第12話 ボスボルーク(特殊個体) その二
白音がメイアに、できるだけ分かりやすく丁寧に事情を説明する。
白音が魔力を分け与えれば、ちびそらは再び動けるようになるはずだと伝えると、メイアはちびそらを白音に託してくれた。
「さっきはじゃましてごめんなさい。ちびそらちゃんをたすけてあげて」
メイアがちびそらをそっと手にとって白音に託す。
「ありがとう、メイアちゃん。じゃあ、やるね。驚かないでね」
白音が魔力を高めていくと、ローブの下の魔法少女のコスチュームが桜色の光を帯び始める。
少しずつ輝きを増した光はやがて部屋中に満ちて、ひと時その空間を満開に染め上げる。
「わぁ……」
メイアとペルネルの口から思わず感嘆の言葉が漏れた。
そして白音は高めた魔力を、手のひらに載せたちびそらへと集中させる。
驚かないでねと言ったのはこの先だ。
彼女の明るい栗色の髪の毛がぶわっと一気に逆立つ。
やがて白音の魔力が周囲にまで溢れて徐々に広がり始めると、それを受けたいつきの背筋が無意識にぴんと伸びた。
しかし母娘の方にはまったく驚いた様子はない。
魔力に対して鈍感な人族の身では、白音の魔力を受けてもさほどの緊張を感じずにすむのだ。
白音は密かに、もう少し放出する魔力の質をコントロールできた方がいいのかもしれないと思った。
そうすればきっと、魔族の赤ちゃんも自分に懐いてくれることだろう。
白音は魔力を高めることに集中しながら、リプリンの様子もちらりと窺った。
魔力を高めてもいつきと違ってあまり反応がなかったので、少し気になったのだ。
リプリンは白音の魔力を間近で感じながら、驚くどころかむしろゆったりとリラックスしたような表情を浮かべている。
おそらくだが、彼女にとってそれは物心ついた時からずっと、白音の胎内で感じ続けていた揺籃のようなものなのだ。
むしろ一番安心できる魔力の律動なのかもしれない。
結局、いつきだけ緊張させてしまったかと白音は申し訳なく思った。
しかしいつきもこのピリピリとした感触が決して嫌ではない。
魔族夫婦の元で白音のこの鋭い魔力を「好きっす」と言ったのは本心だ。
白音の白音たる所以を肌で、文字通り肌で感じている。
ただ、体に力が入ってしまうのだけはどうしようもない。
いつきにとっては、こんな桜色に満ち満ちた空間の中で寛いでいられるリプリンの方こそ、いったいどうなってるんだろうかと不思議でならなかった。
……………………
……………………
白音は話をしながら、十五分くらいそのまま魔力を供給し続けていた。
いつもは莉美があり得ないくらいの量の魔力を供給してくれるので目立たないが、いつきからすれば白音だって驚くほどの量の体内魔力を保有している。
少なくとも、荒野の真ん中で魔力ののろしを上げただけで、近隣の町から「化け物が来た」と恐れられるレベルなのだ。
もしメイアが魔力に敏感だったなら、この場で卒倒していてもおかしくない。
それを十五分もやり続けている。
いつきが改めて『白音の姐さん』に畏敬の念を抱いて見ていると、こっそりリプリンが漏れ出てくる魔力を吸収しているのに気づいた。
白音の胎内にいた時のことを懐かしんでいるのかもしれない。
もちろんリプリンと同じように、ちびそらにもちゃんと魔力が供給されているはずだ。
しかし、ちびそらはいつまで待っても目を覚まさなかった。
さすがに白音も、少し焦りを感じ始めた。
まさかこのまま動かないなんて言わないよね、と思いながらその小さな頬をつんとつついてみる。
「ちびそらちゃん、大丈夫っすよね……?」
いつきも心配そうにちびそらを覗き込む。
「もちろんよ」
白音はそう請け合ったが、しかしここに頼りになるそらや一恵はいない。
だから今までの知識を総動員して、なんとかちびそらを目覚めさせる方法を考える。
「確か充電池って、放っておきすぎると『過放電』っていう状態になるよのね…………」
「よ、よく分かんないすけど、そうなんすね?」
「それと同じだとしたら、ちょっと長めに充電しないと目を覚ますことができないのかもしれないわ」
そして白音はメイアを見つめる。
「時間をかけてちびそらちゃんに電気を与えてあげたいんだけど、連れて帰ってもいい? このままお別れなんてことは絶対にしないから、目を覚ますまで預からせて欲しいの」
メイアはこくりと頷いた。
「ありがとう。ちびそらちゃんが起きたら、真っ先に知らせるね」
ちびそらに効率よく充電してもらうためには、体内の魔素が豊富で、放出できる魔力量も多い白音の傍にいるのが一番いいだろう。
「魔核の近くにくっついてた方が、効率いいのかな?」
そう言いながら白音は、ちびそらを胸に挟んでみた。
コスチュームに上手く引っかかってちょうどいい具合に収まる。
莉美の深さ千尋の谷間とは違って圧死することもないだろう。
「いいな……」
その様子を見ていたリプリンがぼそっと呟く。
「ちょっと羨ましいっすよね」
いつきがそう応じると、リプリンはうんうんと頷いた。
「それで、あの…………わたしたちボルークの討伐を依頼されまして。お加減がよろしければニコラスさんに話を伺いたいのですが……」
ニコラスの体調が悪いことは重々承知している。
しかし狩りの専門家であり、実際にそのボスボルークと対峙したことのある彼の話は聞いておきたかった。
それに村長やペルネルから聞かされたニコラスの容体にも、少し気になるところがあった。
あまり騒がしくしてはいけないので、白音はいつきとリプリンをのこしてひとりでニコラスに会わせてもらうことにした。
リプリンがまた拗ねるかと思ったのだが、
「んじゃあ、メイアちゃんと遊んでるね」
そう言って、リプリンがいつきとメイアの手を引いて出て行ってしまった。
外でなら、三人で思う存分騒がしくしてくれると白音も嬉しい。
白音とペルネルがふたりで寝室に入ると、ニコラスはベッドから上半身を起こして頭を下げた。
ペルネルによれば、ボルークに負わされた脚の傷は既に完治しているらしかった。
にもかかわらずニコラスは未だ立ち上がることができず、原因が分からないまま療養を続けているとのことだった。
「よ、ようこそ……お、おいで下さいました。しょ、召喚英雄……様」
これも原因は分からないそうなのだが、ニコラスは上手く口が回らず、言葉を発しにくくなってしまっているらしい。
あまり負担をかけたくなかったので、白音はできるだけ要点をまとめて話を聞かせてもらうことにした。
ニコラスが上手く説明できない部分は、ペルネルも補足して手伝ってくれる。
ニコラスによれば、二年ほど前から急にボルークたちが統率のとれた行動をするようになったらしい。
立ち回りが狡猾になり、狩りの成功率が大幅に下がってしまったのだという。
焦ったニコラスは深追いをし、普段は立ち入らない湿地帯の奥深くへと獲物を探すようになった。
そしてある日、ボルークの大群が沼田場で泥浴びをしているところに行き合わせた。
彼は幸運に感謝して久しぶりの肉を得ようとしたのだが、その時かの巨大ボルークに出くわした。
それは尋常ならざる大きさで、かつ好戦的な性格だった。
ニコラスが単独で狩ることはとても叶わず、このまま放置するのも危険だと判断したニコラスは、急ぎ村へと戻って報告した。
湿地帯で得られる食糧や資源に頼っている村では、このボルークのテリトリーを侵さずに生活の糧を得る手段がない。
そのため村長は、村を挙げてボスボルークを狩ると決めた。
しかしそのボルークは巨体の故か、皮膚が鋼鉄のように硬く弓矢や槍は一切通らなかった。
村人たちが知恵を振り絞り策や罠を張り巡らせても、ボルークは力ずくで簡単に突破してしまう。
決死の覚悟で何度も挑戦したのだが、まったく相手にならなかった。
「あ、あげくに、わ、私も、怪我を…………。こ、このざまです」
ニコラスは自嘲してそう言った。
彼の他にも何人も重傷を負ったという。そして、尊い犠牲を三名も出してしまった。
「ふ、不甲斐、ない……わ、私に代わって、ど、どうか、この、この村、を、お守り、下さ、い。よ、よろしくお、願い……します」
ニコラスと一緒にペルネルも頭を下げた。
ニコラスは几帳面な性格らしく、ボルークの生態を記した簡易な地図を作成してくれていた。
白音は感謝と共にその地図を借り受ける。
ボルークたちが水を飲みに来る場所、泥浴びをする場所、時間と共に移動する様子などがよく分かり、大変参考になった。
「お任せ下さい。この地図さえあれば、バ……ボルークを見つけることは簡単そうです。お肉、たくさん持って帰ってきますね」
ニコラスにとってはボスボルークは怪物以外の何者でもない。
しかしその怪物が村を壊滅させそうだという話を聞かされてもなお、目の前の少女はボスボルークのことを『お肉』だと言う。
その華奢な佇まいの奥に、ニコラスは圧倒的な自信を垣間見た。
彼はもう一度、白音に頭を下げる。
「あ、あなた様が、た、立ち寄って……く、下さった、こ、幸運に、か、感謝を」
夫婦が白音のことを大仰に扱うので少し困っていると、その時リプリンの大声が外から聞こえてきた。
「ボルークのおしりぃーー!!」
ちびそらの寝床はもちふわ、ぷっにぷに。




