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「ねぇ、尚典。またあいつになんかしたの?」
三時間目の休み時間。白石が煙たそうにそう問いかけてきた。
「い、いや。してないと思う……けど」
俺はそう返事をしつつそっと『あいつ』こと雪野雫の方へ目をやると、
じぃ――――――――――――――――――――――。
なんかすごい睨まれていた。
「な、なんか今日ずっとだよね?」
そう言う佐伯は決して雪野と目を合わせないように頑ななまでに俺の顔から視線を逸らさない。
同じ対象物を見ていれば目が合うこともないもんね☆ 頭いいね、佐伯は!
デモ、ソンナ注視サレルト恥カシイカラ、ヤメテ。
「こええよ。マジあの人苦手だわ~。なんか、めっちゃ俺の妹と同じオーラを感じるわ。ちょっと、尚典どっか行ってくんね?」
そんな冷たいことを言うのはどうやらドメスティックなバイオレンスに悩まされているらしい木下だ。
「そうかな? 俺は悪いこととは思わないけど」
三者三様ながら、ネガティブな反応を示す三人に反し、リア充プリンスこと(俺が勝手に言ってるだけだけど)楠木賢人は爽やかに笑う。
「雪野さんって何事にも無関心って感じだったろ? やっとクラスにも興味を持ってくれたってことじゃないか?」
「興味っていうかあれは敵意でしょ?」
「それでもいいじゃないか。無関心よりよっぽどいいだろ?」
白石の言葉にいたずらっぽく笑ったあと、楠木は俺の肩にぽんと手を置く。
「と、いうことだから雪野さんのこと、よろしくな」
なんか委員長みたいなことを言ってきたと思ったら、実際に楠木はこのクラスの委員長だった。
男でも惚れてしまいそうな笑顔を向ける楠木の笑顔を見ながら俺はぼそりと呟いた。
「……軽く言うなよ」
たった二回話しただけでわかる。女王様の相手はかなり厄介だ。
そんなことがあったあとの昼休み。
俺は雪野と『秘密の部屋』こと文化棟の多目的トイレで昼を食べることになっているが、弁当なんてものを作ってくれる昔ながらの優しい母親は俺にはいないので、とりあえず楠木たちと購買のある学食に向かおうとしたところで――――「もがが……っ!」
拉致された。
日本こえー。
テレビから流れるニュースで安全大国神話の崩壊は確かに甚だしいと思ってたけど、まさか学校内で拉致に合うとか思わなかったわ。
それで俺はどこに連れて行かれるの? 強制労働? 強制労働なの? なんて思ってたら、俺が連れ込まれたのは例の『秘密の部屋(笑)』だった。
「えーっと、雪野さん?」
俺は目の前で仏頂面をしている小柄な金髪美少女を見る。
「なに?」
「なに、じゃなくてさ。もう少し普通に誘うこととかできないのかな?」
「昨日はできたでしょ?」
「ああ。そうね。その結果白石とクラス真っ青な喧嘩もしてたけど」
「そ、それはあの人がさきにつっかかってきたから……」
たしかに昨日の白石はいきなり喧嘩腰だったもんなぁ。なんて思うと雪野ばかりを責めるわけにもいかないのかもしれない。俺は話題を変えることにする。
「それで、俺がここに連れてこられた理由ってやっぱ昼飯だよな?」
俺が聞くと、なにが恥ずかしいのか雪野は顔を赤くして小さく頷く。
「あー、雪野さん。昨日も言ったと思うけど、俺には弁当の持ち合わせがないんだ」
「それは……わかってるから……」
雪野はなにかぼそぼそ言っているが、よく聞こえないので俺は主張を続ける。
「今日だって別に雪野さんとの約束を忘れたわけじゃなくてさ、購買で昼飯を調達してからここに来るつもりだったんだよ。だから別に拉致なんてする必要もなかったんだ」
「いや、だからね……」
雪野はなにかを言おうと口をパクパクするが、結局言葉はでてこない。
こいつを待ってたら購買のパンが売り切れてしまう。昨日みたいに昼飯を逃すのは避けたい。
「んじゃ、そういうことだから、ちょっと待っててくれ。――――んげぇ!」
颯爽と購買に向かおうとする俺の襟首が後ろから引っ張られる。
「げほっ! げほっ! おえぇぇええ!」
なんかデジャブな気がすんだけど、気のせいだよね? まさか二日連続で襟首つかまれて死にそうになるとかないよね? いや、デジャブじゃない。間違いなく俺は昨日も殺されかけた。さすが秘密の部屋。蛇でもいんの?
「い、いきなりなにすんだっ! てめぇ!」
「だ、だって、わたしのこと無視していこうとするから!」
「別に無視してねぇだろ! いつまでも金魚みたいにパクパクしてたから、こりゃ埒が明かねぇと判断したんだよ!」
「そ、それが無視って言うんだしっ!」
「無視っていわねぇし! 待ってたし!」
「も、もうちょっと待っててくれてもいいでしょ!?」
「いつまでも待ってたら購買のパンが売り切れちまうんだよ!」
「だ、だからそれが……」
雪野の言葉は尻すぼみになる。
「あ? なんだって?」
俺がよく聞こえるように雪野に耳を近づけると、雪野はやけくそのように叫んだ。
「だから、それが必要ないって言ってるの!!」
いきなり大きな声出さないで。鼓膜破れちゃう。
「は、はぁ? 必要ないって、もしかして童貞女児アニメオタは昼飯なんか食べる必要ない、餓死して死ねってことか!?」
「そ、そんなこと言ってないでしょっ!」
「じゃあ、どういうことなんだよ?」
「だ、だから、だから……。こ、これでも食べればいいでしょ!」
そう言って雪野は赤色の布に包まれた何かを差し出してきた。ぱっと見弁当だけど、差し出した相手があの雪の女王様なので弁当ということはないだろう。
「なにこれ? 爆弾?」
「はあ!?」
「あれ!? ち、違った? あっ、じゃあ、あれだ、ニトログリセリン!」
「だから爆弾じゃないって言ってるでしょ!」
「え? マジで爆弾じゃないの? じゃあこれなに?」
「おーべーんーとーおっ! この状況でこの見た目でお弁当以外ありえないでしょっ!!」
雪野はマンガのように地団太を踏んでぷんすか怒っている。これマジで弁当だったのか。しかもこちらに差し出しているってことは、この弁当は――――
「もしかして、俺……に?」
「そ、そうに決まってるでしょっ!」
腕組みをしてぷいっとそっぽを向く雪野。
「ゆ、雪野さんが俺に弁当……? な、なんで?」
俺の質問に雪野は顔を赤くして唇を尖らせる。
「べ、別に。一緒にご飯食べるならお弁当くらい作った方がいいのかなって思っただけ……」
……マジか。あの雪の女王に弁当を作ってもらえる日が来ようとは夢にも思わなかった。
「あの、開けていい?」
「す、好きにすればいいでしょ……」
相変わらずそっぽを向いてそんなことを言う雪野を見て、「このツンデレのテンプレみたいな態度はわざとやっているんだろうか?」と思ったが、そんなこと言えば女王様の逆鱗に触れること間違いなしだったので口をつぐんで包みの結び目を解く。
赤色の布から出てきたのは水色の二段式の弁当だった。
ふたを開けてみれば片方には肉そぼろがかけられたご飯が、もう片方には色彩豊かなおかずが入れられている。
「……すげぇ、勉強に運動に料理までできんのかよ」
思わずこぼれた俺の本音に、雪野は恥ずかしそうに視線を逸らす。
「そうゆうのは普通食べてからいうでしょ……」
「え? あ、ああ。それもそうだな」
俺は弁当箱といっしょに包まれていた箸入れから箸を取り出して手を合わせる。
「……いただきます」
「……ん」
雪野は真っ赤な顔で短く答える。
……そんな恥ずかしそうにすんなよ。こっちまで恥ずかしくなるだろ。
……とりあえず。
俺は雪野から感染した恥ずかしさをごまかすように、おかずの中からから揚げを一つつまんで口の中に放り込んだ。
「っ。……うまい」
気遣いからではなく、自然と味の感想がこぼれる。
雪野の作ったから揚げはしっかりと味付けがされていて、冷えていることを忘れさせるほどうまかった。いや、むしろ冷えて食べることを前提に味付けされているような気さえしてくる。
他のおかずにも箸を伸ばす。どれもすげぇ美味い。
そして気づけばあっという間に弁当箱は空になっていた。
「すげぇうまかった……」
そう一人ごちる俺。
「って、あ……」
そこで俺はようやく自分が一言も言葉を発することなく夢中になって弁当をかきこんでいたことに気づく。雪野は俺とプリチアの話をするためにわざわざ弁当まで作ってきてくれたのに……。
「ご、ごめん。ちょっと美味過ぎて食う事に夢中になっちまった……」
俺はそう謝りつつ雪野の方を見る。そして、雪野の顔を見て小さく息をのむ。
雪野はこちらを見て微笑んでいた。
その笑顔は優しくて、温かくて。雪野のその笑顔を見た途端、自分の顔が一気に熱を帯びるのを感じる。
なんだ、これ? なんでこんな……。
「よかった。おいしそうに食べてくれて」
雪野はそう言って嬉しそうにニシシと笑う。
普段横暴で乱暴的なくせに……。不意打ちはなしだろ……。
俺は頭をガシガシかくことで恥ずかしさをごまかすが、きっと顔は赤くなっていたに違いない。
ああ、くそっ。調子くるうな……。