第16話 新興都市カルチェジャポネ その四
ちびそらとリプリンが、ふたりだけでカルチェジャポネの検問の様子を探りに行ってしまった。
白音といつきは馬車を停めて彼女たちの帰りを待っていたが、白音はふたりのことが心配でそわそわ、そわそわとしていた。
そしてその不安が頂点に達した頃、突然空中から声をかけられた。
「たっだいまっ! 白音ちゃん!!」
慌てて後ろを振り向くと、スズメから不定形のスライムの姿になったリプリンにのしかかられた。
「うわっぷっ!!」
バケツの水をひっくり返したような『スライムハグ』に白音は押し流される。
「ああ、もう。こんなの普通の人にやったら怪我するんだから…………」
「白音ちゃんにしかやらないから、オッケー?」
「お、オッケーよ……」
スライムの圧がすべてを押し流す。
ちびそらが、偵察してきたことを簡潔にまとめて伝えてくれた。
彼女によれば、総じて検問はあまり厳しくはなさそうとのだった。
「特に魔核を持たない人族の流入は、あまり警戒していなかった。おそらく召喚英雄に比して戦闘能力が違いすぎるので、気にする必要がないと判断しているのだろう」
「あ、でも、それじゃあ召喚英雄って思われたら警戒される?」
召喚英雄は場合によっては街を滅ぼしかねないような力を持っている。
白音も重点的に警戒して当然だろうとは思う。
「残念ながら、今回が初入国という召喚英雄がいなかった。それで詰め所に侵入して調べてきた」
ちびそらのその言葉を聞いて、いつきがちらりと白音の方を見る。
「危ない事しないでよ…………」
白音の反応は予想通り、まさしくふたりのお母さんのものだった。
「そこに髪の毛が保管されていた。入領記録と一緒に」
髪の毛、と聞いて白音は嫌なことを思い出した。
髪の毛で英雄核の力を無力化する香炉があった。
「どうやら召喚英雄は身元を登録して髪の毛を預ければ通れるらしい。髪の毛は記録によれば、二カ所に分けて保管されている。この検問所ともう一カ所。おそらくは役所のような施設」
「…………なるほど、カルチェジャポネとしては召喚英雄を戦力としてどんどん受け容れたい、けどもしスパイだったり、裏切ったりした時にはそれを使って無力化できるってことね」
白音は得心した。
はぐれ召喚者は人材として優秀だが、この異世界に流れ着いたばかりの者が身分の証明などできるものではない。
そこでそうやって首輪を付けることで、身分証の変わりとしているのだろう。
「検問所で魔力を感じたのは、一番偉そうな人だけだったよ」
さらにリプリンが情報を補足してくれた。
なるほど、皆が皆魔法を使えるわけではないので、召喚英雄が人族を率いる形で班を組んでいる可能性が高そうだ。
つまり魔法などでごまかそうとする場合は、そのひとりにだけ警戒していればいいだろう。
本当に非の打ち所のない偵察だった。
いつきの言うとおり、このふたりのチームは抜群に相性がいい。
白音はふたりを子供扱いして心配していたことを申し訳なく思った。
白音たちは馬車に乗り、検問所の列に大人しく並ぶことにした。
検問待ちの列は十人弱のまま、増減はしていない。
ひとりあたりの時間がそう長くないので、すぐに自分たちの番が回ってくるだろう。
いつきの幻想をもってすれば、気づかれずに馬車ごと検問をすり抜けることもできそうだった。
しかしそれだと後々問題が起きて身元を照会された場合、自分たちに検問を通った記録が残っていないことになる。
それではかえって面倒事が増えるように思うので、ここは正規の手順を踏んで中へ入ることに決めたのだ。
しばらく待っていると、衛士がひとり白音たちの馬車までやって来て、「乗っているのは全員召喚英雄ですか」と確認された。
御者台の白音の様子がどう見ても日本人なので、先に確認しに来たのだろう。
もちろん厳密に言うと違う。
白音といつきは自発的に異世界へやって来たし、リプリンに至ってはこの世界の生まれだ。
しかし検問の目的は『魔核』持ちから髪の毛を採取することだろうから、とりあえず「そうです」と答えておいた。
衛士に促されてついていくと、馬車を街壁の脇に停めるように言われた。
そしておそらくは、召喚英雄専用であろう検問室へと案内される。
「ぼ、僕、海外旅行もしたことないんで、こういうの緊張するっす」
いつきがちょっと顔を強ばらせている。
しかしいきなり異世界への扉を前にして、ついてくるか? と問うた時は、なんの躊躇いもなく白音たちと一緒についてくることを選んだいつきだ。
そんな度胸があって今更検問くらいで何を言ってるの、と白音はおかしく思った。
ちょっと腰が引けているいつきのお尻を、ぽんぽんと叩いて励ましておく。
検問を行っている衛士たちも、こう言ってはなんだがあまり緊張感を持って仕事をしているようには見えなかった。
かなり柔和な印象で、来訪者を歓迎している雰囲気だ。
特に白音たちが『英雄核持ち』だと確認してからは、恭しく接してくれるようになった。
ここでは人族よりも召喚英雄の方が立場が上、ということになるらしい。
白音は自分たちのことを、「最近この世界へやって来たのだが状況がよく分からず、情報を求めてこの街へ流れてきた」と説明しておく。
どこにも嘘はない。
ただ、ちびそらだけは隠れていてもらうことにした。
「ちっちゃい召喚英雄です」と言い張るのはさすがに無理があるように思う。
いらないことを詮索されないためだ。
リプリンが言っていた『一番偉そうな人』が白音、いつき、リプリンの三人から確かに魔力を感じることを確認した。
そして彼は「召喚英雄の場合は、髪の毛を採取することがこの街へ入る条件になっている」と告げる。
想定していたとおりだ。
そしていざ髪の毛を採取される段になって、いつきが魔法を発動させる。
彼女は既に魔法少女に変身していて、見た目は変身前に見えるよう幻覚で偽装済みだ。
衛士たちは三人の髪の毛を採取したつもりでいるのだが、実はそれは先程周辺の麦畑で拾ってきた藁だった。
藁を拾い集めて三つの束を作り、それぞれ予め白音たちの髪に編み込んでいる。
いつきの幻覚によって、実際はこのヘアエクステもどきの藁束を切り取っているだけなのだ。
白音は藁束を提供するついでに、『一番偉そうな人』にいろいろと話を聞かせてもらった。
彼もやはり召喚英雄で、この衛士隊で班長を任されているのだという。
白音は、佳奈、莉美、そら、一恵、リンクスの特徴を述べて、見かけてはいないか尋ねた。
「わたしたちと一緒にこの異世界へ来たんだけど、転移の時にはぐれてしまって行方が分からないの」
これもまた差し障りのない範囲で事情を説明しておく。
「んー、知らないな。全員一緒だとは限らないなら、覚えてないだけっていう可能性もあるがな。今はぐれ召喚者が増えているようで、ここへも毎日結構な人数が来るからな」
「そう…………」
白音は肩を落としてそう言った。
しかしそれはこの衛士が見ていない、というだけのことである。
むしろ、召喚英雄の来訪が増加しているのなら、期待が持てる。
佳奈たちがこの街を訪れる可能性は高いように思われた。
少し考え込む様子の白音に、いつきがそっと尋ねる。
「姐さん……一恵姐さんのことも見てないか聞くんすね……」
一恵はもう、どこにもいないはずだった。
いつきとちびそらだけが、一恵の体が限界を迎えて崩壊してしまったところをはっきりと見ている。
「だって……、あの一恵ちゃんなら、どこかから不意に現れても不思議じゃない気がして……」
「ああ…………、確かに……。そっすね……」
「もちろんいつきちゃんの言葉、信じてないわけじゃないのよ?」
「いえ。僕もそう思うっす!!」
その他衛士隊の班長からはいくつか、近頃の現世界に関する簡単な知識の質問があった。
直近に召喚された者かどうかを調べているのだろう。
「スマホのOSのバージョンが今幾つだ」とか、「総理大臣の某は何代前だった?」とかだ。
白音はリプリンがちゃんと答えられるのか、ちょっとどきどきした。
しかし心配をよそにものすごく正確に回答していた。
むしろ正確すぎて逆に怪しいくらいだった。
その答えぶりから察するに、どうやらちびそらがリプリンの胎内に隠れていているのだろう。
答えを教えているに違いない。そこにいてくれて良かった……。
検問は問題なく合格だった。
多分だが、タイアベル連邦からのスパイか何かと疑われでもしない限りは、すんなりと通過させてくれるのだろう。
衛士隊の班長から身分証が発行できると告げられた。
市民権を希望か、一時滞在が希望かと聞かれる。
「市民権って、そんなに簡単に得られるものなの?」
白音はちょっと驚いた。
現世界だと国籍ということになるのだろうが、それを得るために不法入国したり、偽装結婚したりと、きな臭いニュースをたまに見る。
かなり大変なことだという印象だった。
「召喚英雄ならな。最低でも十人分くらいの働き手にはなってくれるだろう。積極的に受け容れている」
高額納税者や一流スポーツ選手なら簡単に永住権が得られたりする。
それと同じようなことかと白音は納得する。
「なるほど……。でもわたしたちは人捜しが目的だから、一時滞在がいいわ。何日くらいまで可能なの?」
「最長で30日だな。ただし市民権よりも一時滞在許可の方が高額になるぞ」
「え……?」
白音からすれば、なんだかちぐはぐな感じがする。
強面で厳つい班長にこっそりびびっているいつきとリプリンです。




