人間野菜
ぎぃー……、ぎぃー……。
錆び付いた古いぶらんこが風に押されて小さく揺れている。
木々が暗く茂る森の中。
奇妙に、ぽっかりと空いてしまった空間にぶらんこが並ぶ。
ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ。
横一列に並び、そこから直角に折れてL字型。
むっつ、ななつ。
ぎぃー……、ぎぃー……。
誰も座らないぶらんこが、風に押されて揺れる。
曇天の空。
奇妙な静けさで染まる景色の中に、ぶらんこは揺れている。
クスクス、クスクス、くすくす、くすくす、フフフっ。
あはは。
笑い声。
人影はなく。
ぎぃー……、ぎぃー……。
ぶらんこは揺れる。
ぐすんッ、と泣き声。私の声?
「人参かな?」
幼子の声。
いつの間にか、ぶらんこに人影がひとつ。
人?
おかっぱ頭の市松人形。
に見える。
人?
髪の毛がぶらんこに合わせて前へ後ろへと揺らめく。
瞬きをしない目が私を見つめる。
黒い瞳でこちらを見つめるその子の表情は、まるで人形の様に固まったまま。
「人参かな?」
繰り返される言葉。
その子の口元は動いていない。
語りかけられているのは、私?
でも声は出ない。
「違う。山葵」
別の声。
ぶらんこに、新しい人影。
最初の子と同じで、おかっぱ頭の市松人形のよう。
「山葵」
「そう。山葵。でも失敗した」
「じゃあやっぱり人参だ」
「なんで」
最初の子は答えない。
「人参だ人参だ人参だ。にーんじーん」
声は朗らかな幼子。
でも表情は動かない。固まったままで、まるで人形のよう。
二人の視線は私に向いたまま。瞬きはせず。
「どうして失敗したのかしら?」
新しい声。人影。人形。
「失敗した」
「どうしてかしら?」
「失敗したから」
「何を失敗したのかしら?」
「育て方を失敗した」
ため息。
彼らの口元は動いていない。
「違うだろ」
また、新しい声。皆と同じ市松人形。
「どうしてかしら?」
「間違えたのは環境だろ」
「どうしてかしら?」
「そいつはお綺麗な環境でしか適応出来ないだろ」
「どうしてかしら?」
「どうしてだろ」
動かない表情のまま、首を傾げる。
一列に並んだ五台のぶらんこは、四台が埋まっている。
あと一台が埋まれば、残すはL字の短辺の二台。
全部埋まるとどうなるのだろうか。
一列が埋まっても何か起こるのだろうか。
ここは何処なんだろうか。
私の視線は、どうして人形たちよりも低い位置にあるのだろうか。
私の身体は――何処にあるの?
感覚がない。どうして。どこなの。どうなるの。なんでこんな事になってるの。
「くずだから」
新しい人形。
でもそれは、列の最後じゃなかった。
一台を残して短辺の方に現れた。
「違うだろ」
「違わないから」
「くずはどこにだって育ってるだろ」
「間違えてるから」
「お前だろ」
「私が言ってるのは屑だから」
「葛だろ?」
「屑だから」
「葛だろ?」
「屑だから」
暫く同じ問答を繰り返し、語気は強くなり。
それを新しい声が止める。
「あなた達、喧嘩はやめなさい」
最後の一台。現れたのは他と同じ市松人形の様な見た目。最後の人形だけは髪が長い。腰ほどまで伸びる髪がぶらんこの動きに合わせて揺れる。
ぎぃー……、ぎぃー……。
さらさら、さらさら。
「屑かどうかは私達が決めることではありません。重要なことでもありません」
「失敗した」
「そうです。失敗しているのかそうじゃないのか。気にするのはそこです」
「どうしてかしら」
「仲間になるのか見極めるためです」
「失敗だろ」
「それを皆で見極めるのです」
「失敗しかないだろ」
「あなたはどう思いますか」
「失敗かしら」
「あなたは?」
「人参!」
「そうですね」
薄暗い森の木々がざわめく。
最後の一体以外のぶらんこが激しく揺れ始める。
ぎぃー! ぎぃー! ぎぃー!
「見極めると言いましたが、直接確認するのが一番手っ取り早いでしょう」
かたかた、カタカタ。
ぶらんこに揺られたそれらの口が動く。
開いて、しまって、単調な動きを繰り返す。
まるで人形のよう。
かたかた、カタカタ。
まるで笑っているかのように、何度も何度も。
かたかた、カタカタ。
「それでは早速」
髪の長いそれが、立ち上がる。
瞬きのしない目、固まったままの顔、カクカクとぎこちない動きで近づいてくる、それ。
なんなの。何をするの。ここは一体どこなの。
目の前に人形、の足。
「さて。それでは早速、収穫を」
しゃがみ込む人形。こちらに腕を伸ばす。
ボコッ、と小気味よく音を鳴らして引き抜かれた、私。
「これは見事に、失敗ですね。おめでとう」
まるで人形のような私の身体。
裸ではなく、それはただの人形の身体。
なんなの。
「あなたは人間になりきれない失敗作、人形です。変われない。何もできない。気持ちを出すことも出来ず、為されるがままに。それでもやはり変われず。成長もこれ以上はしない。あとは枯れてゆくだけ」
なんなの。
「安心してください。あなたは一人ではありません。彼らはあなたの仲間です。席がひとつ空いておりますから」
なんなの。
「ただし、気を付けて下さい。席が空いたと言うことは、そこに居た誰かが居なくなったと言うこと。成長を失敗した人形が並ぶ場所。これ以上を見込めない人形が並ぶ場所。そこから弾き出されると言うこと。それが意味すること」
なんなの。
「好みではない野菜は選んで貰えません。味の悪い野菜も選んで貰えません。形の悪い野菜さえも選んで貰えません。それでも食べることは出来ます。けれど。腐って落ちて蹴られて踏まれてしまったものは、それはもう誰の目にも止まりません。気にもしません」
なんなの。
「気を付けてくださいね。それでは移動しましょうか、私が運びます」
「どうですか、このぶらんこは。動けないあなたを動かしてくれます。気持ちを表現出来ないあなたでも、これなら楽しそうに見えます」
「気にしないで下さい。あなたはそのまま動かずとも良いのです。それでもぶらんこは動き続けますから」
「ただまあ、あなたが居なくとも動き続けますが」
「さあさあ。貴方にも着物を着せましょう。不出来なそれを隠しましょう。さあ、これであなたも私達の仲間入りです。これから永く永く、よろしくお願いしますね」
ぎぃー……、ぎぃー……。
薄暗い森の中。曇天の空の下に奇妙にぽっかりと空いた空間にぶらんこが並ぶ。
風に吹かれる木々、葉が擦れざわめく音に紛れて、どこからか声がする。
「なんなの」
かたかた、カタカタ。
完