6.5
「尚典、今日の放課後って暇?」
帰りのLHRが終り帰宅の準備をしていると、珍しく佐伯ではなく白石が声をかけてきた。
「あ? あー、一応予定はないけど」
「そしたらさ、図書室で待っててくれない? 今日の練習軽め目のはずだから多分一時間くらいで部活終わると思うんだ」
「別にいいけど。なんか用事か?」
「うん。なんかね、戸坂駅に新しくクレープ屋さんができたんだって。気になるから一緒に行こうよ」
そんなことを平然と言う白石に俺は言葉を失う。
クレープ屋さんに一緒に行く? しかも戸坂って言ったら隣駅だぞ? 電車に乗って男女二人でクレープ?
それってまるで……、なんて俺が考えていると、俺の沈黙を不審に思ったのであろう、白石が訝しむようにこちらを見てきた。
「なに?」
「え? いや、あっと……。あ、そうか! 楠木達も一緒にってことか!」
あぶねぇ! また勘違いするところだった! リア充女子のハニートラップこえぇぇえ! きっと俺を罠にかけるためにあえて楠木たちの名前を出さなかったに違いない。
それってデートじゃん! とかテンパった俺を「童貞。キモイw」とかと小バカにするつもりだったに違いない。
なんて俺の予想は次の白石の一言で粉砕する。
「ううん。だって賢人たちは部活あるでしょ」
「……え? も、もしかして俺とお前二人きりで行くってことか?」
「……そうなんだけど、なんか尚典が言うとキモイ」
「り、理不尽だろ!」
白石は呆れたようにため息を漏らす。
「あのさ、別に友達と二人でクレープ食べに行くのくらい普通でしょ? そんなキョドらないでよ。変に意識してるみたいじゃん」
みたいって言うか、変に意識しちゃってるんだけどね。
だって男女二人でクレープだよ? 意識しちゃうよ!――――なんて本音を言うわけにはいかない。
「あ、ああ。まぁ、確かにな。なんでもないかもな。うん、なんでもないな。クレープくらい。うん。普通のリア充なら男女二人でクレープくらい行くよね。うん」
俺の自己暗示を兼ねた白石への返事に白石は再度呆れたようにため息をついた。
「リア充って……。まぁいいや。そうゆうことだから図書室で待っててね」
そう言い残して白石は去って行った。
放課後に女子とクレープってデートじゃないんだね。リア充ってすごいっ! って、マジでそうなの? それってデートにしか思えないのって俺が高校デビューの金メッキリア充だから?
そんなことを悶々と考えていた俺の背中に再び声がかけられる。
「尚典、帰ろ~」
俺にそう声をかけてきたのは今度こそいつも通り日常通りの佐伯愛奈だった。
「あ、わ、悪い。今日も予定があって……」
と言いかけて、俺は思い直す。
そういえばこいつも白石と友達だよな? 俺と白石が友達としてクレープを食べに行くならこいつも誘った……方がいいのかな?
「あのさ、今日なんか予定ある?」
「今日の……予定? ……あっ! も、もしかしてそれって昨日のあれ……?」
「昨日のアレ?」
なんか変にキョドっている佐伯に俺が首を傾げると、佐伯は「な、なんでもない!」と手をぶんぶん振る。
「いや、よくわかんないんだけどさ、このあと白石にクレープを食べに行こうって誘われてるんだ。だから、佐伯もどうかなって思ってさ」
「凛とクレープ? ……あ、あー。なるほど」
俺には全く心当たりがないのだが、佐伯にはなにかわかったらしい。
「それ、たぶんわたしは行かない方がいいと思う」
「佐伯、お前もしかしてなんか勘違いしてないか? いいか、男女と言えども友達なら二人でクレープを食べに行くなんて普通のことなんだぞ?」
「あはは、なんで説明口調なの? まぁでも、うん。大丈夫。尚典が思っているような勘違いはしてないから」
「そ、そうか?」
「うん。それじゃあ、わたし先帰るね」
「あっ、ち、ちょっと待ってくれ」
こちらに手を振り帰ろうとする佐伯を俺は呼び止める。
「なに?」
「あ、あのさ、白石がなんで俺を誘ったかわかるの?」
そう聞く俺を佐伯はおかしそうに笑う。
「“男女と言えども友達なら二人でクレープを食べに行くなんて普通のこと”なんでしょ?」
「そ、そっくりそのまま引用するんじゃねぇよ」
「ごめんごめん。えっと、それもわたしからは言わない方がいいと思う」
「そ、そうか……」
そうは言われてもすげぇ気になるんだけど。
そんな俺の気持ちが顔に出ていたのか、佐伯は再び肩を揺らす。
「そんな身構える必要もないよ。尚典はただ凛に付き合ってあげれば大丈夫だと思う」
「いやでもさ、俺なんかとクレープを食べたがる理由がわからないんだけど」
「だからそれは友達だからでしょ?」
「そ、それはもういいから」
「今のは別にからかってるわけじゃないよ」
「え?」
言われて佐伯の顔を見れば確かに先ほどのようないたずらっぽさはなかった。
「んー。それでもどうしてもアドバイスが欲しいって言うなら、凛って不器用なとこあるからさ、気持ち普段より優しくしてあげて。それで十分だと思う」
「お、おう。……そうか。よくわからんけど気をつけるわ」
普段は見せない大人っぽく微笑む佐伯に俺はそう返事をするのがやっとだった。
なんか知らんけど、心臓がばくばく言ってんだけど。
……アマゾンで救心って買えんのかな?
とね、俺は佐伯に言われたわけだ。
だから俺はできるだけ白石に優しくしようと思ったわけだが。そうは言っても女子と二人で出掛けたことなんてない俺はどう優しくすればいいのかわからない。
だから童貞の俺でもわかりやすい非常に安直な手段を取ろうとした。
つまり、クレープをおごれば優しいんじゃね? と。
しかし俺がそう申し出た時の白石の反応は俺の予想とは反するものだった。
白石は眉をしかめて低い声で言う。
「いいから黙ってわたしにおごらせて」
俺はどこで白石の地雷を踏んだのだろうか? えらい不機嫌だ。
あの雪の女王とすら張り合える白石の迫力に俺が抗えるわけもない。俺はわけもわからず白石にクレープをおごってもらう。
クレープ屋の脇にあるベンチに二人並んで腰かけてクレープを食べる。
甘くておいしいクレープを食べているはずなのに俺たちの間には通夜のような重い沈黙があるのみだ。
「おっ! く、クレープって初めて食べたけど、うまいな!」なんて会話を生もうと発した俺の言葉も普通に無視をされたので、もうどうすればいいのかほんとにわからない。
誰か代って。
なんて存在しない誰かにヘルプを求めていると、白石が相変わらず不機嫌そうに唇を尖らせたまま口を開いた。
「あ、あのさ。わたしはその……尚典も、ありだと思う……」
「は?」
そう返事をした俺を誰が責められるだろうか?
いきなり「ありだと思う」とか言われてもわけわかんなくて、「は?」くらい言っちゃうよね?
しかし俺のそんな理屈は白石には利かないらしい。白石は俺を鋭い眼光で睨んできた。
「えっと、ごめん……なさい?」
自分でもなんで謝っているのかわからないが、とりあえず白石の圧におされて謝る俺。
そんな俺を見て、白石は「ああ、もおっ!」とクレープにパクリっと食いついた。
白石は口の中のクレープを飲み込むと、俺が座っているのとは逆方向を向いて再び口を開く。
「まぁ、確かに賢人と比べるとあれだけど、顔も悪くないし、たまに優しいとこあるし? それに勉強できるのとかもすごいと思うし。だから、尚典もありだと思うってわたしは思う」
へぇ。思うって思うのか。どうでもいいけど、二回思っちゃってるけど大丈夫? なんて思ってると白石がぽしょっとようやく本題らしきものを呟いた。
「だから昼間に趣味悪いとか言ったのは、悪かったなって、思ってる……」
そこで俺はようやく合点がいく。
どうやら白石が俺をクレープに誘ったのは、昼間の『楠木賢人より鈴木尚典を選ぶなんて男の趣味が悪い』発言を謝るためだったらしい。
別にそこまで気にする必要なんてないのに。俺自身、リア充プリンスこと楠木に勝てるなんて微塵も思っていない。天秤にかけるまでもなく楠木は俺より上だと思っている。
いや、ていうか――――白石さん、この一言言うために遠回りし過ぎだろ!?
なんて俺が内心で白石にツッコんでいると、白石が唇と尖らせてこちらを睨んでくる。
「ね、ねぇ。なんか言ってよ……」
「あ、ああ。悪い。いや、別にそこまで気にする必要はないと思うけど」
「なにそれ? すごい他人事」
「……確かに。いやさ、それだけほんとに気にしてないってことだよ。なんかクレープまでおごらせて申し訳ないけど」
「ふーん。じゃあ、怒ってないんだ?」
「怒らねぇだろ? 普通こんくらいで」
「……まぁ、そっか。そうだよね。尚典は……」
白石はそんなふうに漏らして微笑む。そしてにかっと白い歯を見せた。
「ごめん。わたしの自己満足に付き合わせちゃって!」
「いや、まぁ、いいけど」
俺は白石の笑顔が眩しくて視線を逸らす。そんな俺をからかうように白石はこちらに身を寄せてきた。押し付けられる体温と香水の匂い。勝手に鼓動が早くなる。
「あっ。でも、わたし尚典を恋愛対象として見たことないから勘違いしないでね!」
「わ、わかってるよ! そんなことっ!」
「尚典は友達として気に入ってるから、恋愛のあれこれで失いたくないんだよね」
「だ、だからわかってるって言ってるだろ!」
「そう? まぁ、わかってるならいいけどっ」
夕陽をバックにそんなことを言う白石はめちゃくちゃ楽しそうだ。
俺は白石の笑顔を見ながらリア充女子のハニートラップには絶対引っかからんぞと決意を新たにした。