第33話 ハロウィンキャッツ その四
若葉学園でのハロウィンパーティが終わり、リンクスが独り寛いでいた。
食堂の小さな椅子に腰掛けていると、名字川敬子理事長に話しかけられた。
白音はこの敬子先生をとても慕っているようだったが、リンクスは初めて会った時から結構な苦手意識を持っている。
名字川敬子が人格者であるのはひと目見ただけで分かる。
幼い頃から権謀術数の真っ只中にいたから人を見る目はあるつもりでいる。
そして子供たちも彼女を心から慕っているようだ。
ただ、トモエの時もそうだった。
デイジーの母親、すなわちそれはリンクスにとっても義理の母親ということになるのだが、トモエはとにかく怖かった。
リンクスの幼少期、周りが魔族の王子として彼を甘やかす中、トモエだけは軟弱なリンクスの精神を鍛えるべく厳しく接していた。
武勲で知られた魔族の王たる父親よりも遙かに怖かった。
元々召喚英雄だった彼女は、魔族にはほとんどいない治癒系魔法の能力者だった。
しかしリンクスの記憶では、雷系の能力者だったのではないかと思うほどに怖かった。
実母の記憶のほとんどない彼にとっては、それが母の記憶だった。
敬子も優しそうに見えて、怒ると本当に怖いと白音も言っていた。
今思えばトモエのそれも、母として息子を立派に育て上げようという優しさだったのだと分かる。
分かるが要するにデイジーだろうと白音だろうと、彼女の母親にはとにかくびびってしまうのだ。
そのように刷り込まれていると言っていいだろう。
「蔵間から、ここは仏教系の学園だとお聞きしていたのですが、キリスト教系でしたか?」
「あらやだ、ハロウィンですもの、仮装ですよ、これ。ほほほ」
こちらの世界の事情はかなり勉強したつもりでいたが、そういうの、ありなのか? とリンクスは思う。
板につき過ぎている。
大人が一緒に楽しんでいないと子供たちも楽しめない、そう考える敬子の方針で先生たちも毎年何らかの仮装をしている。
今年は白音が子供たちの採寸をしている時にふと「魔法少女の格好をしてみたい」と敬子が言っていたのを思い出して、一緒にコスチュームを作りましょうかと打診してみたのだが、
「ほほほ、若かったらって言ったでしょ?」
とだけ言われている。
目が笑っていなかったのでそれ以上何も言わなかったら、当日はそういうことになっていたのだ。
「子供たちを悪い魔物から守らないといけませんからね」
そういえばドラキュラの弱点は、今敬子がにこやかに掲げている十字架だったはずだ。
「白ちゃんはあのとおりでしょう? だからどんな方を連れてくるのかとずっと気になってましたのよ」
『あのとおり』がどのとおりなのか分からないが、なるほど今自分が緊張している理由が杞憂などではなくそのものずばり、これは面接なのだとリンクスは思い知る。
「あら、あまり警戒なさらないで。身内の私が言うのもなんですけど、白ちゃんはちゃんと人を見極められる子だと思っています。だから心配はしてないんですよ。ただ、やはり何事も初めてというものはありますので、少しだけ、ね? そしたらその……ちょっと驚いたというか、意外だったというか…………まさかこういうタイプの。いえいえ、悪口ではありませんのよ。あの子もなかなかどうして、と」
『こういうタイプ』がどういうタイプを指しているのかは確かに大体想像が付く。
敬子からは好奇心と心配が半々、といった感じなのが伝わってくる。
「リンクスさんは蔵間理事の会社で働いていらっしゃいますの?」
敬子の目が少し鋭くなった。
普段は説明が面倒になるのでこういう質問には「はい」と答えているのだが今回はやめた。
白音から「お母さんには嘘をついてもすぐばれる」と聞いている。
自分にもその魔術が通じるのかどうかは分からないが、ここはできるだけ誠実に、言えないことは黙っているが、嘘は言わないように話そうと思った。
「ブルームの社員というわけではないのですが、ブルームとは協力関係にある団体を率いておりまして、その……詳細は部外秘になってしまうのですが、蔵間とも一緒に仕事をしております」
「ほほ、誠実な方ですのね。失礼ですけど、おいくつでいらっしゃいますの?」
そこで少し答えに窮してしまった。
魔族は成人を迎えると死ぬまでほとんど見た目が変わらない。
実際には白音の人生二回分は生きているのだが、どう見ても二十歳前後にしか見えない。
なんと答えたものか……。
「あら、年齢はおっしゃれない? まさか何百年も生きている本物の魔物だとか? まあそれなら白ちゃんが酷い目に遭う前になんとかしなくてはいけませんね」
敬子が胸元の十字架に手をやる。
「いや、あの、かなり若く見えるタチでして、信じていただけないかもしれないと思ったものですから…………」
祓われてはたまらない。
「ほほほほほ。冗談ですよ。本当に誠実な方でいらっしゃいますのね。先ほどの部外秘と関係があるのでしょう? 常識では量れないようなことにあの子たちも関わっているみたいですしね。深くは聞きませんよ。異世界事案とかおっしゃってましたかしら」
最後のひと言にリンクスははっとした。
その言葉自体部外秘なのだ。
いつの間に聞かれていたのか分からないが、それだけで何らかの推測ができてしまう単語だ。
「多分あなたは白ちゃんを遠いところへ連れて行ってしまうのでしょう?」
リンクスが少し慌てる。
「ああ、いえ。そんなつもりは」
リンクスはこの世界に渡る時、もう故郷の地を踏むことはないものと覚悟していた。
帰る方法も探したことはあるのだが分からなかった。
そもそもデイジーを救うことだけを考えてこちらに来たし、他には何もいらなかった。
そして今は、白音と共に生きてさえいられれば満足だった。
仮に元の世界へ帰る、という選択肢が示されたとしても、白音がそれを望むのかどうか分からなかった。
彼女にはデイジーだけではない。
白音としての生もある。
大切な仲間たちを置いて、一緒に来いなどと軽々には言えないだろう。
「いえ、それはいいんですのよ。白ちゃんが決めることです。こういう立場ですからね、娘や息子の巣立ちはいつも喜ばしいことです。子離れするのも寂しいけれど慣れています。ただ…………」
「ただ?」
それまで力強いブルドーザーみたいだった敬子が少し言い淀んだ。
「私が言うのは差し出口だとは思うのですが、佳奈ちゃんたちのことなんです。時々この学園にもいるんですけれど、あの子たちは地に足がついていないような、浮き世離れしているような、そんな感じがいたしますの。白ちゃんがもし遠くへ行くと言えば、あの子たちもついて行くんじゃないかと思うんです」
なるほどそれは考えていなかった。
確かに置いて行かれるよりは、見知らぬ異世界だろうとついて行くと言い出す剛胆な子も、あの中にはいそうだと感じる。
リンクスは自分にかかる責任か何倍かに増した気がした。
「あなたは人を率いる立場でいらっしゃるのでしよう? そしてお若く見えるのにいろんな経験をしていらっしゃる。だから白ちゃんだけではなくて、みんなのことも考えてあげて欲しいのよ」
リンクスは敬子の言葉が心の深いところに突き刺さった。
父や母、そして優秀だった兄にはあって自分には無いものがそれだったのだろう。
指導者としての資質。
『顔だけ殿下』と呼ばれた所以でもあろう。
「誓ってそういたします」
リンクスは襟を正して真剣な顔をして応えた。
星石を得た人族など、本当に憎き敵だったのだ。
しかし今はかけがえのない仲間になった。敬愛している。
守るなどとおこがましいことを言える立場ではないが、せめて彼女たちより長生きしている分くらいは助けになってやれればと思う。
「誓うって、こっち? それともこっち?」
ニコニコと敬子は胸元の十字架と、手首に嵌めた数珠を交互に見せている。
いや、どっちだろう…………。どっちでもない気がする。
何年生きても、敬子には到底敵わないだろうなと思う。
「お話ができて良かったですわ。安心いたしました。ごめんなさいね、あの子がすっかり大人になってしまって、最近はあんまり相談してくれないもので、寂しくてつい…………ね。でもね、あの子を不幸にしたら本当に許しませんよ?」
穏やかな物言いだが、内容は佳奈の脅迫めいたやり口とあまり差がないように思われる。
立ち上がって敬子が深々と頭を下げる。
「白音をどうかよろしくお願いしますね」
それは白音の母親としての言葉なのだろう。
リンクスも立ち上がって同じく深々と頭を下げる。
だがしかしリンクスはふと思う。
自分と白音のことを誰に聞いたのだろう?
喋るとすれば莉美くらいのものだが、彼女からの話ならば尾ひれが百匹分くらいついていていいはずだ。
洞察だけでここまで正鵠を射ているのだろうか。
それともやはりなんらかの魔法が使えるというのだろうか。
「お疲れさ…………ま?」
着替えを終えてリンクスを探していた白音は、食堂で生気を吸われてぐったりとしたドラキュラを発見した。
要するにリンクスは母が怖いのです。




