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野分の風と有平糖。

 野分の風がミシミシ、ガン!ガラガラガラ、ザッザ轟々と庭木をゆすり引きちぎり、荒らし我が物顔で暴れまくっている。漆喰の塗り壁の隠れ座敷の中とは、まるで別の世界。天井近くの明り取りの窓から、僅かに降り注いで聞こえるだけ。濡れ縁に面した細工の格子戸は、表から板戸が貼られている。


 私がここに入り浸る為に、掃除も手入れもきちんと行き届いている。一族に迎え入れられない妹も、当番の下女がひとり通いで世話をしている。何という歯痒い!私が当主の座なら、当番制等にせず、きちんとした者を始終侍らせるのに、いや!手元近くに呼び寄せるのに。



「ここにいらしてて、大丈夫ですの?お部屋を抜け出して、怒られやしませんか?」


「ここが、いいわ。分厚い壁が守ってくれるもの、大丈夫。心配しなくてもいいわ、私がここに来ていると皆は知っているから」


 蝉時雨降る盛夏の折でも、ひんやりと涼やかなここは、私の母が、生まれつき身体の弱い腹違いの妹を、引き取る時に病療養の為と言い繕い、わざわざ手を入れた押し込め部屋。板戸が閉められ偽の夜が来ている。


 私の部屋から運ばせた、燭台がいくつか。昼間なのに、高直な百目蝋燭の灯りの中に私達はいた。


「お義母(かあ)様に叱られませんこと?」


「ふふ。そんなにちいさな子供では無い、そう心配なさんな。気鬱はいけない。そう、お菓子を持って来たのよ、食べましょう」


 不安そうな妹を慰めようと、私は袂にぽとりと落としていた紙包みを、ひとうつ取り出す。きゅっと捻られている口を開くと、中には今流行の三角の飴菓子。赤い色のそれは梅のホシと呼ばれている。


「わあ。赤い、とてもきれい」


「起きて大丈夫?」


 白い褥の上で、身体を起こして座ろうとする妹に手を貸す。ほっそりとした指先につまむ有平糖を、嬉しいそうに見ながらこくんと頷く。その様子にほっとしながら、身体が冷えぬ様にと、私のお下がりの羽織を肩に着せかせ、運ばれている急須から、二人分の茶を注ぐ。視線に気がつく。顔を上げると日に焼けぬ白い肌をした妹の顔がある。


「なあに?じっと見て」


 長崎に店を持つ廻船問屋から手に入れた、硝子の茶碗を盆の上に乗せながら話す私。恥ずかしそうに目を閉じる妹は、鼻をすんすんと鳴らす。目を開くと、いつもの様に話を始める


「瓶付け油の良い香り」


「ああ、髪を結い上げたばかりだから、どれ漉いてないようね、およねは何をしているのかしら」


 持ってきた巾着を手に取り、彼女の背に回る。手ぬぐいを取り出し細い肩に広げる。持ってきた柘植の櫛で、そろりと妹の髪を漉いてやる。


 ジジジ……蝋燭が鳴く。ミシミシミシ、離れが鳴く。ガタガタが、板戸が鳴く。隙間からひゅうひゅう風が鳴く。


「最近……、おねえさまと、何も出来ておりません、三味が寂しがっています」


 ポツリとつぶやくと、深く大きく咳こむ妹。慌てて私は身をよじり、枕元に据え置かれている小さな土瓶から、煎じ薬を湯呑に注ぐ。ありの木の花が散り、小さな実が成りかけた頃から、ぱったり具合を悪くしている彼女。


「ほら、早く飲んで、ゆっくり、ゆっくりね」


 湯呑を口元にあてがいそろりと飲ませる。ゴホゴホと身を折り硬くしている背中をさする。痩せてしまったのだろう、手のひらに当たる骨が悲しくなる。元気な折は結い上げていた髪もここ最近は洗い髪そのまま。


 咳はなかなか止まらかなった。その合間を縫い、ようよう薬湯をひとくち飲下す妹。湿り気が入って落ち着いた様子に、胸を撫で下ろす。


「……、ふう、ふう……はぁ、ありがとう……ございます。ふう……お医者様のお薬……、苦……い」


 ゴボゴボ、こほこほと妹。どこもかしこも細くなってしまった。医者からは、この夏を越せるかどうか、越せても冬はどうか。と冷たく見放された様な事を言われた。


 まって!まだ一巡りがようようきたばかり、秋の日に実を摘んで齧ればようやく二年。冬を越し、その先の花見はまだまだ先の事。もう連れていくのか!と私が神と仏を即座に呪ったのは、言うまでもない。


 それ以降、寂しくて悲しくて辛くて、胸がチリチリと痺れ痛くなっている。眠る時には、あの子の明日は、大丈夫なのかしらと考え寝付けない。ここに泊まり込みに来たいと最近ずっと考えている。


「どのお薬もエグくて苦い。いくら飲んでも治らない……」


 そう言いつつ、ゆっくりと深い緑色した薬を飲む彼女。藪。藪!やぶヤブ医者!今度出会ったら容赦はしない!私の時には金を積まれているからか、材料が違うのか?見た目は同じだが、私が熱を出した時には、飲めばよく効いた薬湯なのに、妹にはひとつも効きやしない。


「有平糖をお食べ。私もひとうつ貰いましょう」


 背にいる私に身体を預けてくる妹。起きているのが辛いのだろう。横になる様に言いたかったけど、なぜか言いたくなかった。


 軽い重さと、生きている熱を肌に感じていたから。


 咳こむ時に握りしめ、くしゃくしゃになった菓子の包みをそろそろと広げる彼女。中には赤い三角の有平糖。


「中身は……、だいじょうぶでした」


 ここは静か。外では野分の風が吹き荒れているというのに。背なから手を伸ばす。細い身体が私に押し潰されぬ様、妹の首元を通り肩に空いた手を回して支える。背中(せな)と、私の肌が濃く近づく。


 赤い三角の有平糖をひとうつ摘むと、彼女の口元へ運ぶ。薬湯の苦い匂いと、寝付いている彼女の香りがむせ上がる。


「ほら、食べなさい」


 耳元で甘く囁く。男が女を愛しいと思うのは、こんなこんな感じなのかしらと、まだ恋のイロハなど、何も知らぬ、おぼこな私なのにと可笑しくなる。


 すこうし……。時が止まり心も身体も熱を持った気がした。指先に感じる腹違いの妹の唇。無くなる三角の赤い有平糖、甘い梅のホシ。もう一度菓子を取るために手を伸ばす。私も共に味わいたいから……。


「甘い……、おいしい。おねえさま。ありの木は大丈夫かしら」


 お互いゆっくりと口の中を、梅のホシ色に染めながら妹が問う。枝に結んだあれを気にしているのだろう。冬の手遊びにと、出入りの小間問屋に来てもらい、好きな色の糸を選び創った組紐の行く末を。




 出来上がった細めのソレを、ありの木の花開き、花見を終えた日に、下がる枝先に結んだ妹。怪訝に思う私にこう言った。


「春には白い花を咲かせ、秋には実をつけて、おねえさまとそれを採って食べるのがとても好き。この木の花の下でお花見も、野点も……」


 とても楽しかったの。だから来年もその次も、ずっとこの木の下で過ごせる様におまじない。うんと小さい頃に神社に御参りした時にね、かあさまが引いた御籤をこうやってお庭の木に結んでいたの、と珍しく昔を話す。


「引いた御籤?お守りにではなくて?」


「大吉だったわ。帰るとどういう訳か、玄関先の梅の木に結んで……。いい事をお願いしておくのと、手を合わせて願っていたの」


 何をお願いしたのかは知らないけれど。ほんの数ヶ月前を色濃くつい、昨日の様に私は思い出した。




 苦しいのか私にもたれたままで、だまり込む妹。横になる?そう聞いた。背から肩に手を回す私の腕に、そろりと手を添えると、もう少し起きていたい、そう呟いた。熱が出てきたのかそそけた頬は赤くなり、体の熱が上に上にあがっているよう。


 私はうつらうつらと私の腕の中で眠る彼女に、大丈夫よ、貴方が願を掛けた木なのだから。きっと大丈夫。風が静まれば見てくるわね。そう囁いた。





 裏庭の離れの側に梨の木がある。祖父が若い頃に、泥棒避けに洒落っ気を出して植えたらしい。


 ここには何もなし()


 元を担ぐ祖母はそれを嫌った。梨はなし(無し)に通じる。商売をしていて無しになったら大変だ。だから呼び名を『あり』にしよう。


 茶目っ気たっぷりにそう言ったらしい。それから離れの前に立つ『梨の木』は『ありの木』になったと、母が言う。


 気位高い母は遊びには目を閉じていた。外で子をなした父を懐広く許していた。しかし。


 お互い気持ちを通じ合わせた結果、産まれた妹は許せぬ存在だったのだろう。広い屋敷にはいくつもの離れも、部屋もあるのに、梨の木が植えられたそこに住まいを誂えた母。


 ここには何もなし。


 そういう気持ちになりたかったのだろうか。


 ここには何もなし。


 母も父との前に、気持ちを通じ合わせた背の君がいたのだろうか。決して色恋で繋がっているとは思えない間柄の両親。私が見目麗しく無ければどうなっていたのだろう。


 ここには何もなし。


 野分の風が枝を折り、葉をちぎり実を全て落としてしまった。くくりつけていた組紐さえも、枝ごと持って行かれて姿は無い。


 何も……ここにはない。秋の実りはなし。私は独り木に寄り添い彼女を想う。





 ささやいた後、そろりと布団にようよう寝かせると、そのままうつらうつらと、眠っているばかりとなった妹。呼びかけても目を覚まさない。私はそのままそこに留まった。帰らぬ私を案じてねえやがすっ飛んで来た。


 医者が呼ばれた。父と母が顔を覗きに来たが、直ぐに帰った。去り際に、ねえやに任せて戻るよう言われた。私は、総領娘の強み宝刀を抜いた。


「無理にでも連れ帰れば、妹が死んだら出家してやる」


 引き戻しに来た母に言い切った。跡取りを無くすのはお家存続の危機。それはお武家の様だけど、大店になれば、商人でも対して代わりはない。なので好きにしなさいと許しを得た。


 お稽古事も何もかもうっちゃり、妹の側に付きそう。それだけ。だって私は何も出来ない。襁褓を替えることも、額を冷やす布をいち枚、絞ることも出来ない。ただ……静かに見守る事しか出来ない。


 だから妹の側にずっといた。夜は運ばれた布団を並べて横になる。熱くて細くて折れそうな白い手を握りしめ、夜を過ごした。


 重湯をねえやが匙にすこうしだけのせて、口に注ぐが、僅かなそれも直ぐに飲み込めなくなっていく。その横で運ばれた膳を黙々と食べた。


 三日と三日夜が過ぎていった。板戸はとうに外され、涼し気な風がそよそよと入ってくる。りーりーりー、ちちち、虫の鳴く音……。



 四日目のお日様が昇り、青空を横切り沈み、空を茜に染めた夕の頃、戯れに彼女の三味を爪弾く私の目の前で、バチ打つ音の中で、ねえやに綿に含ませた水をぽんぽんと、カサカサに乾いた唇に当てて、濡らしてもらい……。


 そのままに目を覚ますことなく、私の大切な可愛い妹は、静かに短い時を終えた。


 終わり。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 尊 い !!! ありの木って何だろうと思いつつ、濃く細やかな情景描写と仲睦まじい姉妹の様子に惹かれて、ぐいぐい読み進めたのですよ。 両親それぞれに窺われる心の葛藤、それを象徴する梨の木……
[一言] 妹おおおおおおおお!!!!!!
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