い分を聞いた奈三は、
「まあ私も、子供が可哀想だとか、そんな綺麗ごとを言うつもりはありませんよ」
ため息を一つ吐き、呆れたように奈三は言った後、
「あなたの言ってることが、正しいか正しくないか、それを論ずる気もないですし、なにより、私にはなんの関係もない話しですから」
その奈三の言葉に、白井は少し驚きを見せる。
てっきり、子供をなんだと思っているとか、そういった偽善めいた言葉が飛んでくると思っていた白井は、
「ふんっ!お前も、なかなかいい性格をしているな」
面白そうに笑った後、
「だったら、なぜ俺のことを嗅ぎまわった?関係がないのなら、そのまま大人しくしていればよかったんじゃないのか?」
白井がそう聞くと、奈三は嫌そうな顔を隠すことなく、
「私だって、こんな厄介ごとに首を突っ込みたくはなかったですよ・・・・・けど、こっちもこっちで、いろいろと事情があるんですよ・・・・・」
そう言いながら、奈三は一緒に憑いてきた道三を見る。
こんな、シリアスな状況の中、能天気に街の景色をキラキラした目で見る道三。
そんな道三に呆れながらも、視線を道三から白井に戻すと、
「正直、あなたがどこでなにをやっていようと、私からしたらどうでもいい話しなんです。私が知りたいのは、あなたの裏にいる人物についてです」
そう言って、奈三はここに来た本当の目的を、白井へと切り出す。
「裏にいる人物?」
「いるでしょ?あなたにあの子を監視するよう命令した黒幕が」
「・・・・・そんなことを知って、どうする気だ?」
「それをあなたに教える気はありませんよ」
奈三の問いかけに、白井は少し黙り込むが、すぐに、
「だったら教えてやるよ。俺の後ろに黒幕なんていないし、それ以上のことをお前が知る必要もない」
そう言って、奈三の言葉を否定した白井は、
「それよりも、お前は自分の心配をしたほうがいいんじゃないか?」
どこか挑発的な目を奈三に向け、
「・・・・・というと?」
「俺がわざわざ、こんなところまで一人で来たと思うか?」
奈三が聞き返すと、白井は奈三を馬鹿にしたように笑う。
「こんな監視なんてまどろっこしいことをするよりも、こわーい奴らを使って脅せば、お前もどうせすぐに、華怜を見捨てるはずだ。そうなれば、あの娘の居場所なんて俺のとこしかないからな。すぐにまたこっち(施設)に戻ってくる」
そう言いながら、白井はおもむろに携帯電話を取り出すと、その携帯電話を耳に当てながら、白井は言う。
「お前も嫌だろ?蛇龍会なんて怖い連中に目を付けられるのは・・・・・今なら、華怜の里親申請を取り下げて、俺のことも黙っているなら許してやるし、怖い目にも遭わずに済むぞ」
勝ち誇ったかのように言う白井だが、奈三は動じない。
「それも、あなたの後ろいる人からの指示ですか?」
「あ?だから、そんな奴なんていないって言ってるだろ」
奈三の問いかけに、白井は苛立ったように答えるが、そんな白井に対し「そうですか」と、奈三は小さく呟くと、
「それにしても、お仲間の人が電話に出ないようですけど、大丈夫ですか?」
一向に電話が繋がらない様子の白井に、奈三がそう尋ねかける。
「チッ!」
図星だったのか、白井は舌打ちをしてから、もう一度電話をかけ直そうとするも、奈三がふいに、こんなことを言い出す。
「そうそう、これも言い忘れていたんですけど、ここに来る途中、家の近くに邪魔そうなゴミが二つほどあったんで、排除しておいたんですけど・・・・・」
呼び出し音だけが虚しく鳴る電話。白井は奈三の言葉に不安を覚えたのか、焦った様子で電話を掛け続けるが、やはり誰も出ない。
そんな白井に奈三は言う。
「もしかして、そのゴミって、園長さんのお仲間だったりします?」
「なっ⁉お、お前、なにをした⁉」
奈三の言葉に焦ったのか、白井は怒鳴るようにして聞くも、奈三は涼しい顔。
「私も馬鹿じゃないんでね、いくつか予想を立てて行動しますよ。そうじゃなかったら、こんなところに丸腰のまま乗り込んだりなんてしませんよ」
まったく繋がらない電話の先では、一体なにがあったのか・・・・・・白井は言い知れぬ不安に襲われ、急に目の前の奈三が、恐ろしい存在へと変わりつつあったが、そんな白井に奈三は尋ねる。
「それでどうします?頼りになるお仲間は来ないようですし、そろそろ終わりにしましょうか?」
一向に繋がらない電話が、奈三の言葉に真実味を出させ、はったりだと、奈三の言葉を完全に否定できなかった白井は、恐怖のせいで判断が鈍ったのか、
「・・・・・な、舐めるな‼」
思考が停止したように、叫びながら奈三に掴みかかろうとしたが、奈三はぼそっと、
「はあー・・・・本当、こんな力仕事やりたくないのに・・・・・」
心底嫌そうに呟いた次には、襲い掛かってきた白井の懐に一瞬でもぐり込み、
「は?」
白井の間の抜けた声が聞こえたが、奈三はかまわず、白井の襟首と腕を掴み、自分よりも一回りか二回りほど大きい白井を、いとも容易く一本背負いで投げ飛ばす。
「がっ‼」
突っ込んできた力も利用したのか、床に叩きつけられた衝撃は尋常ではなく、白井は立ち上がるどころか、息さえもうまくできなくて、しばらく地べたに蹲る。
しかし、背中の痛みが消える間もなく、奈三の影が自分に近付いてきているのに気付いた白井は、
「ひ、ひぃ‼」
情けない声を出しながらも、まだ治まらない痛みを我慢して、奈三から逃れようと、白井は必死に後ろに下がるが、気付けば、屋上の出入り口がある、塔屋の壁まで追い詰められ、白井は慌てて右手を突き出し、奈三を静止させようとする。
「ま、待て‼俺に手を出したら、蛇龍会が黙ってないぞ‼そ、そうなったら、お前もただでは済まなくなるんだぞ‼」
ここに来てもまだ、蛇龍会の名前を使って奈三を脅そうとするが、
「・・・・・正直、蛇龍会なんてどうでもいいんですよ」
「は?」
普通だったら、ヤクザや暴力団といった、危険な組織の名前を使えば、怖がったり、不安になったりするものだと思い込んでいた白井にとって、奈三の言葉は予想外だったが、戸惑う白井を置いて、奈三は溜まりに溜まった愚痴を、ここで吐き出し始める。
「あなたにわかります?普通に暮らしていたのに、突然、得体の知れない亡霊に取り憑かれて、寝ているのにその亡霊が邪魔をしてきたり、静かにしていてほしいのに、その亡霊が横からぺちゃくちゃ喋ってきたりして、プライベートな時間をほぼ奪われる・・・・・そんな拷問のような生活、あなたに想像できますか?」
「な、なにを言っているんだ?」
相当、道三に対する鬱憤が溜まっていたのか、奈三は拳をわなわなと震わせ、日々のストレスを白井にぶちまけるが、当然、なにも知らない白井は、奈三がなにを言っているのかわからず困惑していたが、そんな白井を無視して、奈三の怒りは、徐々にヒートアップしていく。
「そうなったのはどれもこれも・・・・・・あなた達みたいなろくでもない大人が原因なんですよぉぉぉぉ‼」
魂の叫びとも言えるような奈三の叫び声が、屋上という空間にこだまする・・・・・
はあ、はあっと、急に大声を出したせいなのか、息が乱れる奈三。そんな奈三の耳に、無粋な声が届く。
「ワシ、そんなに話しかけてたかのぅ?」
「黙れ」
覚えがないのか、無神経にもそんなことを聞いてくる道三に、奈三は怒りが再燃しそうになるが、なにもわからず、ただ茫然とする白井を見て、
「まあ、あなたにこんなことを言っても仕方がないですけどね・・・・・」
愚痴を吐き出せたことで、多少鬱憤が晴れたのか、それとも、ついつい感情を爆発させてしまった自分を反省したのか、奈三は息を漏らすように言うと、
「それよりも、私が聞きたいのは、あなたの裏にいる人間のことです」
改めて、同じことをもう一度聞く奈三に、
「だ、だから、何度も言っているだろ!そんな人間はいないって!」
白井は変わらず否定するが、白井がいくら否定しようとも、
「いいえ、いますよね。あの子を監視するよう、あなたに命令した人間が」
奈三はそう言うと、白井の目を真っすぐ見据え、確信に迫る名前を出す。
「例えば〝竹中〟という名前の人間とか」
「なっ⁉」
白井は明らかに動揺した様子を見せ、
「し、知らん‼竹中知事なんて、俺は知らない!」
慌てたように、知らないと言い切るが、
「おや?竹中っていう名前を言っただけで、誰も竹中知事なんて、一言も言ってませんよ?」
「っ・・・・‼そ、それは・・・・・」
奈三の指摘に、自分で墓穴を掘ったことに気付いた白井は、言葉を詰まらせる。
その白井の様子を見て、竹中夜半が裏にいると確信した奈三は、
「まあ、これ以上あなたに聞いても、大したことは聞けなさそうですね」
興味がなくなったかのように、それ以上のことは聞かず、その代わりに、
「それに・・・・明日になったらあなたは晴れて、追われる身になっているでしょうから」
「は?」
「だって、あなたが今までやってきたことを文章化して、警察とマスコミに送っちゃいましたから」
「なっ‼」
あっけらかんとした様子で言う奈三とは対照的に、白井の顔は絶望に包まれる。
「明日になったら大変でしょうねー。子供達を守るためにあるはずの施設で、そんな非人道的な行いをしていたとなれば、あなたのところの施設は勿論のこと、それを認可していた市役所にだって、警察やマスコミが押し寄せるでしょうから、それこそ、あなたが恐れている竹中知事が矢面に立たされるかもしれませんね」
まるで、他人事のように言う奈三。そんな奈三の言葉を聞きながら、白井は茫然自失。
もはや、それらを止めることのできない白井は、力なくその場にへたり込み、このまま決着が付くと思われたが、
「ふ・・・・・・ふざけるなあああああ‼」
最後の足掻きと言わんばかりに、白井は近くにあった角材を手に取ると、奈三の頭部めがけて、手に取った角材を振り下ろす。
・・・・・が、角材は奈三の頭に直撃するよりも早く、バキリと鈍い音を立ててへし折られ、
「は?」
急に砕け散った角材を見て、白井は状況が飲み込めずにいたが、混乱する白井に、奈三が答えを告げる。
「ほんと、便利な世の中ですよねー。こんなものが普通に買えるんですから」
銀色に輝くメリケンサック。いつの間に装着していたのか、奈三は自分の手にはめたそのメリケンサックを白井に見せつけ、見せつけられた白井は、そこで理解する。
角材は経年劣化とかで折れたのはなく、奈三の手によってへし折られたんだ・・・・・そう理解するとともに、その事実が白井をさらに怯えさせ、恐怖で足がすくんだのか、その場に尻もちをついてしまった白井は「ひぃッ‼」と、情けない声を上げながら、
「ま、待ってくれ!俺はただ、命令されただけなんだ!」
必死に訴えかける白井。
「お前達に手を出そうとしたことが気に入らなかったら謝る。だから、許してくれ!」
なりふりかまわなくなったのか、白井は土下座までして、奈三に許しを許しを乞おとしたが、今さら奈三には通じない。
「べつに、私はなにもされていないので、謝らなくてもいいですよ」
さっきまでの威勢はどこに行ったのか、情けなく土下座をする白井に、奈三が呆れながらそう言うと、その奈三の言葉を都合よく解釈したのか、
「じゃ、じゃあ・・・・・」
奈三に許されたと思い込んでしまった白井は、微かな笑みを浮かべる。
だが、それは早くこの恐怖から逃れたいという、白井の希望的観測に過ぎず、腰が抜けて、いまだに立てないでいる白井のもとまで、奈三はゆっくりと歩み寄り、
「謝るなら・・・・・・」
メリケンサックがついた拳を振り上げると、
「あなたに売られた、子供達に謝ってください」
「ま、待って———」
白井の声を振り切るように、奈三の拳は問答無用で振り抜かれ、なにかが砕ける音が辺りに響く。
動かなくなった両者。しばしの静寂の後、奈三の呆れたような声が、その静寂を引き裂いた。
「・・・・・威力が高すぎて、使い物にならないわね」
そう言った、奈三の拳の先をよく見てみると、そこにはひび割れた塔屋の壁が映り込む。
奈三の拳は、コンクリートでできた固い壁に傷はつけていたが、白井に対しては、拳が頭をかすめただけ。
しかし、殴られたと錯覚したのか、それとも、恐怖が頂点に達したのか、白目をむいて、その場で白井は気絶をしてしまう。
そんな白井をよそに、ひび割れた壁を見た奈三は、はめていたメリケンサックを外すと、そのままメリケンサックを地面に投げ捨てる。
「ふむ。現代の隠し武器も、なかなかやるではないか」
地面に落ちたメリケンサックを、道三は興味津々といった様子で見ながら、
「しかし、お主が武術を嗜んでるとは意外じゃな」
白井を一本背負いで投げたことや、今まで奈三が見せた体捌きを見て、道三が予想外だという感想を口にすると、
「・・・・・昔にやらされただけよ」
過去に嫌なことがあったのか、奈三は不機嫌そう顔で言うと、それ以上のことはなにも言わず、そんな奈三を見て、気を使ったのかどうかはわからないけど、道三はそれ以上は聞かなかったが、代わりに、
「して、この男はどうするんじゃ?」
意識を失って倒れる白井について、奈三に尋ねてみると、奈三は白井を一瞥してから、
「このままほっといても、べつに問題はないでしょ」
さっきまで続いていた緊張感で疲れたのか、奈三は気怠そうに答えるのみ・・・・
こうして、突如発生した奈三と白井の争いは、闇夜に紛れるかのようにひっそりと幕を閉じたが、闇を切り裂く夜空の月が、奈三を見守るように、煌々と輝き続けていたのだった。




