第一村人、発見
東の水平線から光が昇る。今日もまた、世界は1日を迎えるのだ。
瞼の裏に微かな熱を感じる。意識が光を求めて、覚醒を始めた。
――おはよう、現実。
そう心に唱えて、瞼を開く。その瞬間に気づくのだ。
僕の運命がひっくり返ったということに。
澄んだ青空と、生い茂る緑の枝葉が揺れている。
そして、あるはずの天井がない。
僕は自室のベッドではなく、身体のサイズにぴったりの、箱か何かに収まっている。
ゆっくりと身体を起こし、辺りの光景を見回す。
360度、どこを見ても空以外は、鬱蒼とした森に囲まれている。
その景色の中には人工物らしき物もあった。
正確な長方形していて、表面は灰色の鉱石に見える。
あれは、恐らく石棺だ。
それが幾つも埋まっていたり、雑に捨てられたりしている。
そして、今しがた僕が収まっているこれも、石の棺だった。
――自分でも不気味なくらい落ち着いている。僕以外の何もかもが変わってしまったというのに。
ぼんやりしていると、どこからか花の香りがした。
香りの正体は白い花だった。
それは僕の胸元に添えられている。
この花はどこかで見た気がする。
確か、ユリの花だっただろうか?
花を手に取り、石棺から起き上がる。
まるで、死人が生き返ったかのような光景だ。
全身についた土埃を払うと、お馴染みの服装が現れた。
ネイビーカラーのスクールジャケット、白いカッターシャツ。
青地に縞模様の入ったネクタイ。グレーのスラックス。
僕が通っていた高校の制服だ。
どうしてこんな格好で、こんなところにいるのかも解らない。
「あーーっ!!!」
びくりと身を屈める。
――なに!?
声の方に目を向けると、少し離れた小高い場所に子供がいた。
「お兄ちゃん、もしかしてー!」
もしかして!?
「生き返ったのー!?」
生き返った……のかどうかは、自身にもわからない。
死神は“転生“と言っていたし、そういうことなのか?
「……もし『そうだ』って言ったら、どうするー?」
「そうだったらー……すごーい!!」
そう言って、子供が勢いよく駆け降りてくる。
躓いて転びそうで、こっちがヒヤヒヤしたが、何事もなく僕の方まで辿り着いた。
褐色の肌をした子供は、期待の眼差しをこちらに向けている。……まいったな。
「こんにちは」
「こんにちは!」
とりあえず挨拶をしてみると、元気の良い返事が帰ってくる。
挨拶が通じたということは、まさか日本のどこかだったりするのだろうか?
「ねえ、君」
「僕はエノクだよ」
「……エノク。突然だけど、ここは何ていう場所か教えてくれないかな?」
「ここ? ここはねえ……僕たちは『棺の森』って呼んでるよ」
見たまんまのネーミングだな。
そんな森には絶対に入りたくない。
……質問の仕方が良くなかった、聞き方を変えよう。
「エノクはどこから来たの?」
「すぐ近くにある村だよ。シタッカ村っていうんだ」
シタッカ……少なくとも、住んでいた地域では聞いたことがない。
そもそも、村と呼べる場所もなかった。
そんな所にいる理由に心当たりがあるとすれば、あの夢しかない。
「ねえ、お兄ちゃん」
「ん?」
不意にエリクが声をかけてきた。
「お兄ちゃんは、どうしてこんなところで死んでたの?」
「……死んでた? 僕が?」
「うん。昨日もここに来た時に、棺の蓋が開いてたんだ。そしたらお兄ちゃんが眠ってたの」
どうも僕は、昨日からここで死んでたらしい。
僕は自宅のベッドで寝てただけなのにな。
夢は一向に覚めないし。
いよいよ、受け入れるしか無いのかもしれない。
僕は死神の言うように死んで、夢で選択した。
――そして、この“異世界“に“転生“した。
少なくとも、精巧なドッキリを仕組まれていると考えるよりかは、合理的だと思う。
「……どうしてだろうな。それが、僕にも解らないんだよ」
「そうなんだ、変なこともあるんだね」
「全くだよ」
「でも……」
「でも?」
「生き返ってよかったね、お兄ちゃん!」
エノクは無邪気な笑顔でそう言った。
「……そうだな。生き返ってよかった!」
よくわからないけど、エノクに釣られて元気が出た。
死んだっていうのに、生きてた時よりもポジティブな気分だ。
僕の“異世界“はここにあった。何はともあれ、死んでよかったかもしれない。
――エノクー! どこー!?
近くで、違う子供の声が聞こえる。
エノクを探しているようだ。
「お姉ちゃんだ! お姉ちゃーん、ここだよー!!」
すると、先ほどエリクが立っていた場所に、少女が現れた。
とりあえず、軽く手を振っておく。
彼女の怪訝そうな表情とは対照的に、足元のエリクは嬉しそうに手を振っている。
「あ、そうだ! お兄ちゃん、名前教えてよ!」
「名前か。そうだな、僕は……」
前の世界の名前は、はっきり憶えている。
しかし、それはすでに死んだ人間の名前だ。
異なる世界で生きるのに、わざわざ嫌いな人間の名前で生きたくはない。
何かいい名前はないものか……。
ふと、夢で見た一枚のカードを思い出す。
両手に心臓と砂時計を乗せた、裸の人間。
その姿は“とある人間“にそっくりな気がしていた。
死神はカードのことを、因果を決めるものだと言っていた気がする。
……それなら、恐れ多くも“彼“の名前を借り受けよう。
裸ではないが、“異世界“の大地に“転生“した人間として。
「僕の名前はアダム。――ただのアダムだ」
・・・・・・・・・
「だから、お兄ちゃんは悪い人じゃないって!」
「でも、どこから来たかも分からないし。それに……昨日は死んでたんだよ?」
鬱蒼と茂る林道を歩く側で、小さな姉弟が言い争っている。
「生き返ったんだし良いだろ? リュッカはいつも心配しすぎなんだよ!」
「でもぉ……、生き返るなんて変だよぉ……」
彼女の感想は至極真っ当だと思う。
それはこちらの“異世界“でも同じらしい。
エノクの隣で恐る恐る、こちらの様子を伺う彼女はリュッカという。
エノクと同じ褐色の肌で、弟よりも白い髪を伸ばしている。
彼女はエノクの姉に当たるが、怖いもの知らずな弟と対照的に、彼女は臆病な性格と見てとれる。
しかし、この場合、生き返った人間を見て怯えないエノクの方が変だと思う。
“異世界“に放り出されて、疑われたままというのは不安だ。
ここはどうにかして、リュッカの不審感を払拭してみよう。
「そういえば、二人はどうして森の中にいたんだ?」
「僕たちは山菜を採りに来たんだよ。……ほら!」
肩から掛けたポシェットの中身を、エノクが見せてくれる。
中には薄緑の木の芽や、小さな赤い実が入っている。
「すごい、沢山採ったな」
「えへへ!」
エノクは嬉しそうに笑っている。……さて、ここからだ。
「……リュッカはどんなものを採ったんだ?」
「え?」
目を丸くして驚いている。
まさか話しかけられるとは思っていなかったようだ。
「もしよかったら、見せてくれないかな?」
逡巡したのちに、それくらいならという様子で見せてくれる。
彼女のポシェットには木の芽や実の他に、薄紅の花も覗いていた。
「その花には名前があるの?」
「……ネンナの花っていうの。村ではそう呼んでる」
「そうなんだ。綺麗な花だね」
「うん……」
……一応、話すことはできたな。
しかし、ここからどうすればいいか検討もつかない。
無関心には慣れっこだったが、ここまで疑われた経験は意外にもない。
“異世界“での最初の課題は、信頼を築くということか。
……難題の予感だ。
「……お母さんが好きな花なの」と、リュッカが口を開く。
「それじゃあ、お母さんのために?」
「花を見せたら、いつも喜んでくれるの。それで部屋に飾るんだ」
母親の話をするリュッカの顔は、子供らしく綻んだ表情になる。
「なあリュッカ、よかったらこの花も飾ってやってくれないか?」
「え?」
上着のポケットに挿していた白い花を差し出す。
この“異世界“で目覚めた時に、持っていたものだ。
「わあ、白くてきれい……。もらってもいいの?」
「これはユリの花って言うんだ。リュッカに飾ってもらえれば、きっとこの花も喜ぶよ」
「ありがとう。……大事に飾るね」
リュッカは笑顔でユリの花を手に取る。
その距離は先ほどよりも、1歩近づけた気がする。
「言ったろ、お兄ちゃんは悪い人じゃないって」
「……でも、生き返るのは変だよ」
そのやりとりに、吹き出しそうになる。
仲の良い兄弟って、いいもんだな。
元気すぎるエノクと、臆病なリュッカの二人に連れられて、林道を抜ける。
開けた景色の先には、一面に広がる畑と小さな村が見えた。
「あれがシタッカ村だよ!」と指差して、エノクが駆け出す。
「待って、エノク!」その後を、リュッカが心配そうに追いかける。
僕も小走りで二人の背について行った。
そういえば、体育の授業以外で走ったのは久しぶりかもしれない。
穏やかな景色の中、風が優しく頬を撫でる。
それだけで気分が高揚していた。