私と妹。
春には白い可愛い花が沢山咲く木、金をつぎ込み道楽で、祖父が作った裏庭の奥の離れの前。その木の下でねえやとままごと遊びをしたのは、稽古事に追われぬまだちいさな時だったと思う。
屋敷うちに渡り廊下で繋がる棟には、日当たりの良い隠居部屋もあり、家督を譲ってからは普段はそこで、ゆるゆると穏やかに過ごしていた祖父母。
裏庭のひやりとした場所に建てられた、小さな離れは、祖父が若い頃から少しずつ金をつぎ込み、手を入れさせたと聞いた。私がままごと遊びをする頃には、既に出来上がり、たまに祖父や祖母、もしくは母が句会や茶会を開く時に使っていた様子だが、普段は固く閉ざされていた。
勝手に入ってはいけないその離れ。
固く錠がかけてある。
泥棒避けに大蛇を飼っていると、噂をされてるその離れ。
祖父母が相次いで旅立ち、中を両親が片付けてからは、ある時までは無用の長物になっていた。鬼門ではないが、裏庭でもあり他にも日当たりの良い茶室やら、東屋やらがあるので、敢えて祖父が畳を入れずに、板張りにしていたのもあったのかもしれない。
離れの入口直ぐに植えられている『ありの木』。山の木を生き抜きで、わざわざここ迄運ばせたと聞いた。春には白い花が静かに咲く。葉を茂らせ秋には、丸く赤子の握りこぶし位の実がたわわに実る。
落ちて腐ると、臭いが立つ。それはを片付けるのを嫌う、女中頭が小僧に命じて、実を摘ませ砂糖に漬けて、茶菓子をしこんだり、熟れたのは皆で食べたり、客人の為に酒につけたりしている、ありの木。
そこで遊んだのは幼い頃のひととき。大きくなってからのひととき。妹と過ごしたほんのひととき。
今宵、いよいよ独りになりその木の下に立つ。酷く風に揺さぶられたのか、枝葉は折れてちいさくなっている木。
地面に目を落とす。まだ早い実が落ちていたのは、既にきれいに片付けられてた。枝葉も散った物も全て掃き清められていた。どこもかしこも掃除を終えている。野分の日から時が進んでる。
なし。なにもなし……。明日、全てを片付け終えたら……、母はきっと縁ある物を全て焼いてしまう。胸に抱き締めた錦の包み。これだけは守らなくてはならない。
妹が唯一残すことが出来るこれだけは。この先私の心は、独り生きていく。だから、せめてこの三味の音を慰めにしたい。
七五三を済ませた頃、金をしこたま稼ぐ商人の我が家には、読み書きを教える手習いのお師匠さんが通うようになった。御参りの時に目にする、路地裏で遊ぶ子らの様に、寺子屋へ通う事は無い。
それに合わせて三味にお琴、お茶に生花。お裁縫……。良家の娘の嗜みを習いに、小綺麗なお師匠さんの家に通う日々になった。外に出れるのは楽しかったが、窮屈で嫌でもあった。母親に連れられ出掛ける芝居小屋も、野点の席はなおのこと。
そして娘となり、髪を島田に結い上げる年になった頃、ありの木が側に植えられている裏庭の離れに、職人が通うのを、ちらほら見かけ、その姿がすっかり消えたある日の事。
私に腹違いの妹が出来た。入婿である父親が外でこさえた娘。囲う女の元で育っていたのだが、その母親が病で世を去り、父が引き取ることになったのだ。
私より二つか年下だという彼女が来たのは、ありの木が緑生い茂げり、表の庭の池に放した蛍が飛び交う夏。初めて出逢った妹は……、華奢で酷く手荒に扱えば、壊れそうな娘だった。生まれつき身体が弱いと、迎えた父が私に紹介をした。だから職人が幾人も通うていた事が腑に落ちた。彼女の住まいを母はそこに用意をしたのだ。
父が引き取らねば郭に行くことになると教えられた。器量良しだが、病弱な妹に座敷のお勤めは無理だろうと。
打ち捨てれば店の名に傷が付くからと。しかし病持ちを屋敷にはおけないとも……。
見目麗しく目鼻が効く敏い父を娶った母が、傲然と言う。二人の背後で三つ指ついたままの彼女が、ちいさく小さく見えた。まるで知らぬ場所に連れてこられた、濡れそぼった子猫の様な震えを見て取った。
金があるから続けられる、習う数々のお稽古事。身に着ける流行の柄の友禅の振袖は、母の趣味。わざに西から呼び寄せた職人の手によるもの。あばたの色黒と揶揄される母に似ず、私は役者の様に色白で目鼻整う父に似た。
母は私を着せ替え人形の様に可愛がる。高価な小物、艶やかな着物、紅に白粉、白菊の水。似合うと気に入れば買う母。南蛮渡来のびいどろ玉の帯締めの飾り、つやつやとした朱塗りの螺鈿の櫛。外を歩くときは下女を連れている。
娘になれば小町と呼ばれる様になる。当然、母親は鼻高々となっていた。鳶が鷹を産んだ、口さがない囁き等、聞こえてはいない。
仕事も遊びもそつなくこなす父親。大店の旦那として昼も夜も日々精進を欠かさない。粋を知らぬ無粋者。そう言われないように、懸命になっているかのよう。
金の亡者が小町娘を産んだ。うるさいったらありゃしない。町雀は姦しく囀る。
「お前はた総領娘。いずれ婿を娶り家を継ぐ。その事を忘れぬ様に。裏の離れにこの子の居を用意をしたからね」
中に大蛇を飼っていたと噂の離れに?祖父母の隠居部屋も、他の離れも幾つもあるのに……。しかしそれは私にとって好機となった。何故ならぽつんと裏庭奥に建てられている為、小うるさい母の目が届かぬ場所だったのだ。
そこでままごと遊びをした幼い時。白い花吹雪の中、ねえやと二人、土をかいて集めた。つくばいから水を汲み、泥団子を丸めた。大きな葉っぱの皿にのせて遊んだ。
屋敷内と違い、自由に息ができた時をふわりと思い出した。
妹は下町に住んでいたと話した。彼女は町中の小さい事を教えてくれる。彼女が居なかったら、私は今以上に箱入り娘だったろう。米びつの心配などした事が無いばかりか、米びつすら知らない物知らずも良いところ。
町家の娘。長持ちには数枚の着物。ようよう手に入れた、丸が少しばかり歪んだ小さな珊瑚玉の簪。無垢の柘植の櫛。新しい着物を仕立てる事は少ないと聞いた。事あれば古着屋で選び、または晴れ着は損料屋で借りるそうな。道理で私が外を歩けば振り返る筈。
寺子屋に通っていたと話す妹。ただし熱をよく出す為に、元気な時しか通えなかったと言う。寝てばかりでお友達もいなかったと……。
それは私も同じ。お稽古で同じ年のお店の皆に出逢うが、下心無しで近づく者は居なかった。将来の縁談相手の敵と言わんばかりの視線を、私はいつも受けてたっていた。お互い心の内を話す友などいなかった。
だからか、私と妹はとてもとても仲良しになった。
木の実が熟れた秋には二人でそれを手籠に摘んで、皮を剥いてもらい齧って食べた。小さなそれは食べる部分は僅かだったけれど。
雪が降る日には彼女の離れで火鉢の上で餅を焼いて、ねえやに作らせた土鍋の中の汁粉に入れて、話をしながら、ふうふうと冷まして食べた。小間物屋に来てもらい、染め糸を選んで組紐を編んで遊んだ。
嫁菜が萌え、鶯が庭の梅の木で囀る頃。彼女の顔色が良い時は、ありの木の下で毛氈を敷き、茶を点て菓子を食べた。まるでままごとの様。共に三味を打った。
着物も小物もろくに持っていない妹。彼女の母親の形見の三味線だけが唯一のお品。
私の母はなさぬ仲の娘にはビタ一文使う気はないらしい。外に出ぬ子に衣装など要らぬと、思っているらしい。
その分、次から次に縫われる私。横流しをしてもわからぬだろうと、似合いそうなのを彼女に着せてみた。帯に小物をあわせ選んで決めて……、なぜだか、男が女に簪を贈る意味が、すこうしわかった気がした。
私の見立てを着込んだ妹が嬉しそうに笑うのが、可愛くて嬉しくて、今まで知らぬ蕩ける様に甘く、暖かな心持ちになったから。
白の花が舞い散る花見時には、柄が良いと色違いで母が作らせたそれを、二人で着込んだ。重箱に詰めた料理を用意した。花弁を盃に浮かべてひとなめした私達。くすくすと笑って浮かれて、花吹雪を楽しんだ。
私は日々稽古に通う。一日中侍りたいのを堪えている。母との付き合いもある。食事は家族でときつく言われているから、膳を共には出来ない。
二人の時には、お互い知っている事の教え合いっこをした。手を取合い、身を寄り添い。私は習字を教えて、妹は私より上手だった三味線を。
楽しかった。和歌を教えた時には、ふざけて恋文のやり取りをした。お互いにどきどきしながら、一片の白い花弁がしこまれた手紙を、寝床の中でこそりと読んだ。
それまでは、なんとなくお師匠さんの元で習っていた私、だけどそれが出来るのは選ばれた、ほんのひと握りと知ってからは、丁寧に、慾る様に覚えて行った。
妹と共に過ごすことを父親は、有り難い事に素知らぬ顔を通していた。面倒に巻き込まれたく無かったのだろう。
母親は、何か思う事があるのか、姉である私が、妹である彼女の世話を細々焼く事に眉を潜めていた。それは彼女の母を面影に見ているからだろうか。
でもそんな事など私には関係ない。小言は馬の耳に念仏。知らぬ顔をしていれば良い。うるさく言われれば、伝家の宝刀を抜く覚悟はあったから。
世間は私の味方。それは突然。天涯孤独となった身体の弱い妾の子供を、本妻の娘である姉が懸命に世話をする。巷では美談として広まっているから……。
商売の邪魔にはならない。看板を汚す事にはならないから。むしろ私の価値は跳ね上がっているらしい。
父に呼び出されれば、見合いの話を聞かされる。
母に呼び出されれば、安売りをするなと釘を刺される。
私はそんなことはどうでもいい。婚姻は誰かが、勝手に決めてくるものだから……。家と働く人を守る為に執り行うもの。総領娘の私はそれに従うまでの事。
だからまだ先が決まらぬ今、今はただ……。
私は……、私を慰める為に、天から降りてきた様な儚く大切な存在と、静かに穏やかに笑っていたい。