村はずれの家族
乾いた木の扉に鍵を差し込む。
扉はキリキリと音を立てて、口を開けた。
母家の中には夕暮れの光が差し込み、宙に舞う粒子、家具の影を強調している。
一枚の油絵に足を踏み込んだような気分だ。
「ただいまー!」
エノクの声が部屋に響いた。
返事は返ってこない。
「お母さん、まだ出かけてるみたい」
「仕事?」
「この時間には、お仕事から帰ってきてるんだけどね。何か用事なのかも。まあ、上がって待ってれば、すぐに帰ってくるよ」
そう言って、二人は靴を履いたまま母家へ上がる。
自然に靴を脱ごうと思っていたので、驚いた。
倣って僕も靴のまま上がる。裸足で暮らす日本人には、慣れない感じだ。
「お邪魔しまーす……」
蚊の鳴くような声で挨拶をしておく。
家主は不在のようだが、他人の家に上がるのは緊張する。
最後に他人の家に上がったのは、いつだっただろう?
「お腹すいたなー、何かあったっけ?」
エノクは台所らしき所で食べ物を漁っている。
僕も同じ年の頃は、お菓子とか漁ったっけ。
隠されてる方が宝探しのようで、楽しかった思い出がある。
リュッカはというと、渡したユリの花を花瓶に挿していた。
部屋に一輪、花があるだけで雰囲気が良くなった気がする。
失礼かもしれないが、質素な空間だけに、花がよく映える。
「いいの見つけた!」
エノクが見つけてきたものを、テーブルに出す。
「何だこれ?」
「干した魚の切れ端だよ。お母さんがよくアテにしてるの」
アテ? ……ああ、酒のアテのことか。
干魚の切れ端と一緒に、二人が採った木の実もある。
ここにビールでもあれば、大人はご機嫌になるだろうな。
……そういえば、こっちでは何歳から飲酒できるんだろう?
もしかすると、僕の歳なら飲めるかもしれない。
酒の楽しみを一足早く、覚えるのもいい。
エノクは横長の木椅子に座ると、漁ってきたアテを食べ始めた。
立っていても仕方ないので、とりあえず、僕も対面の椅子に座る。
うまそうだけど……食べていいのか? エリカさんの楽しみなのに。
「そんなに食べて大丈夫か、お母さんのアテなんだろ?」
「大丈夫だよ、また採るし。お兄ちゃんは生き返ったばかりなんだから、食べれる時に食べとかないと」
そう言われれば、目が覚めてから何も食べてない。
腹が鳴らなかったから、気づかなかった。
悪いと思いつつも、干し魚がやたらとうまそうに見えてきた。
「……隣に座ってもいい?」
胃袋の機嫌を伺っているところに、リュッカが声をかけてきた。
隣というのは、僕の隣のようだ。
「もちろん。リュッカがよければ」
「……嫌なら聞かないよ」
それもそうだ。
てっきり、まだ警戒されているものかと思っていたから、意外だった。
仕方ないとはいえ、家に招いてくれたのもリュッカだ。
僕が思うよりも、心を開いてくれているのかもしれない。
……むしろ、僕の方がどこか疑っているフシがあるくらいだ。
尻を横にずらして、等分のスペースを作る。
空いたところに、ちょこんとリュッカが座った。
ただ座るだけでも、可愛らしさがあるのは不思議だ。
小さい姪っ子とかいたら、こんな感じなんだろうな。
「お水はここにあるから、自由に飲んでいいよ」
リュッカは机にあった水差しから、木の器に水を注ぐ。
ついでに、もう一つ器に水を注いで、渡してくれた。
「あるがとう。いただくよ」
透明な水を喉に流し込む。
特に臭みや雑味もなく、僕でも問題なく飲める。
空っぽの胃袋に、そのまま水が流れ込むのがよくわかる。
「……」
胃袋が空っぽというのは、こうも寂しかったろうか?
そこに何か、出来れば美味いもので満たしたくなる。
……目の前にあった、干し魚の切れ端を齧ってみた。
若干、川魚らしい匂いは残るが、ほんのりと旨味を感じる。
それが噛むたびに、唾液に染み出して、口に広がる。
干し魚って、こんなに美味かったんだ。
「ただいまー」
扉の方から、女性の声が聞こえた。
「お母さん。おかえりー!」
「……おかえりなさい」
「遅くなったわねーーって、エノク、また私の楽しみを!」
「だってお腹すいたんだもん。また、いっぱい採ってくるよ」
「まったく、誰に似たんだか。……あら?」
帰ってきた女性と目があった。彼女がエリカさんか。
やはり、この人も褐色の肌と白い髪をしている。
長く伸ばした白い髪は、丁寧に結われて、おさげになっている。
リュッカが大人になると、あんな感じになるのかもしれない。
……しかし、気の強そうな目は、エノクの方に継がれているようだ。
「今日は変わったお客さんがいるわね」
彼女の目が少し鋭くなる。
反射的に立ち上がり、姿勢を正す。
「お邪魔してます、僕はアダムと申します」
ペコリとお辞儀をして、謙虚面を披露する。
「私はエリカ。君は二人の友達?」
「友達というよりは、命の恩人です」
「エノク」とエリカさんが言う。
「なに?」
「説明しなさい」
「生き返ったから連れてきた!」
「リュッカ」
「……村に入れなかったから、とりあえず連れてきたよ」
「――なるほどね。ということは、この子が話してた遺体の子なのね」
やれやれと、彼女は額に手をやってため息をつく。
面倒なことを抱え込んでしまった、という顔だ。
何だか申し訳ない。
二人は昨日、僕を見つけたことを、エリカさんにも話していたようだ。
「……生き返った気分はどう?」と、エリカさんが尋ねる。
「まだ夢を見てるような感じです。とりあえず、二人に見つけてもらって良かったと思ってます」
「生き返ったのことは否定しないのね。……まあ、行くあてがないなら、ゆっくりしていきなさい」
今度は追い出されなかった。
それが分かって、自然に体の緊張が解ける。
とりあえず、野晒しで夜を過ごすのは避けられた。本当によかった。
「ありがとうございます!」
少し遅れて、深々とお辞儀をした。
声の大きさにも、自分の感謝が表れていた。
「村に入れなかったってことは、追い出された?」
「はい、僕が怪しいのでダメでした」
「まあ、服も変わってるからね、それに生き返ってるわけだし。マルケが通すはずもないわ」
「マルケ、さんですか?」
「門番の人だよ。実は僕たちの叔父さんなんだ」とエノクが言う。
そうだったのか。
二人と親しいふうにしてたのは、そういうわけか。
「相変わらず頑固者ね。門番にはそれくらいが丁度いいんでしょう」
当たり前だが、二人の叔父さんということは、エリカさんの兄弟ということだ。
……しかし、そんなエリカさんは、なぜあの塀の内で暮らしていないのだろう?
「あら。リュッカ、その花は?」
花瓶の白い花に気づいたエリカさんが、リュッカに尋ねる。
「これ? ……ユリの花って言うんだよ」
「初めて見る花ね。綺麗よ」
「ありがとう。……実は、アダムさんがくれたんだ」
「へえ、そうなの」
リュッカは嬉しそうに、ユリの花を愛でている。
エリカさんの横顔も、そんなリュッカを見て嬉しそうだった。
「ーーそうだ。アダム、行く宛がないなら、仕事をしてみる気はある?」
突然、エリカさんが尋ねる。
「仕事ですか? ……そうですね、食い扶持は自分で稼ごうと思います」
「そう。ーーなら、住み込みで働いてみない?」
「住み込み、どこでですか?」
「ウチで」
エリカさんは、エノクの隣に座ってこちらを見る。
頬杖を突きながら、面白そうに、僕の反応を待っている。
「……ちなみに、仕事というのは?」
「主には農業よ。うちはそれで生計を立ててるの。でも、見ての通り人手が足りてなくてね」
「そこで僕を雇うと」
「そういうこと。家事手伝いもお願いすると思うけど、食事と部屋を用意するわ。行く宛がないなら、悪くないんじゃない?」
見ての通りとなると、この家は今いる3人だけなのか。
……つまり、あの姉弟の父親はどういうわけか、不在ということになる。
「いいんですか、僕みたいな怪しいのを雇って?」
「そんなのは気にしなくていいの。――問題は君がやるのか、やらないのか。それだけよ」
二児の母とはいえ、まだ若そうなのに肝が座った人だ。
僕にはエリカさんの息子と娘に、見つけてもらった恩がある。
それに、“異世界“で生きていく術を、他にまだ知らない。
――とすれば、答えは自ずと出たのだった。
「やります。働かせてください!」
「よし、よく言った!」
そう言って、エリカさんは手を差し出す。
一瞬、行動の意味がわからなかったが、すぐに思い当たった。
エリカさんの手をとり、握手を交わす。
「これで契約成立。ようこそ、我が家へ!」
こうして僕はエリカさんの家へと迎え入れられた。
最初の仕事は、夕食の配膳にはじまった。
“異世界“での初めての夕飯は賑やかで、温かかった。