第16話 新興都市カルチェジャポネ その一
カッタッタ、カッタッタと二頭の馬が小気味よく、一定のリズムで蹄を鳴らしていた。
立派な体躯をした重種の馬たちは横並びになり、一台の幌付きの馬車を引いている。
とても利口な彼らにはほとんど指示を与える必要はなく、放っておいても勝手に轍の跡を辿って馬車を導いてくれる。
御者台に座る白音はやや手持ち無沙汰で、あくびをかみ殺しながらちらりと荷室の方を振り返った。
そこには暖かそうな毛布にくるまったふたりの少女、いつき、リプリンが寄り添うようにして居る。
静かにしていると思ったら、とっくにふたりとも微睡みに揺れていた。
馬車の乗り心地は驚くほど良く、固く乾いた荒野の路面から伝わる振動を、柔らかな眠気に変換してくれている。
しかしゆったりとしたその昼下がりの平穏な空気は、幌の上から聞こえた大きな声によって中断させられた。
「城が浮いてるぞ!!」
ちびそらの声だった。
幌の上から周辺を見張ってくれているのだ。
人造の生命体である彼女の眼は、高性能なカメラと同程度の性能があると以前に言っていた。
きっと望遠モードや夜間モードも付いているのだろう。
そのちびそらが、馬車の進行方向を指さして叫んでいる。
白音は、ちびそらの言う方向に瞳を凝らしてみた。
すると確かに空中に、何やら小さな点のようなものが浮いているのが見えた。
美しく清澄な冬の青空に、まるで画素欠けのように黒い点が存在している。
ただ遠すぎて、白音にはそれが何なのかまではとても判別できなかった。
「何かあったんすか?」
「なになに?」
興味を持ったいつきとリプリンが、目を覚まして荷室から這い出してきた。
多分作為的に白音をぎゅうっと挟み込むようにして御者台に座る。
そして浮いているとやらいう城を、一緒になって探す。
だがそうしたところで、ちびそら以外の目には点は点以外の何者でもなかった。
「むー…………」
リプリンが少しでも近くで見ようと、触手を伸ばしたその先端に目を付けて唸っている。
スライムである彼女ならではの技だ。
「僕に任せてっす!」
いつきがそう言うと、白音と密着したまま狭い御者台の上で魔法少女へと変身した。
鮮やかな橙色の光に包まれて、アイドル衣装のようなかわいらしいコスチュームへと変身する。
そしてリプリンの不満に応えるために、固有魔法である幻覚魔法を使ってくれた。
「千里眼っす!!」
(す、って……)
魔法の名前を誰が付けたのかは知らない。
しかし白音の心の中のツッコミをよそに、その効果は目覚ましいものだった。
御者台にいる皆の前に、前方の景色の映像が大きく映し出される。
さながら空中に映像スクリーンが投影されているかのようだった。
かなり拡大されているので、遠くの様子が手に取るように分かる。
千里眼の名に相応しい魔法だった。
その拡大スクリーンで確認すると、ちびそらの言うとおり確かに城が浮いていた。
どうやら何の支えもなく、ただひたすらに浮いている。
現世界では有り得ない光景だった。
それは魔法でなければ到底不可能なことだろう。
その非日常的な光景に、現代っ子のいつき、現代スライムのリプリン、そして現代人工生命体のちびそらは息を呑む。
三人は口々に、
「すごいっす!!」
「不思議ー!」
「有り得ない事象」
と感想を漏らしている。
しかし白音からすればなかなかどうして、馬車の上で繰り広げられている光景もかなり非日常的だとは思うのだ。
城の基礎が岩盤に支えられていて、地下部分も含めて丸ごと根こそぎに宙に浮いているらしかった。
蒼穹に白亜の如く映えて燦然と、揺らぐこともなく静止している様が見て取れる。
巨大な岩盤の陰になっていて下の方はよく見えない。
しかし遠目にも流麗な曲線を描く飛梁や、繊細なバランスを保って高くそびえ立つ尖塔などが確認できる。
ひと目でかなり手の込んだ建造物であることを窺わせる造りだった。
「テーマパークにあるお城みたい」
リプリンが感想を漏らした。さすが現代スライムの感想である。
その美しい城の一部に、まとわりつくようにして何か小さな物が動いているのが見えた。
「それなーに?」
リプリンがスクリーンを指さして尋ねると、いつきが魔法を操作した。
「ちょっと待ってっすよ」
投影されたスクリーンに指で触れ、スマホのようにピンチアウトのジェスチャーをすると、城の映像の一部分が拡大された。
「光をこう、ぐっと曲げて、遠くの景色を目の前に大きく映してるんす」
と、いつき流の説明をしてくれる。
映像がさらに拡大されるとはっきりと分かった。
浮いている城から下方へと太いワイヤーのようなものが張られている。
そしてそのワイヤーに箱状の何かが吊り下げられており、それがゆっくりと下へ向かって移動している。
やがて見ていると、同じような箱が下からも昇ってきて、箱同士がすれ違う。
「ロープウェイなんだわ!!」
白音は驚いて思わず声が大きくなった。
巨大な城を周りの岩盤ごと浮かせて、ロープウェイで繋いで…………。いったいどれほどの魔力を使うのだろうか。
「すごいすごい!!」
「ほんとすごいっすね!」
いつきとリプリンは無邪気に楽しげな声を上げた。
確かにこれではテーマパークのアトラクションみたいだ。
一方ちびそらは、黙々と映像スクリーンに見入っている。
多分未知の事象に出会って情報収集に忙しいのだろう。
だが白音は、少し複雑な思いを抱いてその城を見ていた。
いつきがその様子に気づいて、白音の顔を覗き込むようにする。
「姐さん?」
「ああ、ええ…………。うん」
その城はかつて、白音がデイジーだった頃に暮らしていた場所だった。
見間違えようはずもない、エーリュコス王朝の王城である。
白音はオルディアス王の次男、ディオケイマス殿下の近衛隊隊長として城詰めをしていた。
彼女の寝所も兵舎に用意されており、そこはまさに『我が家』だった。
もちろん元から浮いていたわけではない。
当時はしっかりと地上にあってその存在感を放っていた。
それをおそらく、召喚英雄たちが強力な魔法を使って浮かせてしまったのだろう。
見る者の目を奪う威容であることは間違いない。
しかし、懐かしい場所がそんな風にされているのは、まるで戦利品として飾り、晒しものにされているようだと白音には感じられたのだ。
「わたし、デイジーとしてあそこに住んでたのよ。少し想い出しちゃって。いろいろあったから…………」
いつきもリプリンもそんな白音の様子に気兼ねしたのか、大人しくなった。
「あ、でも、気にしないで。わたしだってあんなのすごいと思う。どうやって浮かせてるんだろう?」
白音はスマホを取りだして、スクリーン越しに写真を撮り始めた。
「デイジーって、姐さんの前世って事っすよね? 知り合いとかいるんすか? 何か問題ありそうなら、幻覚で顔を別人にしとくっすけど」
いつきがそう提案してくれた。
いつきに頼むと何故か『おじさん』に変装させられることが多い印象だが……。
「いえ、多分平気だと思うわ。20年近く前の話になるから。それにここには……その……魔族はもう暮らしていないんでしょうし……。……まあ状況によるのかな? ともあれ、行ってみてから考えましょうか」
「了解っす! おじさんにはしないでおくっす!!」
必殺、おじさん幻想!!




