第20話 食卓にはパンと肉、それに悪巧みを少々 その一
もう深夜と呼べる時間帯だったので少し心配していたのだが、まだ白音たちの泊まる宿には煌々と明かりが灯されていた。
そこは厩を備えた高級宿ではあるものの、夜はご多分に漏れず一階を酒場として解放している。
おかげでまだそこそこの客で賑わい、まるで彼女たちの帰りを待っていてくれたみたいだった。
酔客のほとんどは人族だろう。
『召喚英雄向けの美味しいホテル料理を、人族の手にも届くリーズナブルな価格で提供する』というなかなかしたたかなコンセプトが見え隠れしている。
大魔道が仲間に加わったので、白音はもうひと部屋用意してもらおうとフロントに掛け合った。
しかし残念ながら二階の宿泊施設は既に全部屋埋まっていると言われてしまった。
フロント係が「ご要望に添えず誠に申し訳ございません」と流暢な日本語で謝って深々と頭を下げる。
「わたしは外で大丈夫です。白音様の馬の番をしています」
大魔道はそんな風に言ったものの、少し肩を落として寂しそうに見える。
さすがにこの寒空に厩で寝るのは厳しいだろう。
「いえ、別に同じ部屋でいいわよ。空いてないんだし仕方ないわ」
白音が大して躊躇する様子もなく、あっさり決断した。
「いいのですかっ!!」
鉄兜越しでも大魔道が喜んで、いや興奮しているのが伝わってくる。
「ねねね、姐さん?! 何をっ?!」
慌てるいつきを、しかし白音は宥める。
「いつきちゃん、残念だけどね、道士は転移魔法が使えるのよ。転移魔法があるのに、距離とか、壁とか、扉とか、もう意味なんてないのよ。だったら快適に過ごした方が理に適ってるわ。でも道士、変なことは絶対にしないでね?」
「もちろんです。承知いたしております」
そう言いながら大魔道がまた懲りずに手を取ろうとしたので、今度は白音も避けた。
「ね、姐さん……。僕、不安しかないんすけど…………」
白音たちは宿に預けていた二頭の馬の様子を見に行き、それから遅い夕食を取ることにした。
一行の見た目の怪しさは、既にいつきが幻覚で誤魔化している。
最初は大魔道の鉄兜だけ脱がせて、いつきの思う『セクハラ大魔道』のイメージを具現化しようと考えた。
しかしそれだと、エロそうなおじさんと一緒にいる自分たちがなんだか訳ありにしか見えない。
そこで大魔道を美少女に魔改造してしまっている。
ちびそらの方は何に見せかけてもサイズ的にどうしても怪しくなる。
そのためいっそのこと周囲からは認識できなくしてしまった。
透明人間のようになっているため、少々無茶をしても気づかれることはないだろう
端から見れば四人の少女が何事もなく食事を楽しんでいることになっている。
見た目ですぐに召喚英雄だと分かるだろうから、深夜に女の子ばかりでも危ない目に遭うことはあるまい。
夕食を取りながら情報交換を行い、今後の行動方針を立てることにする。
大魔道は食事中でも兜を脱ぐ気はないようだった。
転移魔法を駆使して器用に食事を口に運んでいる。
多分食事専用に高精度な術式がわざわざ組まれている。
前世から使っていたものだ。
「セク……、道士は髪の毛とか取られてないの?」
「街に入る時の審査ですね。揉め事を起こしたくはなかったので、大人しく差し出しました。市民権を手に入れてから街の調査をするつもりでしたし」
白音が日本語で尋ねると、大魔道からも日本語で返事が返ってきた。
前世では専ら魔族語で会話していたのだが、魔族語を母語とする白音からすれば、大魔道にはすこし訛りがあったように思う。
今の白音が聞いた印象では、大魔道は日本語が一番得意なのだろうと感じる。
ネイティブレベルという奴だ。
次に得意なのが魔族語だろう。
人族語ももちろん流暢に操ってはいるが比較的不得手で、そこは白音と同じだ。
「……じゃあ道士は弱み握られちゃってるのね。あの髪の毛って、召喚英雄の力を奪うのに使えるかもしれないのよ」
「それはご心配には及びません。後ですぐに取り返しました」
大魔道が兜の前に小さな転移魔法陣を造り出し、そこに夕食を放り込んでいる。
多分口の中に転移しているはずだ。
「ああ、転移魔法が使えれば簡単かぁ……。でも髪の毛を何に使うのか知ってたの?」
「確信はございませんでしたが、魔力を奪う類いの予防措置ではないかと予想はしていました。何しろあの術の原型を創ったのはわたしですので」
「ん……?」
「はい?」
つまりリンクスを現世界へと送り届けた時に、召喚英雄を無力化する術式を開発して持たせたのはこの大魔道なのだろう。
「もう……」
「どうかされましたか?」
「いえ。まあ、いいわよ。……それより、佳奈たちはどうなんだろう……? やっぱり髪の毛、握られちゃってるのかな」
それで髪の毛を自由にできる立場の人間が佳奈たちをいいように使っている、という可能性が考えられるかもしれない。
「佳奈さんとは、ヤヌルさんのことですか? あの赤い魔法少女の」
大魔道が尋ねた。
彼はほんの短い間だったとは言え、佳奈とは警備隊の同僚だった。
だから名前を知っていたのだろう。
「ええ、そう。道士は佳奈から何か聞いてない?」
「彼女なら髪の毛を取られたと言っておられましたよ」
「知ってたんなら一緒に取り返してくれれば……!!」
思わず白音の声が大きくなってしまった。
しかし言ってしまってから白音も、それは無茶だと思った。
大魔道にとっては見ず知らずの召喚英雄である。
危険を冒して助ける理由などどこにもない。
「いえ、ついでに破棄しておきましたよ。彼女もそれを後悔しておられましたので」
「え?」
「わたしは女の子の味方ですから」
「道士っ!?」
白音は感謝して、自分の方から大魔道の手を取った。
大魔道の鉄兜から妙な雑音がざりざりと鳴った。
中の人が白音に手を取られて興奮しているらしい。
多分言葉にならない言葉を発したのだろう。
それで上手く変換しきれなかったのだ。
「ャ、ヤヌルさんは莉美、そら、という方と一緒にこの街へ来たとおっしゃられていました」
「!!」
「髪の毛を破棄したと伝えると、感謝されました。しかしそのおふたりとは普段会えないようにされていて、特に莉美さんはどこにいるのかも分からない。だから迂闊には動けない、とも言っておられました」
白音が大魔道の手をきゅうっと握って感謝に震えている。
「でゃ…………、ですので何か手助けができればと、莉美さん、そらさんの髪も見つけて廃棄しておきました。同時期に採取された髪の毛は、同じところに分類して保管されているみたいでしたね」
「道士、道士、道士!! 本当にありがとう」
白音が大魔道の手を両手で包み込むようにして自分の方へ引き寄せる。
すると鉄兜が、
[ガリガリガリ、ブツッ!]
と大きな音を立てた。
音響機器が壊れた時のような音だった。
大魔道が変声魔法の限界を振り切るほどの快哉を叫んだに違いない。
大きな音だったので食堂中の注目を集めてしまった。
白音は慌てて手を放して立ち上がると、ばつが悪そうに周囲に頭を下げる。
大魔道はしばしの間、そんな白音の滑らかな手を名残惜しそうに見つめていた。
酔客たちの興味が薄れて店内に通常の喧噪が戻ると、白音は席に着いた。
「ありがとうございます。ごちそうさまでした」
すると何故か、大魔道の方が礼を言った。
「ん? 遠慮しないでもっと食べてね。もちろんここはわたしたちの奢りよ? お礼を言うのはこっちの方なんだから」
「はい。是非また宜しくお願いします」
やや会話がちぐはぐしている。
しかし気にせず白音は続けた。
「佳奈たちはこの街にとって有用だから是が非でも言うことを聞かせたいけど、反撃されたら危険だから何重にも安全装置を設けている…………ってところなのかしら」
「三人が揃えばこの街を滅ぼすことも可能と推測」
ちびそらが冷静に物騒なことを言う。
彼女はリプリンが小さな取り皿に盛りつけ直してくれた異世界料理を堪能している。
「ま、まあ否定できないけど、そんなことしちゃダメよ」
白音もその取り皿の空いた部分にいろいろと料理を追加していく。
なんでもぱくぱくと気持ちよく食べてくれるので、だんだん歯止めが利かなくなってくる。
「便利に使っておいて、反抗できないように分断して、お互いを人質にされてるってことっすか……。酷いっすね。あ、ちびそらちゃんそれはだめっす」
ちびそらが隣席の一団が乾杯に使っていたエールビールを見て飲んでみたいと言ったので、それはさすがにいつきが止めている。
セクハラ大魔道は、結構攻められると弱いようです。




