第34話 雪空の飛竜(ワイバーン) その一
師走に入り、寒さが身に染みる季節になってきていた。
初週の日曜日は北風の吹き荒れる曇天で、道行く人もまばらだった。
にもかかわらず、白音の働くカフェ『ペンタトニックスケール』は相変わらずの盛況だった。
学期末の定期考査が終わり、学生たちは束の間、年明けまでの浮ついた雰囲気を手に入れる。
白音の成績はそらには敵わないものの上々だったし、チーム白音は魔法少女チームとしての連携にますますの磨きがかかり、若葉学園では弟妹たちの成長を見るのが楽しくて仕方がなかった。
普通ならそれは、『殺人的』と呼ぶスケジュールである。
であるが白音はそれを『充実している』と言う。
さらにはカフェメイドのアルバイトにも手を抜かない。
近頃ペンタトニックスケールでは「活動休止中のHitoeがお忍びでやって来る」という噂も立って、さらに客層の幅が広がっている。
しかしその噂を目当てにやって来た客は、予想外の光景に驚くことになる。
先月から一恵が、このカフェで働き始めた。
メディアでは決して見ることのない満面の笑顔でカフェメイド姿の一恵に出迎えられると、熱烈なファンほどそのことに気づかない。
そしてコーヒーを頼み、クリームを入れたあたりで「ん?」という顔をする。
そしてコーヒーを吹きこぼして申し訳なさそうにもう一杯注文することになる。
一恵はもう白音と一緒に働くことしか見えていないのだが、このまま放っておくと大変なことになるかもしれない。
白音のスマホがエプロンのポケットの中で震えた。
バイト中は、ギルドからの呼び出しの合図だけ通知するように設定してある。
このカフェのマスターは桧葉繁幸という白い口ひげの似合う初老の男性なのだが、なかなかどうしてエキセントリックな性格なのだろうと思う。
元々は多分落ち着いた雰囲気が売りの大人向けのカフェだったのだが、白音や一恵のせいで環境が激変している。
さらにはギルドが交渉してくれて、緊急呼び出しがかかった時には即退勤することが許可されている。
さすがに混雑で手一杯な時には代わりに応援の子がギルドから派遣されてくるらしいが、それでも普通の経営者なら頭を抱えてしまいそうな状況だ。
たまに何かの偶然で店内の喧噪レベルが下がると、ジャズの音色が耳に入ってくることがある。
白音は曲目は知らないが、いい曲ばかりだと思う。
ゆっくりこの音楽を楽しむことができるのは、今では閉店の直前、客がほとんどいなくなった時くらいだ。
皮肉なことだと思う。
マスターが白音のスマホに気づき、どうぞ、とスタッフルームの方を指し示してくれている。
一恵を見ると彼女のスマホにもメッセージがあったらしく頷きを返してくる。
「行くよっ!」
と一恵に声をかけると、テーブル席からも三人手が上がった。
「おっけー!!」
佳奈、莉美、そらだった。
あんまり忙しくて白音は三人が来ていることに気づいていなかった。
「いたんだ…………」
白音が三人の精算を済ませ、その間に一恵がテーブルの上を片付ける。
そして桧葉に黙礼をすると更衣室へとなだれ込んだ。
更衣室からは勝手口へと直接通り抜けられるため、そのまま転移ゲートでいなくなっても不審がられることはない。
しかし更衣室は女性従業員を迎えるに当たって急ごしらえされた簡易的なものだ。
さすがに五人で入るには狭すぎた。満員電車のようになっている。
「ちょっと、誰よお尻触ってるのはっ!?」
白音は迷惑そうな顔をしながら、実は嬉しかった。
お尻のことではない。
ずっと考えさせられることの多い戦いばかりだったから、多分フラストレーションが溜まっていたのだ。
こうやってやる気満々のみんなの顔を見て、リーダーとして「行くよ」と号令できることが嬉しかった。
魔法少女に憧れて、魔法少女となった白音の、本懐と言えた。
ここのところ異世界事案の発生は、とどまるところを知らず増加傾向にあった。
人に危害を加えかねない凶悪なモンスターが、現代社会に紛れ込むような事件も頻発するようになってきている。
しかしここ最近の白音たちは、チームの誰かが負傷していたり、大きな事件を抱えていたりした。
そのためこれらの解決は、どうしても他のチームに任せきりになってしまっている。
そしてこれからも根来衆や逆巻姉妹への対処が予想されることから、いざという時のために戦力を温存する方向で行きたいと打診されていた。
だがもう少し、依頼を回して欲しいと白音たちは抗議した。
温存されすぎても勘が鈍ってしまうし、ぽっと出のSSランク様が特別扱いされていると思われても困る。
狭い室内で佳奈を壁際に押し潰しながらスマホを確認すると、飛竜三体が東北地方に出現したとの報せだった。
白音はそれを見た瞬間、やばいと思った。
自分たちが温存されている場合ではないだろう。
デイジーの記憶によれば、飛竜とはその名のとおり翼の生えた大型のトカゲのような生物で、空を自在に飛ぶことができる。
体長は大きいものでは20メートルを超え、口から高温の火炎を吐く。
鉤爪は金属鎧を易々と引き裂き、おまけに尻尾には猛毒まで持っている。
飛行能力は小回りが利く分、現代兵器――戦闘機などよりも上だろう。
あちらの世界では『魔獣』と分類されている。
魔獣とは高い知性は持たないものの魔核を持った生物の総称で、人や魔族のような狡猾さはないが身体能力が高い。中には火炎の息のように魔法めいたものを使ってくる種類もいる。
魔核を持たない者からすれば恐るべき脅威だろう。
多彩な能力を持つせいで対応に苦慮するため、ギルドでの脅威度評価はミスリルゴーレムよりも上と位置づけられている。
こちらの世界で表現するならまさに『怪獣』と呼ぶに相応しい存在である。
それが三体。
「強いんだな?」
ぎゅうぅっと押されながら白音の顔色を見て、佳奈が楽しそうに聞いてくる。
「ええ。何の問題も無いわ」
デイジー独りであればとても敵わなかったかもしれない。
でもあの頃とは違う。
魔法少女になった。
頼りになる仲間もいる。
何の問題もあろうはずがない。
飛竜が現れたのは有名な観光地となっている大きな湖のそばだった。
幸い一恵が、雑誌か何かの撮影のために一度行ったことがあるという。
迅速に対応することができそうだった。
街でそんな怪獣を暴れさせるわけにはいかない。
一恵が莉美の背後にゲートを開く。
「お?」
ケートを開いても真っ白な壁だった。
壁に触れていた莉美のお尻がじんわり冷たくなってくる。
「これ、雪だよっ!! 冷たいっ!」
莉美が嬉しそうにぼすぼすと雪の壁を殴っていると、こちら側に崩れ始めた。
一恵が莉美を引き寄せて慌ててゲートを閉じる。
危うくペンタトニックスケールの店内に雪崩を呼び込むところだった。
少し高度を上げてゲートを開け直す。
山林に吹き荒れる吹雪が吹き込んできた。
今度は濡れた莉美のお尻が凍り始める。
「うわっひゃっ!」
すべてが白に覆い尽くされた森を見て、莉美が喜び勇んでゲートから飛び出した。
ずぽっと小気味の良い音を立てて、胸くらいまでさらさらの新雪に突き刺さる。
しかも隣にいたそらの手を引いて飛び出したものだから、一緒に飛び込まされたそらはほぼ頭まで埋まり、頭頂部だけが見えている。
そらの繊細な金色の髪が、雪の上に撒かれたメイプルシロップのように広がる。
「…………」
「わわわっ! そらちゃん?! そらちゃん?!」
慌ててゲートから手を伸ばしてそらを引っ張り上げる。
一恵は人目を考えて少し森の奥にゲートを出したのだが、以前来たのは初秋の美しい紅葉の時期だった。
今は、どうやら人が立ち入っていい状況ではないようだった。
辺り一面に、既に2メートル近い積雪があった。
そしてさらに今もなお、すべてをかき消す勢いで猛烈な風を伴って、大量の雪が降りつのっている。
「みんな来ないの?」
莉美が飛び出したおかげで、狭い更衣室にひとり分のスペースが出来た。
サルベージしたそらの体からみんなで雪を払ってやる。
外で刺さったままの莉美は放置だ。もうすぐ埋もれて見えなくなるだろう。
「あー先に天気を見ておくべきだったかな?」
一恵がスマホで東北の天気を確認している。
しかしこのあと二日間は荒天が続くらしい。
待つ余裕はないからどのみちやらねばなるまい。
むしろ人目につかなくて済むのは幸いかもしれない。
問題は、飛竜をこの猛吹雪の中どうやって探せばいいかということだ。
「えっと…………」
すべてを解決する方法を莉美が思いついた。
莉美が雪に刺さったまましたり顔をする。
何をするつもりかは分からないが、その顔がやばいことを知っている白音は、とっさにみんなを庇う。
「伏せて!!」
莉美が黄金の光に包まれて魔法少女に変身する。
そして魔力を圧倒的な量に高めていく。
以前保養地の温泉で見せた奴だ。
発生した熱で莉美の周囲の雪がみるみる融けていく。
更衣室内に水蒸気が吹き込んできてサウナのようになる。
「ちょ、莉美っ、やめっ!! 雪崩が起きるっ!!」
靄に包まれて燦然と輝き、やがて視界が晴れると黄金の魔法少女が姿を現す。
見てる分には格好良いんですけどね。
被害者さえ出なければ。




