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異世界:コンティニュー  作者: マキナ
プロローグ
1/10

プロローグ:現実世界

 ――おはよう、現実(せかい)


 飽きもせず、そう心に唱えて短い夢を終わらせる。

 微睡む意識で身体を起こし、カーテンを開け放つ。

 瞬間、光が網膜を刺激する。

 布団の中に隠れたい衝動に駆られるが、培った義務感がそうはさせない。

 布団の暖かさを振り払うと、光に追い立てられる様にして自室を出る。

 寝ぼけ眼で階段を降りていく。


「おはよう」


 キッチンに母の姿が見えたので、気の抜けた挨拶をする。

 母はこちらに背を向けて、忙しく朝食を作っている。

 

 朝食を囲むテーブルには先客がいた。

 ダイニングチェアに座り、新聞を眺めるのは父さんだ。

 朝から小さい活字の羅列を、大きめの老眼鏡をかけて読んでいる。

 僕は何も言わずに席に着いて、朝食ができるのを大人しく待った。


 少しして、母ができたての朝食を並べていく。

 トーストに、スクランブルエッグとベーコンが、一枚の皿で主張し合う。

 その横で、美しい黒のコーヒーが香りを漂わせている。


「いただきます」


 ーーと心の中で言って、朝食に手を伸ばした。

 ナイフとフォークが踊る音と、トーストが裂ける音が空間に満ちる。

 これはきっと最高の朝食に違いない。

 ……そう脳天気に思えたら、どんなによかっただろう。

 朝食の音が聞こえるのは、静かだからだ。

 静かなのは、誰も喋らないから。

 そして、誰も喋らないのは、誰も喋りたくないからだ。


 テーブルを囲むこの3人は『家族』と言う言葉で、かろうじて繋がっている。

 母は父を見ないし、父は母を見ない。二人は僕を見ない。

 その様子を見て、僕は緩やかに絶望を受け入れている。

 そろそろ限界だな、と他人事のように『家族』の現状を受け入れるしかなかった。


 ・・・・・・・・・


「行ってきます」


 久しぶりに言ってみた言葉に、返ってくる言葉はない。

 期待をすると、いつも小さな後悔が積み重なる。

 それでも期待をやめられない、自分が滑稽だと思う。

 扉に鍵をして、学校へと向かった。

 学校へ近づくたびに、若い声が次第に増えていく。

 混ぜこぜの会話の中にいると、ミキサーの中に放り込まれた気分になる。

 いっそう口を固く結んで、ただ真っ直ぐ、等間隔の歩幅で歩く。

 目立たず、僅かに早い程度のスピードを保つ。

 少しずつ、制服の一団から離れていく。視界から制服がいなくなる。

 しかし、そんな奇行が目に止まったのか、信号は赤色の光をぼんやり灯す。

 横断歩道の前に、すれ違ってきた制服と声が入り乱れる様になった。

 僕はその中で息を潜めている。バレないように。


 ――ゴウッ!!


 その時、突然、大きな塊が目の前を通り過ぎた。

 後からやってきた突風が頬を叩き、髪を乱した。

 周りを見ると、他の生徒も身体をかがめていた。

 何が起きたのかはすぐにわかった。

 すでに小さくなっているが、遠くにトラックが見える。

 それはみるみるうちに遠ざかっていく。

 制限速度を軽々とオーバーしているのは、目に見えてわかった。

 あんなイカれた運転でよく捕まっていないな。

 誰かが犠牲になるまで、あんなのが走り回るんだろう。

 憤りとやるせなさがよぎる。数秒ともたない儚い感情だった。

 

 ……もし、あと一歩、歩道から踏み出していたら僕はどうなっていただろうか?

 地上から跳ね上がって、着地する頃にはバラバラかな。

 全身から血を流して、肉の塊へはや変わり。

 想像するだけで、おぞましい死に方だ。

 ーーしかし、僕にとって、そう悪いことじゃないかもしれない。

 

 青信号になって生徒が後ろから流れていく。

 僕は少しの間、歩道と横断歩道の境界を見つめていた。


 ・・・・・・・・・


「ただいま」

 

 ーーと、口にはせず、玄関から自室に直行する。

 階段を上がる途中、母の部屋の扉が開いていることに気づいた。

 最近、母はああして扉を閉めずに出かけることが増えた。

 意図は部屋の中を見れば明白だ。

 見る度に部屋の物が減っている。

 花瓶、服、本、写真、家族の写真。

 この家にいた痕跡を少しずつ消している。

 父はちゃんと気づいているだろうか?

 もしかすると気づいていないかもしれない。

 母の言葉にならない訴えは、多分、無駄に終わる。

 あの父親はすでに家庭に興味がない。目を見ればわかる。

 母はどこへ出掛けているのか。何を期待しているのか。

 その期待がもたらすのは、きっと小さな後悔だろう。

 

 部屋着に着替えてベッドに倒れる。

 精神的な疲労は、へばりつくような気持ち悪さがある。

 ただ消耗するだけの徒労。得られるものは何もない。

 仰向けになったまま、天井を数分見つめる。

 おもむろに、ベッドに放っていたタブレットを起動する。

 ○ーチューブも、AVにも飽きた。

 もっと都合のいいものがいい。

 そんな時に見つけたのがラノベだった。

 ラノベってのは現実離れした美少女が表紙を飾ってる小説のことだ。

 あと、主人公が何やかんやして美少女に言い寄られてるなら、それがラノベだ。

 ラノベは気軽に読めるし、生々しい人間模様が苦手な僕に丁度よかった。

 複雑な人間関係とか、ヒューマンドラマとか、そんなものをありがたがって見る気にはなれない。

 ウチの家庭状況も“ヒューマンドラマ“と銘打てば、売り物になるだろうか?

 ラノベというジャンルは、そんな現実への当て擦りのようでいて、笑いが込み上げる。

 “異世界系“というジャンルのラノベは特に面白い。

 このジャンルでは、まず現実での主人公が死ぬ。主人公は人生詰んでいるようなヤツだ。

 冒頭に主人公が死ぬと、別の世界で、別の人間として生き返る。

 それが“異世界転生“だ。そして、なぜか授かったチートスキルで傍若無人の限りを尽くすという、心温まるストーリーが展開する。努力も正義も時代遅れさ。

 ちなみに、最近はパーティーから追放されるやつが流行ってるらしい。今度読んでみよう。

 

「……」

 

 ページをテンポよく捲っていく。

 字数が少ないのと、読み飛ばしても問題ないから、気負って読むこともない。

 ジャンクフードじみた読み応え。体に悪いとわかっていてもやめられない。

 ……今回は推しのキャラが登場しなかった。不人気キャラが推しというのは不便だ。


「……はあ。異世界、行ってみたいなー」


 なんとなく独りごちる。

 こんなセリフが出るなんて、僕も()()()()だな。


 “異世界“に比べれば、アトランティスだとか、ムー大陸の方がまた現実味がありそうだ。

 けれど、もしも異世界に行けるチャンスが目の前にあったとしたら……。


 今朝の出来事を思い出す。あのトラックのことだ。

 暴走トラックが本当に僕を跳ね飛ばし、僕を粉砕したならば。

 その先にあっただろうかーー異世界転生が。


「……寝よう」


 この現実逃避には欠点がある。

 目が疲れることと、長く読めないことだ。

 まあ、どちらも僕の欠点で、このラノベに非はないのだけれど。

 

 薄いタオルケットをかけて目を瞑る。

 

 死んだ先に救いなんてない。

 あったとしても、天国か地獄の二択だろう。

 そして、天国へ行けるほど、善性に自信もない。

 生きている僕の真の幸福は、眠れることだけだ。

 眠りは一時でも、現実との距離を遠ざけてくれる。

 毒のように、ゆっくりと精神を蝕む絶望から逃げ出したい。

 

 だけど……僕は逃げ出すための勇気すら持たなかった。

 ただ、何もできずに全てが終わる時を、じっと待っている。

 こんな暗い生き方しか出来ない僕が、情けなくて、惨めだった。


 閉じた瞼から雫が溢れる。雫は枕の染みとなって消えた。

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