第49話 Graveyard Orbit――墓場軌道―― その二
「敬子先生に挨拶しときたいだろ?」
コスプレ少女たちが構えているスマホを指さして、佳奈が言った。
挨拶を録画してもらえと言っているのだ。
顔を拭くのにハンカチも貸してくれる。
さっき橘香からハンカチを貸してもらっているし、なんなら自分のもあるのだが、ここは有り難く使わせてもらうことにする。
橘香がコスプレ少女たちと交渉してくれて、白音のメッセージを録画してくれることになった。
コスプレ少女たちのスマホには、どうしても消去してもらわないといけない、機密に該当する映像が大量に撮影されている。
それらを消去してもらわないといけないのだが、それと引き替えに鬼軍曹やエレスケが撮影に応じることで既に話がついているらしい。一緒に撮影できるとあって、むしろ少女たちのテンションは上がりまくっている。
白音たちのことも「よく似合ってます」とふたりは褒めてくれた。
コスネームなるものを聞かれたが、何のことだか白音には分からなかった。
白音はさすがに、ずっとバリアの向こう側で外で待たされている柴崎たちのことが気の毒になった。
しかし彼らは文句も言わず、非武装地帯よろしく少し距離を開けて待機してくれている。
こちらのちょっと気の抜けた会話までは、聞こえていないらしい。
ここは遠慮無く時間をいただくことにする。
「敬子お母さん、先生方。それに学園のみんな、ほんとは直接言いたかったんだけど、わたし、旅に出ます。帰りはいつになるか…………帰れるかどうかも分かりません。ごめんね。でもわたし行きたいの。やりたいことが見つかったんだ。勝手を許してね」
また白音がじわぁっと目に涙を溜めたので、今度はそらがハンカチを貸してくれた。
桜の刺繍が入ったかわいいハンカチだ。
「あっ、マスター……。ペンタトニックスケールのマスター。一恵ちゃん共々、バイト突然辞めることになります。ご迷惑おかけしま……」
「もう、堅い、白音ちゃん。マスターも静かな喫茶店が戻ってきてほっとしてるよう、きっと」
涙が止まらなくなり始めた白音の顔に、莉美がタオル地のハンカチを押し当てて、ぐしぐしと拭いてやる。
「ほらほら、笑顔が一番だよぅ」
白音の一番くすぐったがるところを熟知している莉美は、脇腹を急所突きした。
「うひゃはっ!! あ、あー。うん……みんな、みんな、ありがとう」
お返しに莉美の急所も突いておく。
「ふひゃっ!!」
「それと、そらちゃんのお父さん、ママさん。お話は聞きました。広い世界を一緒に見て回って、保護者として必ずわたしが守ります!」
「じゃあアタシたちは白音を守ります。敬子先生に約束な!」
「でも貞操は守れませーん。なはは、うぐっ! …………」
佳奈と莉美が合いの手を入れてきたが、莉美の鳩尾に結構いい膝が入ったらしい。
「し、白音ちゃん。綺麗なおみ足、癖が悪いよぅ…………」
膝蹴りを入れながら、白音はいつきにマインドリンクで話しかけていた。
そらにはほど遠いが、複数同時会話も慣れれば便利に使えるかもしれない。
[いつきちゃん、ご挨拶しといた方がいい親御さんとかは?]
[うちは両親とももういないっす。親戚の家を渡り歩くのがやんなって家出してるっす。誰も探してないから平気っすよ]
[そか……、そか]
「いつきちゃんの保護者も、わたしがしっかり務めさせてもらいますね。ご安心下さい」
「アタシらも姐さんだからな。任せな」
佳奈がワシワシといつきの頭を撫でる。
「はいっす!」
佳奈の隣で、いつきよりも小柄なそらがちょっと偉そうにしている。
「お姉さんたちに任せるの」
「いや、そらちゃんは末の妹っすよ?」
「わたし高校一年なの」
「いやいや、年齢は1コ下っすよね?」
「学年なの」
「普通年齢っすよね?」
言い合うふたりを一恵が後ろからがっしりと捕まえた。ふたりの顔の間に自分の顔を出して、ほっぺたで挟み込むようにする。
「はいはい。ふたりとも小さいこと気にしない」
一恵は膝立ちになっているが、それで具合はちょうどいいようだ。
「小さくないの」
「小さくないっす!」
声が揃った。
一恵の天国はこの高さにあるらしい。
「…………佳奈のおじさん、おばさん。莉美のおじさん、おばさん。わたしたち三人は、多分どこにいてもわたしたちです。それに一恵ちゃんは、すっごく頼りになる人です。そしてそらちゃんにいつきちゃん、……とちびそらちゃん? がいればどこに行ったって無敵です。安心して下さい」
名前の出た少女たちが、順にカメラに向かって手を振っていく。
ちびそらは、ポシェットの中では自分が目立たないのではないかと危惧していたので、両手を万歳してひときわ大きな声で「任せろーー!!」と叫んだ。
敬子先生はこの謎生物をなんだと思うのだろうか。多分本当は目立ってはいけないのだ。
「あと、あと、あと…………リンクスさんが一緒です。心強いです。頼りにしています」
後半が消え入りそうな感じになってしまった。
リンクスは多分、カメラの向こうの敬子先生に向かって深々と頭を下げた。
白音が涙ぐむ度に誰かがハンカチをくれるので、白音の前がハンカチ屋の開店準備みたいになっている。
放っておけば、白音はいつまでも感謝の言葉を喋っていそうだったので、佳奈がその頭頂部を鷲づかみにしてちょっとブレーキをかける。
「白音は何でもできるんだけど、ひとりだとさ、ちょっと危なっかしいんだ。でも白音には人を惹きつける力があるから、多分異世界に行っても手を貸してくれる人がいて、絶対何でも成し遂げてしまうんだ。だから心配はしてない。たださ、その手を貸す人がアタシじゃないってのが堪らなく嫌なんだよ。だから、行こう。アタシがいれば、お前は何でもできる。だろ?」
白音の頭に乗せられている佳奈の手が、女豹が「アタシの獲物だ」と宣言をしているようにも見える。
だがそんなもの、チーム白音のメンバーが認めるはずはない。
「みんなが揃えば、でしょっ!!」
莉美が言いながら、佳奈の背後からその胸を掴んだ。
無敵の女豹とて弱点が無いわけではない。
ただ、それをやる勇気のある者がいないだけだ。
佳奈がなかなかいいものを持っていることを、莉美はよく知っている。
両手で感触を愉しむ。
「んうっ……」
一撃目は佳奈が何とか耐えたので、さらに優しく撫でる。
「ん……、んあっ…………」
女豹がメチャクチャかわいい声で鳴いた。
直後に莉美が鳩尾を押さえてしゃがみ込む。
先程白音からいい膝をもらったところと、寸分違わず同じ位置だ。
何をされたのかまったく見えなかったが、息が吸えない。
「……………………ぅ」
チーム白音たちの挨拶? じゃれ合い? の横で、橘香が目頭を押さえて震えていた。
それを見て周りに集まっていた魔法少女たちが、どよめいている。
マインドリンクを使わなくとも、みんなの脳裏には『鬼の目にも涙』という言葉が浮かんでいるのだろうと分かる。
「うふふ…………、あははははは。もうあなたたち、やめてよ。ほんとに見てて飽きないんだから」
しかし橘香がお腹を抱えて笑い出した。
魔法少女たちの間になんだか残念なような、ほっとしたような空気が流れる。
もちろんこれはこれで、鬼軍曹が大笑いしているところなど、めったに見られないお宝シーンではある。
「ほんと、可笑しいんだから、もう…………。もう少し見守らせていて、欲しかったのにね…………」
橘香はこっそりと、自分のハンカチを白音から返してもらった。
コスプレ少女たちに動画を撮ってもらって、あとは申し訳ないのだが、橘香や蔵間たちに託せば上手くやってくれるだろう。
そう思っていたら突然、というかやっぱり、白音は背後からがっしりと一恵に捕獲された。
「白音ちゃん、もっかいリーパーお願い」
佳奈のツッコミは人の目では捉えることが困難です。