少女の過去【後編】
少しだけ元気を取り戻した姫花を連れ、瀧葉は土岐家の屋敷へと帰ってきていた。
屋敷を囲む塀は以前と違って、スプレーで書かれた落書きや暴言、さらには頼春を誹謗中傷するようなビラがところ狭しと貼られ、以前のような格式の高い雰囲気がなくなり、まるで寂れた屋敷に成り果てた土岐家の中に二人は入っていく。
広い庭を通り、玄関のドアノブを掴んだ瀧葉は、一つの違和感を覚えた。
「どうしたの?」
急に動きが止まった瀧葉に、姫花が不思議そうに聞くと、
「姫様、少しここで待っていてください」
「え?」
瀧葉は姫花のほうへと向きなおし、
「どうやら、中に姫様が嫌いな大きな虫が湧いたようなので、私が先に行って追い払ってきます」
なるべく姫花を不安にさせないよう、瀧葉は冗談まじりにそう言うが、子供というのは案外、大人の些細な変化にも気付けるようで、姫花の顔が不安気なものへと変わる。
しかし、姫花は瀧葉を困らせたくなかったのか、
「・・・・・うん。わかった」
不安そうな表情は消えなかったものの、瀧葉の言葉に従うことにした。
そんな姫花の不安をなるべく取り除こうと、
「安心してください。すぐに戻ってきますので」
瀧葉は優しい笑みを浮かながら言い、一人で屋敷の中へと入っていく。
静まり返った長い廊下。
見慣れているはずの景色なのに、なぜか緊張感が漂う。
瀧葉はその長い廊下を慎重に進み、大広間がある扉の前に来た。
扉のドアノブを掴み、警戒をしながら扉をゆっくりと開けた瞬間、瀧葉は大声で叫んでいた。
「旦那様!!」
大広間にいたのは、黒いスーツを着た見知らぬガラの悪い四人の男。
そして、その男達に囲まれるように、逮捕されていたはずの頼春とその頼春を心配そうに見つめるセレスティーナがそこにはいた。
しかし、よく見ると、頼春の顔にはところどころ殴られたような痕があり、その四人の男達に殴られたのだとすぐに理解できた瀧葉は、すぐに頼春のもとへと駆け付けたかったが、邪魔をするように男達が立ち塞がる。
「この家になにか御用ですか?」
丁寧な口調で聞いてはいるが、瀧葉の目は怒りに満ちていた。
それに対して、四人の男のうち二人の男が顔を見合わせた後に、
「それは言えねぇなぁ」
一人の男が馬鹿にするような笑みを浮かべ、瀧葉に言う。
そんなふうに言われた瀧葉だったが、とくに怒った様子を見せることなく、
「そうですか」
そう一言呟くと同時に、ダンッと大きな音を立てて床を蹴ると、一瞬で馬鹿にするような笑みを浮かべていた男の懐に入り込む瀧葉。
「へ?」
瀧葉の動きが速すぎて、反応が遅れた男が間の抜けた声を出した次には、瀧葉の拳が男の顎を鋭く射貫く。
鈍い打撃音が響き、男はそのまま意識を失ったかのように床に倒れ、さっきまで顔を見合わせ、一緒に笑っていた男は、一瞬、目の前でなにが起こったのか理解が追い付けずにいたが、床に倒れた男を見てやっと、理解が追い付く。
「てめぇ!」
理解が追い付くとともに、すぐさま瀧葉に殴りかかるが、瀧葉の肘が男のお腹に鋭く突き刺さり、苦しそうに声を漏らしながら男は倒れ、残った二人の男も反撃しようとしたが、瀧葉の回し蹴りによって意識を刈り取られる。
まさに一瞬の出来事ではあったが、瀧葉は一呼吸してすぐに、
「旦那様、奥様」
頼春とセレスティーナのもとへと駆け付けた。
「ご無事ですか?」
「すまない。助かった」
顔を腫らし、痛々しい様子の頼春は、疲れた表情を浮かべていたが、それ以外はとくに目立った怪我もなく、
「いえ、ご無事ならそれでいいです」
瀧葉は胸を撫でおろしつつも、
「この無礼者共は何者なのですか?」
倒れている男達を見ながら頼春に尋ねてみると、頼春は少し渋い顔を見せつつも答える。
「おそらく、蛇龍会の連中だ」
「蛇龍会?」
「最近になって勢力を伸ばし始めた反社会勢力だ」
「どうしてそんな連中がここへ?」
今まで黒い噂もなかった頼春のところに、なぜそんな物騒な集団が現れたのか、瀧葉は皆目見当も付かなかったが、
「いや、大体の見当は付いている」
頼春には一つだけ心当たりがあった。
「目的はおそらく姫花だ」
それは、この集団とは決して接点がないはずの姫花。その姫花が目的だと推察する頼春だったが、瀧葉は姫花とこの野蛮な連中がどう紐づくのかわからなかった。
だが、そこですぐに思い出す。
「姫様が・・・・・・・はっ!」
玄関先で姫花を待たせていることを思い出した瀧葉は、頼春の話しを聞いてなんだか嫌な予感がし、慌てて姫花を迎えに行こうとしたが、それは一歩遅かった。
「おやおや、もう終わっていると思って来てみれば、めんどくさい事態になっていますね」
コツコツコツと、足音を響かせながら、新たに一人の男が姿を見せる。
白い髪に白いスーツを身に着ける男の表情は笑顔。
しかし、目を瞑っているんじゃないかと思えるほど、細い目をした男の顔は、感情がまったく読み取れない。
そして、その男の脇に抱えられていたのは、今にも泣き出しそうな姫花の姿。
「「姫花!」」
頼春とセレスティーナは悲鳴にも近い声で我が子の名を叫び、
「お父さん!お母さん!」
姫花は両親に助けを願うように叫ぶ。
白スーツの男の言動や行動から、倒れている四人の男の仲間なんだろうということは容易に想像できたが、その四人とは雰囲気がまったく違う。
一見、笑顔で爽やかそうな青年のようにも見えるが、醸し出す気配はぞっとするような殺気の塊。
そんな緊迫した状況の中、瀧葉は冷静な口調で男に求めかける。
「姫様を・・・・その子を離してもらえませんか?」
「うーん、それはできない相談ですねぇ。私達もこの子に用があるので」
姫花を離せという瀧葉の要求に対し、男は感情が読めない笑顔のまま要求を拒む。
すると、瀧葉は一つ息を吸い、
「下種が」
男を罵る言葉吐き出した直後、ダンッと床を蹴った次には、宙に舞う瀧葉の姿がそこにあった。
そして、勢いそのままに、瀧葉の蹴りが男の顔目掛けて繰り出される。
ドゴッ、という鈍い音が辺りに響き、瀧葉の蹴りは男の顔に命中したかと思われたが、寸前のところで男の片腕が蹴りを防いでいた。
しかし、蹴りが不発に終わっても、瀧葉は力を緩めない。
ギチギチッという音を鳴らしながら、攻防する二人だったが、
「足癖の悪いメイドさんだ・・・・・なッ!!」
白スーツの男が瀧葉の足を力で振り払うと同時に、鋭い拳を瀧葉の腹部に叩き込む。
「がッ!」
痛みと腹部を殴打された苦しみで、短い呻き声を漏らしながら後ろへと吹き飛ぶも、なんとか体制を維持して床に着地する。
ただ、受けたダメージが強かったようで、瀧葉は殴られたお腹を押さえ、立ち上がることさえままならない。
そんな瀧葉とは対照的に、白スーツの男は瀧葉に反撃をするわけでもなく、蹴りを防いだ自分の手を見ながらぼそっと呟く。
「へぇー・・・・やりますねぇ」
感心したように呟き、瀧葉に視線を向け、
「わざとその子を抱えていたほうを攻撃して、私から解放するとは・・・・・」
褒めるような言葉を瀧葉に送るが、その視線は瀧葉を通り越し、後ろで解放された喜びで抱きしめ合うセレスティーナと姫花、そして安心したような表情を浮かべる頼春の姿が映っていた。
瀧葉からしたら攻撃を防がれたとしても、姫花を掴んでいた腕を無効化し、姫花を解放すれば御の字。もし攻撃が命中したのであれば、相手が怯んだ隙に姫花を解放すればいい。
男の言う通り、どっちに転んでも良いように、瀧葉は姫花を守ることだけを念頭に置いて行動し、見事に姫花を男の手から離すことに成功した。
その瀧葉行動と起点に、ここで初めて、男が感情を露にする。
「とても厄介だ」
そう言いながら見開かれた目には狂気に満ちた殺意。
さっきまで感情が見えなかった分、その恐ろしさは離れていた姫花とセレスティーナにも届いてしまう。
白スーツの男の殺気によって固まってしまう姫花とセレスティーナだったが、二人を庇うようにして頼春が前に立つ。
「お前達の目的はうちの娘だということはわかった」
これ以上の敵意が二人に向かないよう、頼春は白スーツの男に話しを持ち掛ける。
「お金が欲しいならいくらでも渡そう。この家も引き払う・・・・・だから、これ以上この子に怖い思いをさせないでくれ」
どれだけ奪われようとも、姫花とセレスティーナが無事ならそれで構わない。
そう決断した頼春からの交渉。しかし、
「うーん、私としてはとても魅力的な提案なんですけどねぇ・・・・こちらのクライアントが納得しないと思うので、それは却下ですね」
白スーツの男は残念そうな表情を浮かべながら言うが、男の口から出たクライアントという第三者の存在を聞き、頼春は確信した。
「・・・・・・やはり、夜半か」
「おや?もう気付かれていたんですね」
「当然だ。姫花を狙うということは、お前達の本当の目的は私の私室にある金庫だとすぐにわかった」
今まで関わりのなかった連中がなぜ姫花を狙うのか、その先になにがあるのかと辿った時、脳裏に真っ先に浮かんだのは夜半の顔。
逮捕され、取り調べを受けている際も疑惑に近いものを感じていたが、その金庫を開けるキーになっているのが姫花だと知っているのも、自分以外だと夜半だけになり、自ずと今回の黒幕がはっきりした。
「そして、その金庫を狙う人物は一人しかいない」
頼春は確信をもって問いただすと、
「・・・・・くっくっく、いやーご明察。まさかそこまでわかっているとは」
笑っているのを隠すように、白スーツの男は顔を手で覆い、嘲るような言い方をすると、
「あなたの言う通り、私どもの目的はその金庫でしてねぇ。こちらに従っていただければ、これ以上その子にも怖い思いはさせませんよ」
白々しい様子を見せながら、頼春に要求するも、
「・・・・・下手な嘘を吐くな」
頼春はすべてを悟っていた。
「なぜこのタイミングで保釈されたのか謎だったが、お前たちが来たことで理解した」
白スーツの男を真っすぐ見据え、
「すべての罪を私に着せるため私は保釈されたのだろう。だったら、この後に起こることも大体想像ができる」
素直に従ったとしても、悲惨な結末は免れないことを予期した頼春。
それに対して、
「あらあら、まさかそこまでわかっているんですねぇ」
肯定とも取れることを言う男は、
「うーん、こちらもあまり手荒な真似はしたくないんですけどねぇ」
悩むふりをしながらも、醸し出す殺気をさらに強くする。
瀧葉は男を止めようと動こうとしたが、足に力が入らず立てないでいると、頼春が白スーツの男のほうへと近づいていく。
「旦那様!」
頼春を慌てて瀧葉が呼び止めるも、
「瀧葉、すまないが妻と娘を連れて逃げてくれ」
こちらを振り向くことなく、瀧葉にその一言だけを残し、白スーツの男に立ち向かおうとするが、瀧葉はそれを良しとせず、
「いえ、旦那様を置いていくことはできません。私も戦います」
自分も戦う意思があることを表明するが、頼春は顔だけをこちらに向け笑みを浮かべる。
「無理はするな。万全だった頃のお前ならなんとかなったかもしれないが、今のお前ではあの男は手に余るだろう?」
誰にも悟られまいと、隠していた体の不調を見抜かれていたことに瀧葉は驚いた。
「・・・・気付いていらっしゃったんですね」
と同時に、肝心な時に役に立てない自分の不甲斐なさに、瀧葉は情けなさを感じたが、頼春は瀧葉を心から信頼していた。
「妻と娘を頼んだ」
それは覚悟を決めた頼春からの命。その覚悟に対して瀧葉は言葉を紡げなかった。
「・・・・・・ッ!かしこまりました」
悔しさを滲ませながらも、その命を受け入れた瀧葉は、立つことすらままらなかった足に最後の力をこめて走り出す。
そして、姫花とセレスティーナを強引に担ぎ上げると、
「あなた!」
「お父さん!」
必死に頼春を呼ぶセレスティーナと姫花の声を背に、瀧葉は窓ガラスを割りながらも、広間からの脱出になんとか成功した。
その行動をただ見ていた白スーツの男。
慌てて追いかけるでもなく、
「無駄な足掻きはやめてほしいんですけどねぇ」
ただめんどくさそうに呟くと、追い詰められているはずの頼春が笑みを浮かべて言う。
「ふっ・・・・・お前を一秒でも足止めできればそれで十分だ」
広間から出た瀧葉は姫花を抱きかかえ、セレスティーナとともに土岐家の裏手にある山の中を走っていた。
「はっはっはっは・・・・!」
荒い息を吐きながら、日が沈んで暗くなった森の中を、なんとか気力だけで走り続けていたが、それも限界が近付いていた。
「奥様!」
瀧葉が振り返って呼びかけた先には、木に寄りかかるように手を付いて、息を切らしたセレスティーナの姿。
「情けないわね。ここまで体力がないなんて・・・・・」
自分の体力のなさを嘆くセレスティーナに、
「少しここで休みましょう」
瀧葉がそう提案するも、森の奥のほうから「見つかったか!」「こっちにはいねぇ!」といった怒号にも似た野太い声が響き渡る。
その声を聞いたセレスティーナは、諦めたような表情で、
「どうやら休む暇も与えられないみたいね」
そう言いながら息を整えると、
「私を置いて先に行って」
瀧葉に笑みを向ける。
しかし、頼春の覚悟を無駄にするようなセレスティーナの言葉は、瀧葉にとって到底受け入れられるものではなく、
「それはできません!あなたと姫様は私が命に代えてもお守りします」
姫花とセレスティーナ、この二人を助ける術がなにかないかと必死で模索するが、瀧葉の足を見たセレスティーナは、
「お願い。これ以上私を足手まといにさせないで」
悲しそうな表情を浮かべ、瀧葉にそう告げる。
瀧葉の足は傷だらけになっており、出血した痕も見られ、もはや立っていられるのも不思議なほどにボロボロな状態だった。
すると、瀧葉に抱きかかえられていた姫花が、心配そうにセレスティーナへと声をかける。
「・・・・・お母さん」
セレスティーナは心配そうに自分のことを見る姫花の頬にそっと手を添え、
「姫花。これから先の未来、あなたにつらい思いをさせるかもしれない。本当にごめんね」
なるべく不安にさせまいと、優しく微笑むが、
「お母さんも一緒だよね?」
姫花は今にも泣きそうな、それでいて心配をかけないよう必死に笑顔を作り、セレスティーナにそう問いかける。
その姫花の健気さに、セレスティーナは涙が溢れそうになったが、ぐっと堪え、
「お母さんはこれから悪い人を退治しないといけないの。でも、あなたはとても強い子。私がいなくなってもしっかり生きていけるはずよ」
子供だってわかるような嘘を吐きながら、セレスティーナは姫花に言い聞かす。
「嫌だよ!お母さんも一緒に行くの!」
当然ながら姫花はそれに反抗し、必死にセレスティーナと一緒にいたいと叫ぶが、
「しっかりしなさい!」
セレスティーナは心を鬼にして姫花を叱りつけ、そしてすぐに優しい表情を浮かべて言う。
「あなたはれっきとした土岐家の子。歴代の土岐家の子達は挫けず戦い続けた。だからあなたも、挫けることなく生きていきなさい」
土岐家の子としての教えを説き、最後に、
「姫花・・・・・愛してるわ」
慈愛に満ちた表情で、姫花にそう告げた後、
「あとはお願い」
セレスティーナは瀧葉に託すように言い、
「・・・・かしこまりましたッ」
託された瀧葉は、無力な自分に怒りを覚えるも、出てきたのは絞り出すような返事だけ・・・・
そして、瀧葉は姫花を抱えたまま再び走り出す。
「お母さんッ!嫌だよッ!お母さん!!」
身を乗り出すようにして必死に叫ぶ姫花、その姫花を落とさないよう必死に抱き抱える瀧葉、その二人の姿が遠ざかっていくのを名残惜しそうに見つめるセレスティーナ。
姫花を守るためにした自分の決断に後悔はなかったが、もう姫花に会えないんじゃないかと思うと、やはり寂しさは残る。
そんなセレスティーナの後ろから、無粋な声がかけられる。
「やれやれ、こちらもなにかと忙しいので、あまり手間をかけさせないでほしいんでけどねぇ」
そこに現れたのは白スーツの男。
めんどくさそうな口調でセレスティーナに声をかけると、
「あら?手間だと思われているなら光栄ね」
さっきとは打って変わって、セレスティーナは挑発するよな言葉を男に投げかける。
すると、白スーツの男は胸のポケットから一丁の拳銃を取り出し、
「あなたを人質にして、こちらにおびき寄せるという手もありますが?」
セレスティーナに銃口を突き付けながら笑う。
しかし、そんな状況でもセレスティーナの表情は崩れることはない。
「私に人質の価値なんてないわよ。だって・・・・・」
怯えることなく、セレスティーナは笑顔のまま白スーツの男に言ってのける。
「私の命に代えてでも、あの子を守るって決めているから」
そのセレスティーナの笑顔に、男は笑っていた顔を引っ込め、
「・・・・・それは残念ですねぇ」
そう言いながら、無表情になった顔のまま引き金に力を入れる。
静寂に満ちた森の中を、銃声の音が切り裂く。
その音は瀧葉の耳にも届き、
「くっ・・・・・!」
音が聞こえたと同時に、すべてを悟った瀧葉は唇を噛みしめる。
そして、姫花もまたその音がなにを意味するのか理解し、
「お母さんッ!!」
感情を爆発させるように泣き叫ぶが、暗い森林の中、母を呼ぶ姫花の叫び声はむなしく響き渡るだけ・・・・
この日、まだ幼い姫花を残し、土岐家は滅亡した。




