第16話 新興都市カルチェジャポネ その三
白音たちは上空高く舞い上がり、遙か遠くにかつてのエーリュコス王朝の王都を望んでいた。
いつきを抱いて静止飛行している白音の隣には、同じくちびそらがその場に留まって飛行している。
小さな彼女の背にもかわいらしい銀翼が生えていて、しっかりと空中で姿勢がコントロールできている。
リプリンが擬態して形成している翼だ。
その飛行能力はもはや、お手本にしていたスズメを上回る性能になっているらしい。
「大きな湖が街の真ん中にあるぞ」
白音たちの中で最も優れた視力を持っているちびそらがそう言った。
「え? どこどこ? そんなものわたしの時代にはなかったはずだけど……、造ったのかな?」
白音が過去の記憶を辿っていると、いつきが白音に抱かれたまま少し身を乗り出した。
「おっけー、みんなで確認するっすよ。千里眼っす!!」
「っす!」
「っす!」
いつきの魔法の投射に合わせてちびそらとリプリンが合唱した。
昨日と同じ、白音たちの眼前にスクリーンのようなものが現れて、そこに街の様子が大きく映し出される。
昨日説明してもらった感じだと、単純な拡大だけでなく可視光線の増幅や補正も行っているらしかった。
だからかなり色鮮やかな画像が得られている。
単純にスクリーンを見ているだけでも楽しい。
ちびそらの言うとおり、城の真下に大きな湖があった。
湖面に立つさざ波までもが繊細に見て取れる。
街に向かっては、街道がほんの僅かずつ上り勾配になっている。
街の方が高い位置にあるため、かなりの上空まで飛んでみて初めて、街の全容を掴むことができたのだ。
確かに白音の知る王都に違いはないだろう。
しかし白音の記憶にある限り、そんな大きな湖は存在しなかった。
位置関係からすると、おそらくだが、城を浮かすために岩盤をくり抜いた時にできた窪地なのではないだろうか。
そこに水が溜まってできた湖のように思える。
街にはあちらこちらに懐かしい面影もある。
しかし宙に浮いている城やそこに繋がるロープウェイなど、白音の知らない景色がたくさんあった。
もうそこはエーリュコスの王都ではなく、カルチェジャポネという名の都市なのだ。
白音たちの頑健な馬ならば、ここからあと一日も行けばカルチェジャポネに着くだろう。
白音は静かに地上へと舞い降りた。
◇
しばらく馬車を進めると人の手の入っていない密林は姿を消し、徐々に手入れの行き届いた里森へと取って代わり始めた。
そこからさらにぽつぽつと畑や人家が目に付くようになり、やがて大きく開けて広大な穀倉地帯へと出た。
時折、街道を往く人たちも見かけるようになっている。
作物を運ぶ農家の人たちや、商人とおぼしき大量の積み荷を載せた馬車などだ。
白音の知る時代からここは豊かな土地だったが、農地はどうやらその時よりもさらに大きく広がっているらしい。
人口が増えて、それを支える農業が発展しているのだろう。
往時の魔族の国よりもさらに栄えているということだ。
辺り一面に、農業用の水路が網の目のように整備されているのが見て取れる。
元々魔族の王国は街の背後にある山脈に抱かれるようにして存在しており、水源はそこから流れ出る河川を頼りにしていた。
おそらく水路はそれらの河川から引いているのだろう。
春になって山々が雪解けを迎えると、水量はさらに大きく増えるはずだ。
それがこのだだっ広い農地のすべてを潤しているのだ。
白音は初め、宙に浮かべられた王城を見て、なんだか侮辱されたような気がしていた。
自分が育った場所を、見世物のようにはして欲しくなかった。
旧王城とその付近も含めて、下の岩盤ごとくり抜かれて浮いている。
そしてそこへの移動手段としてロープウェイが設置されている。
白音にはそれが、魔力の無駄遣いとしか思えなかったのだ。
しかし今、これだけの周辺地域の発展を目の当たりにして少し冷静になった。
このカルチェジャポネという街は、もしかしたらかなり合理的に考えて作られているのかもしれない。
どうやら感情論やトロフィー感覚でそんな大規模事業をやる統治者ではなさそうだった。
王城を浮かべる強大な魔法は人族に対する大いなる牽制になっているだろう。
そしてロープウェイは技術力の高さをアピールするのにはうってつけだ。
これらを見せつけられた人族はこの街を高く評価し、そう簡単には攻め込めなくなる。
それにおそらく城の跡地にある人造湖は、都市部の水源確保が目的だろう。
あの規模なら街の発展に伴って相当な人口増加があったとしても、十分に耐えられるはずだ。
周辺地域の灌漑設備がかなり緻密に計画されていることも考え合わせれば、おそらくは水利施設の専門家が手がけているに違いない。
この世界にはない未知の技術が豊かさをもたらすことを、声高に証明してみせている。
一般の人々の目には、一度は住んでみたいと思うような素晴らしい街に映ることだろう。
宙に浮いた王城は、召喚英雄が作る街『カルチェジャポネ』のアイコンとして、その威光を遺憾なく発揮している。
白音たちを乗せた馬車は、翌日の昼過ぎにはカルチェジャポネへと到着することができた。
白音は暗くなる前にはなんとか辿り着きたいと考えていたのだが、馬たちが頑張ってくれたおかげでかなり早かった。
改めてすごくいい馬なんだと感謝する。
白音たちは、街から少し離れた所で馬車を停めた。
付近では農家の人たちが『麦踏み』をしている。
白音は、確か麦踏みは日本独自の手法だと聞いたことがある。
これもやはり召喚英雄たちの指導によるものだろう。
いつきの幻想で馬車を『干し草を積んだ荷車』に偽装してもらい、街道を少し逸れて農道の脇に停めておく。
街壁にあるであろう検問所の様子を探りに行くつもりだった。
カルチェジャポネは移民の受け容れに積極的だと聞いている。
だから召喚英雄である(にしか見えない)白音たちならば通してくれるだろうとは思う。
しかしタイアベル連邦との睨み合いが続く中で、なんのチェックもなしに、とは考えにくかった。
そこでひとまず情報を仕入れて対策を練ろうと考えていた。
おおよそ白音の予想したとおり街への出入り口、すなわち郭門には検問所が設けられていて、十数人――分隊規模――の衛士が詰めていた。
彼らが街の出入りを希望する人たちのチェックをしている。
街へ入る希望者は、およそ七、八組ほどが列を作っている。
それほど混雑してはいない印象だ。
街の住民や付近の農家、商人といった地元の人間に混じって、日本人らしい出で立ちの者もいる。
「僕の魔法で隠蔽すれば簡単に通れそうっすけど?」
いつきがそう言った。
確かに彼女やリプリンがいれば、誰にも見咎められずに中へ入ることも簡単なように思える。
しかしここは召喚英雄たちの街である。
魔法への対策が何かされていれば、見つかってしまうリスクもあるだろう。
「んー、検問の様子が見たいんだけど…………」
白音は、ここに初めてやって来た召喚英雄がどうやって中へ入れてもらうのか、そのやり取りが見たいと考えていた。
「わたしが行ってこよっか? 小さくなったら気づかれないでしょ?」
確かにリプリンが小さくなれば魔力の反応も微弱になって見つけにくくなる。
日頃からよく悪戯されているので、白音もそれはよく知っている。
「でもリプリン、言葉が分からないから……」
白音は渋った。
言葉の問題も確かにあるのだが、それよりもリプリンを独りで行かせるのが心配だった。
「では私が一緒に行こう」
そう言ってちびそらがリプリン目がけて飛び込んだ。
トプン、という音を立ててリプリンの体の中へと沈み込んでいく。
「え……」
慌てる白音をよそに、そのままリプリンが小さくなってスズメの姿になった。
「え、え、え?」
スズメの背中からリプリンが顔を出した。
元々小さいな彼女の頭が、さらにぐっと小さくなっている。
「そうか、ちびそらちゃん人工生命体だから、中に入れば小さくなっちゃうんだ…………」
「かなり目立たないっすね」
いつきも太鼓判を押す。
幻覚魔法をかければかえって魔法を感知されてしまうリスクがあるため、このまま見送るつもりだ。
「でも気をつけてね。ほんとに。この世界にスズメいないから、じっくり見られるとまずいわよ?」
「任せろ。近くまで行ったらもっと小さくなってもらう。まずバレない」
不安顔の白音をよそに、ちびそらが自信ありげな笑顔を返す。
ふたりを見送った後白音は落ち着かない様子で、ずっとそわそわ、そわそわとしていた。
意味もなく狭い農道を、行ったり来たりしている。
馬たちが白音の動きを、ちょっとうるさそうに見ている。
「初めてのお遣いの帰りを待ってるお母さんみたいっすよ」
「だって心配じゃない!!」
いつきが声をかけると、白音ははじかれたように顔を上げた。
ちょっと怖い。
「ま、まあそうなんすけど、頭のいいちびそらちゃんと、変幻自在のリプリンちゃんっすよ。あのふたりの組み合わせって最強じゃないっすか? 平気っすよ」
「むぅ……」
白音がさらに何度も、農道を耕す勢いで往復していた。
そしてその不安が頂点に達した頃、突然空中から声をかけられた。
「たっだいまっ! 白音ちゃん!!」
慌てて後ろを振り向くと、スズメから不定形のスライムの姿になったリプリンにのしかかられた。
「うわっぷっ!!」
バケツの水をひっくり返したような『スライムハグ』に白音は押し流される。
ダンジョンの奥底とかでいきなりスライムが降ってくるデストラップのアレです。




