3 写真家と白の剣士
3 写真家と魔法使い
僕たちの暮らす街、ナゴヤ市には大きく分けて三つの区域が存在する。
まずは、【安全区域】。英語では安全を意味するけど、ここでは【無難】の方が意味としてしっくりくる。
先日、絡まれたばかりだし。
【安全区域】はナゴヤ市を牛耳る六勢力のうち、四つの組織団体により統治された、人々が比較的安全に暮らせる区域。
【西方十字教会】と【工芸技術商会】。そして【彗黎学園】の治めるキンザン自治区とその周辺はナゴヤ市で
最も治安の良い地域。僕や縁征、李餡が住む場所もこの自治区。福祉と街の防衛は【西方十字教会】が担い、
【工芸技術商会】は産業を担当し、【彗黎学園】は街の教育機関として三つの組織が共存共栄をして発展を続ける区。
それでも自治区から離れれば離れるほど危険だけど。
【危険区域】はそのとおり危険な区域、キンザン自治区で罪を犯し、【西方十字教会】から逃亡した犯罪者。
先の三勢力に反発した者、自治区に居られなくなった人々が彷徨い。人食いの化け物も徘徊する区域。
この区は教会の兵士たちも巡回しないから、日常的に殺人や暴力が行われ、僕も気を抜けばスグに命を落とす・・・
死体はそのまま野ざらし、浮浪者の群れ、徘徊するゴロツキ、殺人鬼。それを凌駕する人外。一秒もここにはいたくない・・・
最後に【禁足区域】。禁足地。【危険区域】を更に奥に進むと存在する、誰一人帰ってこないと言われる場所。
危険区域の住人達も誰も近づかない、音の一つもしない静寂無音の区画と伝わっている・・・
ナゴヤ市でまず目に入る、高層ビルの一つ、昔ナゴヤエキって呼ばれてた大きな建物がその代表。
今は【タワー】と呼ばれるその巨大な摩天楼は、この街の住人達を食い散らかす巨人として君臨する。
たった一人を除いて・・・・
「ふあぁ・・・」
背骨が鈍く鳴る、口腔から肺へありったけの清涼の空気。
「随分と余裕だな・・・縁征。」大きく欠伸をする青年の服をつまみ、背中に隠れながら少女は話しかける。
「お前、服引っ張るなよ。ここはまだマシな方なんだから離れろよ。」少女の小さな手を振りほどき、嘆息。
「や、やめろっ、ここがどういう所か知ってるだろぉっ? 私みたいな美少女がこんな所にいたら何されるか・・・」
「馬ッ鹿だなぁ? お前みたいなちんちくりん、誰も相手しねーよ。」 ・・・怒。
「なんだとぉ! この野郎っ!!」 「おい!! 服引っ張んなって!!」
――ああ、早くここから離れたい。
僕の過去を知る手がかりとして目の前で喧嘩している二人の共通の知人。【大嶽】さんに呼ばれ、只今ご自宅に訪問の道中ですが。
ここは僕が一秒でも滞在したくない。
【危険区域】。
向こうのガラの悪い連中が僕らを見てる・・・
ゴミ箱の傍らに座る老人はさっきからボソボソと喋っている・・・
ボロの布切れを纏う少年少女が腹を鳴かせて近づいてくる・・・
僕・・・今日死ぬかも・・・
「そもそもなんでサカエに行くのにタワーに近づくように迂回するんだ? サイコロ横丁からそのまま北上すればサカエだろ?」
先程までいた【大嶽古物商】はキンザン自治区やや北に位置し、そのまま北上すれば【工芸技術商会】の拠点、ダイス商店街、通称【サイコロ横丁】
そして、大きな道路を挟んで向こう側がサカエ地区。
本日の目的地だ・・・
一直線に北に移動すれば到着するにもかかわらず、わざわざ危険な旧ナゴヤエキ【タワー】に接近するように迂回して、僕らはサカエに向かっている。
なにか理由があるのだろうか・・・・
「このままサカエに行くと、【教団】に見つかるかもしれないからな・・・」
深い溜息とともに僕を見つめてつぶやく。何か隠し事でもあるのだろうか?
「縁征、お前またなんかやらかしたのか?」黒衣の魔女は僕にしがみ付いたまま恐る恐る尋ねる。
「俺が何かやったわけじゃないが、まだ隠しておきたいからな・・・」
・・・・何を隠しているんだ?
「それに、サカエ地区は下手に侵入するとすぐに見つかるんだ。」
すぐに見つかる?
「縁征それどういう事?サカエ地区は監視カメラでも設置されているの?」
「カメラは設置されてねーよ・・・だけど【教団】には全てを見通す千里眼を持った奴がいてな・・・サカエ地区に侵入したらすぐにバレちまう。」
千里眼・・・遠い所や見えない所を見通す事の出来る力・・・だったか?
「天眼通とも呼ぶよな?」李餡が僕を盾にしながら補足しているが・・・お願いだからくっつかないで・・・
その・・・気になるんだ・・・大きな胸が・・・・・押し当てないでくれ・・・
当の彼女本人は全く気にしていないのが・・・複雑な気分になる・・・
彼女自身に恥じらい等が無いのか、それとも僕を男として見ていないのか・・・
恐らく後者だな・・・・
背中に感じる心地よい二つの弾力を堪能しながら、僕は内に秘めた獣を解き放つこともできず、行き場のないこの思いは心の檻でのた打ち回るのだ。
蒼穹の天上を貫く摩天楼に近づくにほど、喧騒は尽く(ことごとく)塵殺され、静寂が訪れていく。
辺り一帯は無音、空気が急速に冷えていく・・・
これは、
「映太郎! 離れるな!」
縁征は咄嗟に僕の手を掴む。
彼の首筋に滑る、大きな水玉の汗が僕達の現状を物語っている。
「こりゃ、踏み込んだかな・・・、二人とも周囲を警戒しろよ・・・」
ここ、危険区域は大きく分けて三つの住人に分かれる。
追放、及び逃亡してきた犯罪者。
生活できずに流れてきた浮浪者。
そして、
人喰いの――――
「化け物ッ!!」
剥き出しの歯茎、無造作に並び一つ一つが肥大化した歯、顔の皮膚はズル剥けになり、目玉は両目以外にも顔の所々についている。なるほど、化け物だ気味が悪い。
そんな醜悪な姿の怪物は、僕らから五、六十メートルは離れているだろう距離にユラユラと佇んでいる・・・
「うえぇっ、きもっ」僕の後ろでもっともな感想を述べる李餡。
でも・・・
アイツ、いつの間に其処にいた・・・?
醜悪な人相の特徴を捉えられるほどに接近を許していたのか?
三人もいて?
縁征に周囲の警戒を促されたのに?
まさかコイツ、めちゃくちゃ速――――ッ
気が付いたら視界は鮮やかな肉の赤、視界の端には巨大な杭を思わせる牙。
「映太郎・・・・ぼーっと立ってんな・・・」
化け物の顔面を拳がめり込んでいく。
「死肉喰い(グール)か・・・この残飯め。」
さらに拳を炸裂。
死肉喰い(グール)と呼称された化け物は怯み、距離を置く。
僕は波に攫われる海岸の砂城の様に、その場に崩れる。
ほんの一寸でも遅かったら・・・・心臓にニトロを注がれたのか、鼓動が異常に早く そのくせ反面、思考が停止している。
「李餡、映太郎を頼む。余裕ができたら援護してくれ。」
「お、おう! 気をつけろよ縁征、そいつ一体だけとは限らないからな?」
動け・・・動け・・・・!
「映太郎が落ち着いたらすぐに離れよう、状況把握と退路確保はするから、お前はソイツをぶっ飛ばせ!」
「任せとけって、残飯処理は朝飯前だ!」
拳撃、拳撃、蹴り、打撃、拳撃、殴打、炸裂する殺人体術の猛襲は、人外の化け物の頭部、四肢、胴体を破壊する。
「ご自慢の韋駄天はへし折ってやったよ・・・」
この死肉喰い(グール)の特徴は強靭な顎、肥大化した牙、そして恐ろしい速度で走行する屈強な足。
ヒタヒタと獲物が気付かないうちに距離を詰め、襲撃。からの咬殺という凄惨な殺し方をする人喰いの怪物。
手加減なぞ最初から無用、渾身の蹴りは空を激震させる。
俊足を誇る自慢の脚部が在らぬ方向に折れ曲がり、うめき声をあげてその場に倒れる。
「こいつらは、足と口以外は脆い・・・」
地面に額をつけるバケモノの頭部を思いっきり踏みつける。
ぐちゃりと鈍い音を放ち、水瓶を落としたかのように頭蓋と脳と血が飛び散る。
「相変わらずの馬鹿力だな・・・」
「うん。」
僕は傍からそれを見ていた、見ている事しかできなかった。
僕にもあんな力があれば・・・
「終わったんなら早く来いよー。」
「おう。」
「って、足血まみれじゃん。うえぇっ ちょっと離れて。」
「助けてもらってこの対応ですか、このクソ女。 ・・・置いてくか。」
「うわわ、うそうそ。ありがとうございます。先生。」
「調子いいな。」
「・・・立てるか?映太郎。」
差し出された手は大きく、力強く、僕の腕を掴む。
「なんなのアレ。」
僕はあのぐちゃぐちゃに潰れた怪物に目を向けて二人に問う。先程述べた外的特徴、最早人ではないのは自明、この街に多少慣れてきたがコレはさすがにイレギュラーだ。
「映太郎、もしかして【危険区域】は初めてか?」いまだ足が竦む僕に優しく尋ねたのは彼女だった。
「いいか映太郎。この【危険区域】はこういう化け物がそこら辺にいるんだよ。」
決めた。絶対に二度と来ねぇぞ。
「映太郎を連れてまだここには入りたくなかったんだが、【教団】には見つかりたくなくて迂回したけど、裏目に出たか・・・すまねぇ二人共、怖い思いさせたな。」
深々と頭を下げる縁征を横に李餡は絶句した。
「ふ、二人共・・・アレ・・・」彼女の小刻みに震える人差し指の先に更なる恐怖が佇む。
「マジかよ・・・」「うそでしょ・・・?」2・・・。3・・・・・、・・・4・・・。・・・・・・5。
5体も先程の化け物がうろついていた・・・。僕はあの恐怖の光景をフラッシュバックさせ、海底に沈む錨の様に深く落ちる感覚に飲まれた。
――ダメだ、もう一歩も。
「李餡、先と同じように映太郎を頼む。」
「いや、ここはアタシの魔法で」「ダメだ。」遮り制止させる縁征。
「ここは奴ら(・・)の縄張りだ、お前の魔法は威力がデカ過ぎる。・・・口実を作らせることになる。」
(五体・・・正直対処はできるが、場所が場所だ。これ以上の滞在は―――。)
拳を固め、鋭く睨み、構える。ここで斃すしかない、1匹でも逃せば大事な友がケダモノの牙に穿たれる。それは絶対にあってはならない。
深い呼吸を1つ、体温の上昇と共に体の芯が冷めていく。
拳は熱を帯び、灰銀の煙を巻く、屍共の跳梁、一斉に襲い飛び掛かる。右から、左から、前から、そして飛び掛かる2体。
先日の、そして先程の、全てを弾き飛ばす重戦車の主砲めいた強烈な蹴りを繰り出す、文字通りの一蹴が放つ。 より一寸早く血風を吹きすさみ、肉片が飛び散る。
「―――なっ」血肉まみれの縁征は絶句した。強烈な血と肉と糞尿の臭いで何も言えなかった。
真っ赤に濡れた視界の先から金属を打ち付ける音――。 地面のアスファルト、立ち並ぶビルがそれを反響させていつまでも木霊する。
突然の強襲に終わりを告げる終戦の鐘の音は、俺達の心を落ち着かせるのに十分すぎるほど心地良い音だった。
「少し遅れたか。」
赤の幕の向こう側で一言放ち、近づく。 俺は知っている、この女を。
「こいつ等はお前のお姫様の食べ残しだろ? ちゃんと処理しろよ。」正直会いたくなかった。
「すまんな、今日はあの子朝から元気だったから。」映太郎と李餡(この二人)に会わせたくなかった。
そう思う矢先、後ろから二人が近づく。
「助かったの縁征?」「ああ。」このまま刺激しないで去りたいところだ。
「いやー、あんた強いな! あのキモチワリ―化け物をズババッズバババッって切り刻むなんて。アレだろ?たしか居合?抜刀術?だっけか?とにかくすげー!カッコいい!
ああ、ごめんごめん、自己紹介まだだったな、アタシは三獄峠 李餡、キンザン自治区北で古物商を営んでる。よろしくな!」
・・・この女。
「来栖と呼んでくれ。以後お見知りおきを。」
来栖、自らそう名乗った女は真っ白な右手を李餡に向ける。
「なぁ、もしよかったら今度店に来てよ、【大嶽古物商】ってんだ。」固い握手を交わす白の女剣士と黒の魔女を横目に水で顔の返り血を流す縁征は、
無言のまま彼女をずっと見ていた。あの真っ白な剣士を。
「君は、縁征の友達かな?はじめまして私は来栖、アムリタお嬢様の護衛をしている。」
すらっとした細身、腰まであるであろう煌めく銀髪は後ろで一つにまとめ、白を基調としたロングコート、腰に携えた銀の刀剣。
【白】。
彼女を現すならその一言に尽きる。あまりにも綺麗な女性だ。潔癖すぎる、どれだけの汚物が降り注ごうとも彼女には染み一つとて付きはしないと思わせる程に。
女性としての魅力は当然あるのだが、それ以上の魅力、美しさがある。
その清廉潔癖ゆえに彼女を、一人の女としてではなく一つの芸術と思ってしまう。あまりにも整った顔、触れてみたくなるその乳白の肌。とても人ではない。
李餡ちゃんが美少女なら、彼女は美女だ。舞台の上に立てば姫様役はもちろん、男装の麗人もこなすだろう。
こちらに向けた朗らかな笑顔は美しく、そして儚く、冷たい。
「怪我はないかい?」――優しく僕を気遣う彼女に僕は奪われていく・・・。心を? ちがう。
体温、なのだろうか? 僕の体の芯から熱が消えていく気がした・・・
「ありがとうございます、来栖さん。あなたがいなかったら僕は死んでましたよ。」
メガネを掛けなおし、僕は高身長の美女を見上げてお礼した。僕らを救ってくれた蒼銀の太刀が僕の視界の端で空を映す。
「あれ、君は確 死 はずじゃあ・・・」
何を言いかけたのだろうか?僕は彼女の腰に携えた刀に
「コレが気になるかい?」腰に手を置き僕の顔を覗き込む。
「ご、ごめんなさい、何か仰ってたのに聞いてなくて。」
「ああ、気にしなくていいよ。大した事じゃないさ、それよりも【危険区域】は危険だから早く離れなさい。」
「そうさせてもらうよ。吸血鬼さん。」
僕の背後から鋭く、冷たい言の葉の刃が放たれる。
振り返るとそこにいた友は、先の死肉喰い共と対峙したとき同様に冷たい殺気を白の剣士に向けていた。
いや、殺気は先の戦いよりも遥に超えている。一触即発だ。
お互い下手に喋ればただじゃすまない、一挙手一投足、一寸も間違えられない。先の戦い以上の激闘が容易に予測できる。
故に僕は、指一本動かせる事が出来なかった。この二人に凍結させられた。
「じゃあ、私はお嬢様の元に帰るよ。あの子に寂しい思いはさせたくないのでね。」
「・・・そうか。」縁征の表情が柔らかくなっていく、一触即発の凍てつく凍土に春が訪れる。
「お、なんだ?来栖、もう帰るのか?」
ひょっこり出てくる李餡の顔をわしづかみ、苦言を放つ。
「李餡少しだまってろ。」
「いって、なんだよ縁征。」
相変わらずこの二人は。
「帰る前に一つ聞いていいか、来栖。」
「お前とお前のご主人様は、コイツ【写師 映太郎】について何か知ってる事はあるか?」
僕の頭を大きな手が優しく置かれ、眼前の剣士に問いかける。
「映太郎君、何かあったの?」首をかしげ、質問が質問で返ってくる。
「僕、記憶がないんです。気が付いたらこの街にいて。」
「倒れていたところを俺が保護したんだ、覚えている事は何もない。こうして普通に会話できること、読み書きができる事以外に映太郎は
何も覚えていないんだ。」
「なるほどね。申し訳ないけど私達は何も知らないな。」
「・・・そうか。」
「もし私達側で彼を知ってる者がいるなら、市長の桃源ぐらいだろう。この街は奴の玩具箱。流れ着くモノの漂流先だ。自分が拾って来るモノ位
把握してるだろう。」
「・・・七五八市市長、【平坂 桃源】。またアイツと会わなきゃいけないのか。」
縁征の口から深く重い溜息がもれる。
「市長?どんな人だろう?李餡ちゃん会った事ある?」
「ううん、無いよ。七五八市市長は名前だけ有名だけど、街の人達は誰も会ったことがないんだよ・・・縁征を除いてね。」
「力になれなくてすまないな。」
白の女剣士は僕に頭を下げ、距離を置く。
「先も言ったが、この街、【七五八市】は【平坂桃源】の玩具箱。平坂桃源の神の為の【宇宙の曼陀羅】。真相の追求ならアイツが一番の近道だ。」
白の女剣士は踵を返す。彼女の愛する主人の許へ。
「おまえ、何言ってんだ?」縁征は首をかしげて言い放つ。
僕らも同じ意見だ、【宇宙の曼陀羅】?なんの事だ?
「平坂桃源に会えば何か分かるけど、気をつけろって事だよ。」
そう言いながら、彼女は僕たちの視界の向こうへと去っていった。




