真ヲ写ス光
きんこるめんでる
ようこそ、別天地
1 写真家と著作家
前日の大雨が残した水溜まりと生乾きのコンクリート、
電線から落ちる大きな雨粒に、いつまでも顔を出さない太陽・・・
ゴミを漁るカラスと目つきの悪い野良猫の喧嘩を鮮烈な閃光と共に日常から切り取る、
一枚の写真として、思い出の一つとして・・・
写真家 写師 映太郎
ナゴヤ市に住む気弱な少年 内気な少年 外見的特徴は低身長で視力は低くまん丸眼鏡、
体力はなく運動神経も悪くすぐに体調を崩す、曰く常に瀕死の少年、曰く弱点の寄せ集め。
神様に嫌われているのか・・・悪魔に呪われているのか・・・
不幸な少年、不運な少年。
そんな虚弱病弱少年は今現在、野盗に絡まれ絶体絶命である・・・
「うぎぃぃぃぃぃ・・・ひぃぃっ・・・ぐ・・ぐるじぃ・・・ですぅっ・・」
自身の首を絞め挙げている丸太のような腕を小さな両手で掴み、宙ぶらりんになった足をジタバタとさせ、野盗の太腿や中腹にポスポス蹴り上げて助命を乞う映太郎、そんな彼をへらへらと下卑た笑い声で嘲笑する大男。
「へへへへ、おいおいおチビちゃんよぉ、そんな蹴りじゃあ怖いおじさんは倒せないぞ?」
「ははっ自分でおじさん呼ばわりかよ」
大男の仲間達の乾いた笑い声が狭く汚れた薄灰色の雑居ビルの群れの眠りを覚ますように響く。カラスは飛び立つ。
「それよりもボウズ、持ってるもん全部よこしな、金も!服も!もちろん首から下げている
その高そうなカメラもな!!」
目つきの悪い痩躯の野盗は鳥の卵を狙う蛇の様に睨み、吊し上げられた映太郎に怒声を荒げて、映太郎の小さな体躯に不釣り合いな大きな一眼レフカメラを掴み取る。
「ちょっ!?やめてください!!そのカメラ大事なものなんです!!お金なら全部渡します
んで!!」
とても大事で大切なカメラ。写真家としてこれがなければ活動出来ないし、これまで写真をおさめてきた風景や日常は、まさしく写真家 写師映太郎の人生の軌跡でもう一つの彼だ。
相手が屈強で?凶器を所持していて?複数人で?たとえ死ぬとしても?
冗談じゃない・・・コレは、このカメラは絶対に手放せない!!
――激痛。腹部に鈍い衝撃――
「うるせぇ!!知ったこっちゃねぇよ!!」
無論、野盗ごろつきには全くもって関係ない。じわじわと腹部の中を痛みが泳ぐ。
「あんま調子こくとぶん殴るぞ!!」
もう殴られている・・・既に2,3発は受けている・・・
痩躯の男の拳、低い咆哮と共に年相応の柔らかな体に一撃、肉と骨の鈍い衝撃音が浸透していく。野良猫が逃げていく。
「ちょいやりすぎだぜ?死んじまったらどうすんだよ?ここは安全区域なんだから殺しちま
ったら【西方十字教会】に追われるぜ?」
「へへ。そん時ゃ【教団】に行けばいいだろ?」
「おー!リィ君あったまいい!!」
大笑い・・・こっちは何にも面白くないんだが・・・
周辺の住人も影から、窓から覗くだけ・・・・本当についていない・・・
何が安全地帯だ?何処が安全地帯だ?親友に無理やり連れて行かれて、別行動して30分も経たずにこのざま、やっぱり呪われているのか?
神とやらはそこまで僕が嫌いかい?
神様が嫌っているから、自治区の自警団【西方十字教会】も来てくれないのか・・・
誰も助けてくれないのか・・・?
あぁ・・・恨むぞ友よ、お前が傍にいてくれればこんな事にはならないのに。
いったい今頃どこで油を売っているんだい?姿を見せてくれ――
脳裏によぎる親友の姿が、ごろつき共の憎たらしい顔の向こうに佇んでいる。
ご丁寧に息を殺し、気配を殺し、建物の影に姿をひそめて笑ってる。
絶望。怒りも悲しみもなくただ絶望。
思考が停滞していく、感情が潮の満ち引きの様に彼方へ流される。言葉が出ない、
呪い殺す言葉が。
そして納得と再認識、あの男は悪魔か。
家族、友人や見知った者の危機には手を差し伸べるのが、たとえ出来なくても心配そうな顔をするのが普通だと思っているが、やはり悪魔は違うようだ
そしてすぐに助けに来てくれないという事は・・・僕に何かを期待しているんだろう。
ケンカ一つしたことない、戦えない僕にどうしろと?何かできると思っているのか?
こいつ等に笑われ、君に笑われて、ああ、なんかムカついてきた。
いいだろう、期待に応えようじゃないか。その代わり絶対に助けに来いよ?すぐに来いよ?
「・・・ねぇ・・・」激痛に耐えながら振り絞る・・・不運で不幸で、虚弱で病弱で、神にも友にも見放されたとしても僕は・・・決して根性なしではない――
「多分【教団】の人達も君達を受け入れないんじゃないかな・・・君達みたいなごろつきじゃあ・・・あの人達も困ると思うんだ・・・」
決して負けない―――恐怖を乗り越えて、振り絞る。
「処分に・・・」
弱者渾身の挑発に訪れる静寂――
ほんの、数秒、停止した世界、那由他にも近い長い長い一瞬は痩躯の野盗の一撃をもって――
・・・否、大男がその拳を手の空いているもう片方の剛腕で受け止めて・・・
大笑い。
小さな兎を締め上げて、大道芸人の一芸に拍手喝采するかの如く高らかに笑う。
間違いなくこの大男がリーダー格。他の連中は眉をひそめて顔を歪ませているがこの大男は抱腹絶倒、顔が引きつり呼吸が乱れる。
「おめぇ、おもしれぇなぁ!!この期に及んで挑発するとはよぉ、さっきみてぇに命乞いしてりゃ命だけゃ取らないでおくつもりだったが、気が変わったぁ!!その気概に免じてブッ殺してやるよ!!」
血走る目玉、腕に浮かび上がる血管、兎を狩り殺す獅子の如き気迫と締め上げられる首、意識は遠のいていき、視界がぼやけて―――絶叫―――
「縁征えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇいぃぃぃぃぃ!!!!」
前日の大雨が残した水溜まりと生乾きのコンクリート、
電線から落ちる大きな雨粒に、ついに顔を出した太陽・・・
灰銀の積雲を切り裂く橙金の日差しは映太郎の大事な友達を照らしていた。
渡界 縁征
長身痩躯の――「くくくく・・・ぷくくくっ・・・うひゃひゃひゃひゃ!!!」
こちらも大笑い。
「なに笑ってんだよ!!状況みてよ!!てか途中からずっと見てたでしょこの修羅場!?」
神様、コイツに罰を与えて下さい。僕がこんな惨めな目に遭わされているのに、この親友はあろうことか影に隠れて楽しんでいたのだ。この性悪め、友達なくすぞ?
「いや、ほんと相変わらずスゲェ奴だよ。映太郎、お前はよ。」
慈愛と羨望の眼差し、太陽の光に包まれた穏やかな微笑みを満身創痍の少年に向けて、煌びやかな賛美の花束を贈るように先の言葉を紡ぐ。
ふざけるな。馬鹿野郎。
お前がこんな治安の悪い所に連れて来なければ、着いて早々に別行動と称して置き去りになんてしなければ、そもそもさっさと助けに来てくれれば、ああ、畜生め。
「なんだてめぇは?コイツのツレか!?突然湧いてくんじゃねぇよ!!」
こいつらも予想外の出来事に慌ててるな・・・パンパンに腫れた顔面に似つかわしくない、
冷静沈着な映太郎の状況分析。容易に予測出来る、この後の展開が。
「俺のダチに随分やんちゃしてくれたな、テメェ等・・・覚悟決めろよ?」
縁征と呼ばれた青年の拳が固く・・・・固く・・・・握られる。空気が揺らぎ、視認も難しい程に細い細い煙が、丸めた掌から上がっていく。
その必殺の狼煙はこの場において、映太郎のみが視界に収め、ただ悟る。
予想外の出来事はここからなんだよな――
―――何が起こった?―――
人は予想を遥に大きく超えた出来事に直面すると、ソレを受け入れる為に時間感覚を破壊され、脳により処理解析が行われる。
交通事故等の被害者は先ず自分の身に何が起きたのか・・・分からないのだ。
勿論個人差はあるし、これから自分が跳ね飛ばされコンクリートに叩きつけられると事前に分かっていれば受け入れるまでの時間は短縮されるだろうが。
だが、それでも脳の解析と処理が追い付かない。ほんの、数秒、停止した世界、那由他にも近い長い長い一瞬。
先の不運不幸の少年 映太郎の啖呵もその一つ。
圧倒的優位のごろつき共に一瞬の停止時間を作り出してしまった。
そして容認しがたい出来事による思考停止時間は規模と被害に比例する。
―――何が起こったって?―――
映太郎を掴んでいるリーダー格の大男以外の野盗達は、野盗だったモノに変わっていただけの事。壁に張り付いたヒトガタ。頭部が熟れすぎて腐り落ちたドス黒いトマト。中の生活ゴミを全てまき散らしたゴミ袋。そして散々映太郎を殴っていた痩躯の野盗は大男の足元で上から鉄塊が墜落したとでもいうのかぺしゃんこに潰れ、元が何の動物か分からない程。
誰も彼もまるで暴走する車両の突撃でも真っ向から受けた様に原形を留めず死滅した。
肉色の鳳仙花が絢爛豪華に咲き乱れる。
赤と、紅と、朱と、緋に塗れた血の池地獄に、ただ一人残された大男は、最早言葉を失っていた。
よもや独活の大木、丸太のようなその大きな枝は活力を失い、映太郎は土に尻もちをつく。
声が出ない、体が動かない、目の前の惨劇と一匹の修羅から目が離せない。
ジリッ ジリッ 一歩 また一歩と近づく、風は止み空気は凍てつき、景色の色が消えていく。ゆっくりと死が近づいていく。 一歩 また一歩。
「後はお前だけだな?デカブツ。」
修羅が笑う。
死は免れない、確実に死ぬ、辺りを転がっている血肉の塊の様に。
今もなお壊れた水栓の様に吹き出す血飛沫と肉と骨と臓物のコントラスト、そして迫りくる落命の恐怖がついに大男を堅木の様な長き沈黙を破る。
「す、すまなかったぁ!!ゆゆ、許してくれ!!すぐにここから消えるからよ。」
映太郎は地面に墜落した尻をさすりながら安堵していたが・・・
縁征は、この修羅はひどく落胆していた、意図せず私物を失くしたような重い溜息。
「おまえよぉ・・・命乞いはねぇだろ・・・」
傍から少し様子を見ていた、面白半分に・・・必ず助けるつもりではあったし、写師映太郎はそのような事では死なないし、大事なカメラも必ず手元に戻る事も知っている。
写師映太郎は喧嘩荒事にはとことん向いていない、けれど。
・・・全くひどい様だな、いじわるが過ぎた、これっきりだな。
腫れた顔も殴打された腹部も全く気にせず、映太郎は大きなカメラを抱きとめて安心していた。
「仲間つれて、自分より弱そうな奴痛めつけて・・・」
どんな状況でも、どんなに痛くて辛くても、大事なモノは手放さない。
生きる事を、守る事を決して諦めない。カッコいい俺の友達だ。
「そんな卑怯者に負けねぇんだよ!!」
――炸裂。
爆撃めいた轟音と共に人の形の巨木が真っ赤に炸裂する、赤黒の樹液と木っ端をまき散らし卑怯者の独活の大木の残された下半身が膝から力なく落墜する。
5つの肉の塊をそのままに、自警団に連絡を済ませて処理に来るのを待っている、強盗被害者と連続殺人犯。佇む二人、空の缶ジュース。
「・・・なぁ、カメラ無事か?」
「まず謝罪しろよ。」
渡界縁征、この男がいなければ僕は今日まで生きてはいない。このナゴヤ市で戦う力のない僕をずっと守ってくれている。大切な僕の友達。一緒にこの街を歩き、いろんな所を取材す
るナゴヤ市で名の知れた物書き。最高のパートナー。
今回の仕事は安全区域の中心地【キンザン自治区】からずっと離れたちょっと治安の悪い所で、アングラな雰囲気と怖そうな人たちがいるスリリングな街で、縁征が取材に集中したい
って突然きえて・・・ボコボコにされて・・・
腹が立ってきた。
「カメラじゃなくて、僕の身を案じろよ、すぐ助けろよっ!!」
「ごめぇぇん、ごめんねぇ!!いやぁ、ちょっと見てみたかったのよ、映太郎が戦うとところさ?」馬鹿かコイツ?僕は戦えないって日頃から伝えているだろう?
「いや、無理無理、無理でしょ。」
このクズ野郎は僕が戦えない事を誰よりも知ってるはずだが?
「いやー、あいつらに啖呵切ったとこ最高だったよー!」
殴りてぇ、神はなぜ僕に戦う力を授けてくれない。友人の危機を喜々として喜ぶ親愛なるこの悪魔を滅殺させる事も出来ない自分の非力さと弱さは、ただただ情けない。
ニコニコしながら手を合わせて、ペコペコ頭を下げるこの男は今回みたいな事が起きるとすぐこんな調子で謝ってくるが、通用するとでも思っているのか?
馬鹿にするのも大概にしてもらいたい―――
「映太郎!今日晩飯おっちゃんのラーメン食いに行こうぜ!!勿論俺が払うからさ?」
「・・・・・・・メンマ大盛りで・・・」
通用するんだけど―――
「うーっす、遅れてすみませーーーーん!!」
「うわっ。」それが僕、映太郎の彼に対しての本日第一声だった。
白と明るく鮮やかな翡翠の二色が、灰色の景色に馴染まずにこちらに近づいてくる。軽装備に身を包む陽気な少年が高らかに手を振りながらこちらに急接近。
「ねぇ、縁征さ、ちゃんと【西方十字教会】に連絡したの?」「・・・・したよ」
「なんて連絡したの?」「ごろつき五人殺害したから身元確認と後処理お願いって・・・」
「普通複数人で対処するよね?なんで一人なの?」「・・・知らない。」
翡翠の閃光はこちらに向かって一直線に走る。
「・・・ハァ・・・ハァ・・・」二人の目の前で両膝を掴み、呼吸を整える。
彼の職場が存在する【キンザン自治区】からここまでかなりの距離があり、それを恐らく全力疾走したのだろう。吹き出す汗、乱れる呼吸、離れても感じる上昇した体温。
整えて。
「お待たせしました!!【西方十字教会】聖騎士の一人!!疾天の風陣、ゼファー・神凪!!ただい・・うがぁぁぁぁぁ!!」翡翠の少年の登場は、
縁征のアイアンクローによって阻まれる。
「お前、ちょっと遅くねぇか?」縁征、君は鬼か?
「はぁ?なに言ってんだ!?全力疾走してきたんだけど?見てわかんないんのか?ブチ殺されてぇのか?」いつも元気だなぁゼファー君は。
ゼファー・神凪
ナゴヤ市の治安を守る最大規模の自警団【西方十字教会】(せいほうじゅうじきょうかい)に所属する団員の一人。階級は最上位の聖騎士クラス。その中でも選りすぐりの卓越した戦士で【西方十字教会】の主幹【聖母】の護衛も務める街の最高戦力。
僕たち二人とも仲も良い・・・けど、僕はちょっと苦手なんだ・・・
「縁征さん、縁征さん!オレが来たからには安心しろよ!!」
「お、おお、ところでおまえ一人だけか?ちょっといざこざあって事情聴取と後処理頼みたいんだが。」
「無理っすね。オレ、戦闘専門なんで事情聴取も死体処理もやったことねぇかうぎぎぎぎぎぎぃぃぃぃぃぃっ」だって君スゲー馬鹿だもん・・・
鬼が再び少年の頭骨を掴む、骨と骨の軋む音が聞こえる。悲鳴と共に。
「おい、ゼファー・・・お前何も出来ないのに何故一人で来た?電報越しで受け答えしてた奴は何をしていた?」
「い、いや、たまたまそいつの所にいて会話聞いてたら二人の名前が出たから・・・」
「出たからなんだ?」ギリギリと鬼の掌がゼファーの頭を締め付ける。
僕はその時点で理解した。理解したくなかったが。
「その二人はオレのダチだから、オレが行ってくるぜ任せとけって・・・言って・・・・・その・・・飛び出して来た。」
「馬鹿かお前はぁぁ!!」
「馬鹿かお前はぁぁ!!」
案の定だ、馬鹿すぎる。仕事を一つもこなせない奴が【報告・連絡・相談】もせずに、現場にのこのこ来やがった。拷問か?
このナゴヤ市において【安全区域】で事件事故が起きれば西方十字教会が大抵駆けつける。
今回はアホが来たけど、真っ当な教会団員なら事情聴取の後に正当な判決と厳罰を下して、事件を処理していく。野盗たちに襲われた今回のケースは、僕らに罪は無く、凄惨な死体がそこらに転がっているが、正当防衛 で済まされ、もし報告を怠り逃亡を図れば、僕を絞め上げたごろつき達同様、教会に目を付けられ最終的には【キンザン自治区】中心に立ち入る事ができなくなる。
このナゴヤ市において【安全区域】の立ち入り禁止はそのまま死を意味する。
「なんで来たのが役立たずなんだ?この大馬鹿野郎!!」
報告の義務を務めたのに、対応したのが何一つできない無能。やる気はある!元気もある!
仕事はできない! 笑わせるなよ? このミドリムシが、俺の神経を逆撫でやがる。
「縁征さん、いたいいたい! マジなんとかしますんで手どけてぇっ!」
「縁征そろそろ離しなよ。」僕は役立たずの解放を促した。
このままじゃ死体が一個増えるだけだから。
頭を抱えて痛がるゼファーに対し、僕はこれまでの経緯を説明した。
到着して早々に無様を晒す警察官様に一抹の不安を禁じ得ない僕は、乳幼児でも分かるようにゆっくりと、諭すように一つ一つ話した。
「・・・なるほどねぇ。理解したぜ!これはお前らは悪くねぇわ!!安心しろよ、二人の事はオレから伝えておくぜ!!」
・・・・・・・・
「そんで、この死体はどうすんだ?」乳幼児以下だわコイツ。
役に立たない。【報・連・相】もできない。そして今、人の話も理解できないが追加された。よもやこっちが頭を痛める事になるとは、馬鹿が来てもう数十分以上は経っているが、未だに進展しない。僕も縁征も胸の奥で叫んでいる・・・この場から立ち去りたいと。
その心の叫びはゼファーに届いていた。
「もう少し先行けば【危険区域】だからそこに死体捨てようぜ?」
警察官から死体遺棄を命じられるとは思わなかった。
雨雲はとうに去り、夜空の暗黒を埋め尽くす銀光輝く星々、それに劣らぬほどの街のネオンの光はナゴヤ市を冷たく包む。闇を引き裂く人口の光は人々を恐怖から遠ざけ、天上の照明は人々を闇から守るのだ。
ナゴヤ市【安全区域】の一角、日中は客足絶えない屈指の繁華街【サイコロ横丁】を少し離れた場所にその店はある。
例えるなら地獄の釜、罪人を痛めつけ千切り切り刻む、悪鬼獄卒の釜の飯。
血を沸騰させたかのような赤々、溶岩と称しても差し支えない濃厚なスープ。
マグマに飲み込まれる麺と挽肉、鮮やかなコントラストを飾るニラ。これでもかと投下する唐辛子の絨毯爆撃・・・これラーメンか?
麵屋「仙道」。昼間に縁征と決めた飲食店に僕らはいる。
先の死体処理云々は最終的に馬鹿の提案に乗り・・・警察官の指示に従い、【危険地区】に安置した。
今頃はいろんなものに喰われているだろう。
そして約束通り、晩御飯をごちそうになっているんだけど、うん。
目の前の赤に朱と紅を足した悪魔の料理に、気圧されている。それを休むことなく口に運ぶ縁征にも。彼の顔から汗が流れる、止まることなく。
見てるこっちも汗が流れてきそうだ。
ご飯食べに来たんだよな?スポーツ観戦させられている気分だよ。
熱気に当てられコップに水を入れ、
「いやー、相変わらずいい食べっぷりだな!!あんちゃん!!」
厨房から奴が現れる。暗黒魔界料理人め・・・ 麵屋「仙道」の店主、センド―。
この中年オヤジが地獄を作り上げる料理人、客の期待に200%応える偉丈夫。
快活な足取りでこちらに向かってくるが大人しく厨房に戻ってほしい。純白の厨房服は肉と唐辛子にまみれ、凄惨な事件現場の重要参考人にしか見えず、握ったままの中華包丁はそれを後押しさせ・・・
「っ!? 包丁持ったまま歩き回るんじゃねぇ!!」
この男は本当に料理人なのか?そういえば、食品衛生責任者が見当たらんが?
「っぱーぁ!!うまかったぁ!!ごちそうさま!!」
・・・食いきったよ。
「くぅぅぅっ!!まさかこの辛さを完食するとは!!この次を考えねば!!」
・・・まだ作るのかよ。
縁征は味覚がおかしいわけじゃない、完食するまでに大量の汗を流し、辛さを超え痛みを覚えて瞳の涙で濡らしながら麺一本、唐辛子一つ残さず食べた。食べきった。
仙道の親父さんも料理の腕がおかしいわけじゃない、この危険物を除けば料理は全て、垂涎ものだし、空になった殺人兵器もそこまで仕上げるのに日夜研究を重ね、日々精進している。
「次も期待してるぜ、おやっさん。」「おう。次は死者を出すほどの物を作るぜ。」
おかしいのはこいつ等の頭だった。
常日頃殺人未遂が行われているであろうこの飲食店も、目の前の男。
著作家 渡界 縁征の影響が少なからずある。
彼の生業は、ライター。この街、ナゴヤ市の様々な事件や怪異を密な情報収集と体を張った現地取材により信憑性の高い記録文学を提供する男。
今は、その手の仕事を休業し食べ歩きブログとか今期のトレンドとか書いてるけど、それも人気は高く、少し記事にして一言書けば流行が生まれるし、この店も縁征がうまいうまい言ったら連日盛況の日々。
元々ここは美味しかたっけど、激辛ブームなんていうから・・・
仙道のおじさんが殺人犯にならないことを祈るよ。
そしてこの縁征という男は、これだけの影響力を持ちながら【西方十字教会】をはじめ、このナゴヤ市に住む多くの人々、様々な勢力から注目される強力な個人である。
曰く、ナゴヤ市の【安全区域】【危険区域】【禁足域】を渡り歩く男。
曰く、人類の敵対者、人外の旧支配者【貴族】と関係を持つ男。
曰く、旧ナゴヤ駅、タワーの前人未到の到達者にして、唯一ナゴヤ市市長【方士】と会った男。
この魔人の噂は絶えることはない。
「ああ、そうそう映太郎。明日【大嶽古物商】に行くぞ。」箸を置いて久しく、舌の痛みが引いたのか、縁征は明日の予定を告げる。
「李餡ちゃんの店に?」
【大嶽古物商】しばらく行ってないな・・・
「なに赤くなってるんだ?」
いやらしい目つきでニタニタこっちを見るな。
確かにあの店の看板娘はかわいい・・・が・・・その目をやめろ。
「今日、李餡に呼ばれてな。手伝って欲しい事があると。」
今日は痛い目に遭い、おバカの相手をして、一緒に死体処理させられて散々だったが。
明日もなんだか嫌な予感がする。
そう思いながら僕は昼間に殴られた顔に手を添える。
縁征がごろつきを殴殺し尽くす頃には痛みはなく、ゼファーが来た頃には暴行を受けた事をまるで無かったかのように、きれいに消えた頬をそっと。




