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それでも空虚だ  作者: じぇぱでぃ
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第三話 男性担当課青坂恵

 「6次の隔たり」(six degrees of separation)という言葉を知っているだろうか。世間は想像以上に狭いという意味だ。元はアメリカの実験からきている。その実験は、実験参加者が、研究組織からもらった手紙を、名前や職業、住居地ぐらいしか知らない他人に送るというものだ。予想では100人くらい必要かと思われていたのに、実際は平均してたった5人の仲介者が間にいれば送れたそうだ。

 

 実際に計算してみよう。1人が5人の友人に手紙を送ったとする。その友人たちもまたそれぞれ5人ずつ友人がいて、その人たちもそうだとする。この場合、一番最後に手紙をもらう人と最初の人との間には一人の仲介者がいて、その最後の人までに手紙はニ回移動している。最初の人もこの場合は研究者から手紙を貰っているため、手紙は1+5+25=31の人たちに届けられる。

 要するに、どの人間も同じ数の友人を持っているならば、1+(一人当たりの友人の数)^(最初の人から出発して何人目の人間に手紙が最終的に渡るか)=手紙が届けられる人の総数、になる。この指数部分をステップ数とよぶ。ステップ数は、(手紙を最後に受け取る人までをつなぐ連鎖点の数-1)あるいは(仲介者+1)、と考えても良い。

 

 もしも1人につき10 人の友人がいるならば、五ステップで11万1111人、六ステップで111万1111人に手紙が届けられる。15人の友人がいるならば、五ステップで81万3616人、六ステップで約1,220万人だ。 これだとアメリカどころか日本も網羅できてないように見えるけども、その心配はない。なぜなら、届けるべき相手と同じような特徴を持っていると考えられる”友人“に手紙が渡って行くからだ。例えば、もしも自動車の組み立て工場に勤めている人に最終的に手紙を送りたいならば、手紙を出す人はタイヤなどの部品製造メーカー、鉄鋼などの原料を製造する会社、自動車工場関係の派遣会社、更には自動車販売会社など、ある程度その工場と繋がりがありそうな友人に手紙を送るだろう。そしてその友人も同じことをするのだから、1,200万人にしか手紙を送れないとしても、3億のアメリカ人のうちの特定の1人に手紙を送るのはわけない。

 

 その後も色々と調査がされていて、最終的に手紙を届けなければならない相手が有名人なのかどうか、海外にいるのかどうかで必要な仲介者の人数が変わるが、それでも1~2人の変動で済むらしい。


 僕の場合はどうだろうか。僕の行動範囲はほぼ学校と家に限られるから、僕は他のクラスターとも大きく離れている。男ってだけで有名人みたいなものだけども、学校での交友範囲は、実際はかなり狭い。なぜなら、クラスメイトの女の子たちが、他の学年の女の子たちが無闇に僕に接触しないように壁になっているからだ。だから、僕のクラスメイトから辿るのでもなければ、僕に身近な学校関係者を知らなければ、僕まで辿り着くのはほとんど不可能に近いだろう。”なおと”、”小学生”、”男”。これら3つの要素と地理的な情報が、僕を指し示す最低限の情報だ。


 

 だからこそ、学校とは関係ない人が僕の家の前に立っているのは、驚きだった。

 

 年は三十代ぐらいだろうか。背は僕よりも高い。といっても140cmくらいだろう。丸い縁の眼鏡をしていて、白い紙袋を両手に持って立っていた。特に目を引くのは胸が少し開いた、それでいてしっかりとしたスーツを身につけていることだ。下には白いワイシャツがちらりと見えた。つまり、正装をしているということだ。ちょっとした学校の知り合いが着て尋ねてくるような装いではない。当然、先生や校長などの教育関係者でもない。僕はごくりと唾をのんだ。

 

「あの、隣のお家の人に何か御用ですか……?」


 僕は、帽子を目深く被り、大野の家の玄関の方から声をかけた。


「ええっと、君は……?」


 女の人は大野と書かれた名札を見て言った。僕は警戒した面持ちを見せながら、黙っていた。大野の家の前で突っ立っていたら怪しまれるし、引き返すともっと怪しまれる。僕が大野のふりをするしか方法はなかった。僕だと確信していなければ、男の子だとはバレていないはずだ。この世界は、男の子が着るような服も女の子がよく着ており、女の子の服装は割と自由になっているからだ。もっと言えば、僕は性別が窺えないような自分のあどけなさに賭けたのだった。


「ええっとね、私はこの家の人にちょっと用事があってね、それでかれこれ15分くらい待っているの。もし何時くらいに帰ってくるのか知ってたら、教えてくれると嬉しいな」


 女の人は明るい顔をしていたけれど、声は少し疲れていた。15分待っていたというのは嘘ではないだろう。

 

「……名前」


「……えっ?」


「お名前は?」


「ああ、そうね、失礼だったわ。私の名前はあお――」


「そうじゃなくて、そこのお家の人の名前です。それとあらかじめアポは取っていらっしゃいますか? もしも誰も家にいなかったら、そう尋ねるよう、頼まれているんです」


 これは、本来は大野のお家の役目だ。もしも不審者が家の前にいたら、遠慮なく警察を呼ぶようお願いしているからだ。でも、今は大野のお母さんも留守にしているから、仕方ない。

 僕の家には表札はついていない。だから、もしも布谷の名前を知っているならば、それはちゃんとした理由がある人なのか、それとも念入りに調査してきた危険人物かの二択だ。

 

 万が一の場合でも、大丈夫なはずだ。玄関の前には監視カメラがついているから、お母さんのスマホには、何か動くものがあったと通知がいっているはずだ。当然、カメラの記録映像もリアルタイムで見ることができる。僕は汗を一筋流しながら、それでいて訝しげな表情を崩さずに精一杯努力した。女の人は一瞬たじろき、逡巡した。

 

「随分しっかりしてるのね。私の方で名前を言うのは本当は良くないんだけど、ただお隣だから、当然名前は知ってるのよね。信頼されてもいるみたいだし……なら大丈夫かな……ここのお家は布谷さん。一昨日の夜に電話で約束してるから、きちんとアポは取れてるよ」


 確かに、一昨日、お母さんは誰かと電話をしていた。内容まではわからなかったけど、かなり信憑性が高そうだ。僕はふう、とため息をついた。取り敢えず、ここに来る正当な理由がある人なのはわかった。

 

 ただし、だからといってこの人が安全ということにはならない。

 右腕が少し痛くなって、僕は左手でそっと押さえた。

 

 ――女の人はみんな狼なの。だから気をつけなさい。お母さんが僕に何度そう言い聞かせたことか。誰であろうと女性は警戒してもしすぎることはない。

 

 でも他方で、このまま大野の家の前に立っているわけにもいかない。大野の家の鍵を持っていない以上、立ちぼうけになってしまう。そして女の人をこれ以上待ちぼうけにするのもいささか心苦しい。仕方ない。僕は心の中でそうため息をついた。

 

「そうですか。母なら、もう少しで買い物から帰ってくるはずです。自転車に乗って」


 僕は帽子を外して、挨拶をした。


「初めまして。なおとと申します。お約束になっていたのに、長らくお待たせてしまって申し訳ありません。母に代わって、お詫び申し上げます」

 

「えっ、えっ?」


 女の人は、まだ事態が飲み込めていないようだった。

 

 僕は女の人をやや押しのけるように僕の家の玄関の前に立った。玄関に取り付けられている黒い液晶に右手の人差し指を当てると、ピッという音がして、ドアがカチャリと音を立てて開いた。左手はポケットの中に入れたままだ。正確に言えば、左手はキッズ携帯の小さな赤いボタンに触れていた。このやや硬いボタンを押せばすぐに警察に発信される。


「母はあともう少しで戻ってきますので、それまではどうぞこの中でお寛ぎください」


 

 ――女の人は青坂恵というらしい。僕は青坂さんと紅茶を飲んでいた。ケーキも出そうとしたら、それは固辞されてしまった。もっとも、そうなるだろうと予想していたからこそ、わざとケーキの話をした後に、紅茶を出したのだ。二回も断るのは気が引けるという心理効果を利用したものだ。そして相手が断るかどうかで固まっているうちに、朝に使っていたポットのお湯を使って紅茶を出してしまえば、相手は断るタイミングを逃してしまう、というわけだ。ここまでしたのは、約束の時間が過ぎても根気よく待ってくれている相手に、水だけ出すのは気が引けたからだった。


「それにしても……本当に驚いたわ」


「何に驚かれたんですか?」


「色々よ……色々。男の子がいるっていうのは知っていたけれど、まさかこんなに……」


「普通の男の子とはどこか違いますか?」


「いいえ、別に変なことじゃないわ。ただ、こうして、一人で留守番して、家に人を入れるなんて……」


「とても危険な行いですね」


「いや、そうなんだけど……そうじゃなくて。ええっと、男の子なのにこうして大人の人ときちんと話したりしてるのが凄いなって――それに男の子が住んでいる家であれば、至る所に監視カメラや警報装置があるはずよ」


「しかし、通報がなされてから警察がここに来るまでに十分以上はかかるはずです。防犯装置は事件が起こってから最も役に立つもので、事件を防ぐのに効果があるとは思えません」


 青坂さんは少し言葉に詰まったけど、すぐに話し始めた。

 

「だからそういうところが本当に……こう、すごいわ。ここまで物事を冷静に理解しているなんて……本当に小学生?」


 僕はドキッとした。大人の女性だからといって警戒するあまり、”なおと”がすることからいつの間にか外れてしまっていた。


「いえ、変なことを言ったわ。ごめんなさい」


 青坂さんは一口また飲んだ。


「青坂さんがお知りになっている男の子はどんな感じでしょうか? 同年代どころかそもそも男性に会った記憶がないため、教えていただけると助かります」


 僕は多少開き直って、いっそのこと男の子の振る舞いについて情報収集することにした。

 

「ええっと、そうね……。普通はもっとシャイというか、大人しい子が多いかな。反対にわがままな子もいるけど」


「わがままっていうのは、あれが欲しい、これが欲しい、ってねだったりする人のことですか?」


「それもあるけど、どっちかっていうと、自分を中心に世界が回っているって考えていて、自分の思い通りにならないとすぐに癇癪を起こすかな」


「その理由はなんでしょうか?」


「物を貰ったり、みんなからちやほやれて、そうやって甘やかされるせいかな、やっぱり」

 

「大人しい子もいるという話でしたが、彼らはどうしてそのようになるのでしょうか?」


「ええっと、そうね。みんながあれもこれもやってくれるから、かな。自分でやれることが何もないと、何かやろうっていう気がそもそも起きないのよ」


「でしたら、私は前者に当てはまりそうです。周りの行動に驚いたり、あるいは今自分がいる環境に慣れずに当惑することが多いですから。怒りを覚えることも度々あります」


「だからそう自分で言えるところがね……」


 青坂さんは少し呆れるようにため息をついた。

 


 お母さんはそれから十分後に帰ってきた。3つもある買い物袋から察するに、スーパーの特売に釣られていたら、時間を忘れていたのだろう。お母さんは平謝りしながら、青坂さんと話し続けていた。青坂さんは僕と話していた時とは打って変わって、やや事務的な様子で話していた。笑顔はなくなっていた。

 僕はお母さんの代わりに食材を冷蔵庫に入れる役を買って出た。家のキッチンはセミオープンキッチンだから、うまい具合に身を仕切り壁で隠しつつ、リビングの二人の会話に耳を澄ますことができた。


「――それで、今回のご用件なのですが」


 青坂さんは面会制度のご案内と題されたパンフレットを紙袋の中から取り出し、テーブルの上に置いた。『男児に付与される権利について』というサブタイトルが入った冊子が紙袋の奥にあるのが見えた。


「加藤さんとの面会日のことですね」


 加藤さん。誰だろうか。初めて聞いた。でも誰かと会うためにわざわざ役所の人と話し合う必要があるということは、相当重要な人なのだろう。そう、例えば国が保護しなければならないくらい。

 

「結論から申し上げますと、布谷様は現在、面会権を既に使い果たしている状態です。そのため、今回申請してくださった一日面会権行使願は残念ながら、不受理となりました」


「……まだニ回残っているはずではないんですか?」


「前回の面会の際に、禁止行為に抵触する行為が確認されました。そのため、ペナルティとして一日分の面会日の行使の権利が消失いたしました」


「それでももう一日分残っていますよね?」


 青坂さんは、青いバインダーを取り出して、そこから何かの年間の記録用紙を取り出した。額がわずかに汗ばんでいた。

 

「ご存知の通り、面会権というのは、半年毎に与えられる特別な権利です。布谷さんは前期に1回分だけ残していますが、それは原則繰り越しができず、自動的に消失します」


「でも、繰り越すこともできるんでしょう?」


 青坂さんは、語気を少し強くしながら言った。


「確かに、男性側が繰越を希望した場合は、可能なことがあります。しかし、この面会制度のそもそもの目的は、多数の女性と親しい関係にある男性が、短期間に多くの女性を相手にすることになったり、あるいは女性同士で争うのを防ぐことなどを目的とした制度です。布谷さんの場合はその制度の趣旨を踏まえず、禁止行為に抵触する行為が確認されました。そのようなことも踏まえ、今回は繰越されませんでした」


 お母さんは、手をさすりつつ聞いていたが、まだ納得していないように見えた。すぐに負けじと反論したからだ。


「――でもそれだと、ニ回ペナルティを受けていることになりませんか? だってそうでしょう? 一回分減らされるだけじゃなくて、前期の繰越分も無くなってしまったんだから」


「面会権の繰越は、現状、この権利がなければ女性は男性とほとんど接触できる機会を持てなくなるという事情があるため、男性の配慮で申請されることが非常に多いです。しかし、そもそもそれは、制度の趣旨に反するもので、あくまでも例外的な措置です。そしてこの回数は減らすのが望ましく、そうなるように男性保護局の方から各地方自治体の男性担当課に指導が入っております。男性保護局は、男性の自由を奪っているといった批判を国民の皆様からいただくことが多いですが、その設立事由としましては、男性の健康・幸福の増進を目指すことを掲げています。そのため、今回は布谷さんのペナルティが原因ではなく、あくまでも国の男性福祉向上政策を実現するための措置のためです」


 青坂さんははきはきと話した。努めて中立な、というよりもお役所の方針をそのまま説明して私情を排するような話し方を心がけているように見えた。しかし、男性のために働いている、ということに対する自負が心の奥底に伺えた。男性保護局や男性担当課が実際はどのように機能しているのかはわからないけども、少なくとも本人は男性のためにやっていると信じているのだろう。

 お母さんはしばらく黙っていた。テーブルに右手の肘をつけていて、親指を除く四本の指を空中で丸めていた。


 二人がなんの話をしているのかはとっくに見当がついていた。数が限られた男性と会うための制度を、国が作っているのだ。お母さんはその利用を断られたんだ。わからないのは、お母さんが犯した禁止行為は何か、そしてお母さんがそこまでする加藤という男性は何者か、ということだ。ただ、後者についてはある推測があった。


 

 ――加藤は僕のお父さんだ。


 

 姓が違うのは全く問題にならない。極端に一夫多妻が進んだ世界では、女性が男性の姓を取り入れる、ということは社会的には起こらないはずだ。そんなことを認めたら、同じ姓のひとが大量に生まれることになる。もちろん、同姓同名の人が生じるリスクもその分大きくなる。同年代で、同じ地域というケースも多々あるだろう。そうなったら社会的な不便が余りにも大きい。何かの予約を取るときに間違えられる、といった些細なことだけが問題ではない。緊急事態――突然の怪我や病気、あるいは殺人事件などの場合に何が起こるか、考えるだけで恐ろしい。だからこそ、社会全体で夫婦が同じ姓を用いることを規制する動きが起こるはずだ――実際に調べたわけではないけども、僕はそう睨んでいた。


 そして、加藤が僕のお父さんだと信じることができる、肯定的な理由が二つある。


 一つ目。お母さんが執着してる人と、僕の父親とが同一人物である蓋然性が高いからだ。もしも僕の父親よりも好きな人がいるのならば、もう少し僕をぞんざいに扱っていてもおかしくはない。この仮定では、僕はお母さんが執着している人の子どもではないからだ。


 二つ目。青坂さんの袋にある、男児用の冊子だ。お母さんと加藤との面会について話すのに、なぜ僕を対象とした冊子を持ってくる必要があるんだろうか。それは、僕と加藤に血縁関係があり、なんらかの手続きを踏めば会うことができるからではないだろうか。申請書類が不受理になったからという理由だけで、わざわざ家庭訪問を行うはずがない。


 僕はお父さんに会いたくて仕方なかった。なぜなら、お父さんなら、女の人との接し方や、自分のこと、そしてこれからどのように成長すれば良いのかについて、何か有益なアドバイスをしてくれるに違いないと思ったからだ。もしもあまり会っていないなら、僕が”なおと”でないことがバレる恐れもない。僕は意を決して話しかけた。


「あの、一つよろしいですか?」


 僕は少し驚いた様子の母から目を逸らしながら続けた。


「加藤さんに、私がお会いすることは可能でしょうか?」


 それを聞いた途端、母が飛び跳ねるようにテーブルに身を乗り出した。


「なおとなら、会うことは当然できますよね? だって、男の子なんですから」


 青坂さんは、ほんの少しだけ口元を引き攣らせながら、袋の中から例の冊子を取り出した。


「もちろん、男児が保有する面会権は、非常に強力なもので、最大月に三回、父親と会うことが可能です」


「ですが、それはあくまでも父親も同じように面会することを希望した場合に限ります。今回の場合、加藤さんは布谷さんと面会されることを拒否しているため、布谷さんのご子息である尚人さんとの面会も制限されます」


 お母さんは、拒否、という言葉にほんの少し怯んだ。


「制限というと、具体的にはどのような……?」


「尚人君だけで面会する場合は、月三回まで会うことが可能です。ですが――」


 青坂さんは躊躇いがちに言った。

 

「お母さまも一緒となると、月一回が限度です」


「――っ! だったら、それでも構いませ――」


 青坂さんは手をあげて、お母さんを静止させた。

 

「決めるのは、なおと君です。お母さまではありません」

 

 お母さんは、雷を打たれたかのように、席にもたれかかった。僕の方に何度か目を向け、言葉を何度か出そうとしていたけども、結局何も言わなかった。それから暫くの間、少し考える素振りを見せたり、手でカップをいじったりしていた。青坂さんは青坂さんで、お母さんの方を凝視していて、これまた何も言わなかった。僕はいたたまれない雰囲気の中、ようやく事態が飲み込めてきた。


 一夫多妻制の、国の管理が強いこの社会では、お父さんの時間がそれぞれの”家族“にどのように配分されるのか、かなり細かく決められているのだ。それもそうだ。たとえもしも10人の女性と結婚するにしても、一月あたり三日ごとに1人の女性の家で過ごす、というように綺麗に分かれたりはしないだろう。優遇される女家族とされない家族とが明らかに出てくる。それに、男一人で過ごす時間や新しい家族を殖やすための時間も必要なことを考えると、どこまで個々の家族に最低限の時間が割かれるべきなのだろうか?


 ――僕のお母さんは、加藤さんから好かれてはいない。


 少なくとも、加藤さんは、今はお母さんに会いたいと思ってはいない。そしてそれを、青坂さんは最初隠そうとしていた。なぜなら、男性の利益を優先するのが男性担当課の存在理由だからだ。けれども、同じ男性の僕が父に会いたいという希望を述べたため、それを隠すわけにもいかなくなったのだ。


「今まで私がこの制度を使わなかった、あるいは使えなかった理由は何かありますか?」


 僕は青坂さんに尋ねた。母の様子を見るに、この制度を利用したことは今まで一度もない。

 

「男児の面会権が認められるようになったのは、二年前に男性保護局がそれを認める通達を出してからです。しかも最初は5歳までの男児が対象であったりと、かなり限定されていました。ようやく18歳までの男児の面会権が認められるようになったのは、1月になってからです」


 1月。ちょうど僕が“なおと“であることに慣れず、しっちゃかめっちゃかしていた時だ。僕はちらっと母を見て言った。


「それでは、僕の父の加藤との面会を希望します、母と一緒に」


 青坂さんはじっと僕を見て言った。


「本当にそれで良いのね?」

 

 僕は何も言わず、ただ頷いた。本音を言えば、母は付き添わない方が良かった。しかし、ここでそうすれば、今後の関係にヒビが入るかもしれない。結局は、僕は母と暮らしているし、これからもそうする以上、母の機嫌を損ねかねない選択肢を取ることはできなかった。

 

「なおと、本当にありがとうっ!」


 お母さんが大袈裟に僕に抱きついていた。青坂さんは少しそれを見ていたが、面会のための必要書類を取り出した。


 でも、仕方ないことだろう。どの子どももそうしているのではないだろうか? 自分の希望よりも、母の希望を優先しているのではないだろうか?


 僕はポールペンを手に握り、布谷尚人と署名した。もうそろそろ、秋も終わりに近づいていた。

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