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やってしまった、と思う。
そもそもの始まりは昨日こと。
イトーヨーカ堂のおもちゃ売り場で買った女児向けアニメ『プリンセス・チアシード』のトレーディングカード。
五枚一セットで売られているそれに俺はいつも落胆させられていた。
そして当然今日も落胆させられるのだろう。
そう思って特に期待するわけでもなく雑に開いたその中に、光輝く一枚があった。
それは俺が夢にまで見たプリチアヒロイン3人が揃ってポーズを決めるSSRカードだった! なんと声優さんのサイン付だ!
「むほーっ!」
俺はヨウカ堂のおもちゃ売り場でこちらを恐れる子供たちの視線をものともせずに踊り狂った。
俺の狂気の喜びの舞は子供たちの保護者からの通報で警備員が駆け付けるまで続いたのだった。
ほんとやってしまった……。
って、いや、違う。
昨日のことは昨日のことで確かにやってしまったではあるが、それはプリチア好きがこのSSRを引き当てたら当然に取るであろう行動なので別に問題ではない。
警備員さんから軽く注意されるくらいで済んだし、出禁になるようなこともなかった。またヨーカドーのおもちゃ売り場でプリチアカードが買える! やったね☆
って、そうでもなくて……。
そう、問題は今だ。
SSRを引き当てて余りに嬉しかった俺はなにを血迷ったか翌日の今日、学校に女児向けアニメのカードを持ってきてしまったのだ。
ちなみに俺は高校生だ。
いくらオタク文化が一般に受け入れられ始めているとはいえ、高校生男子が学校に女児向けアニメのカードを持ってきているのはさすがに恥ずい。恥ずいと言うか、軽度の社会的死を意味するような気がする。
しかも俺は学校ではオタクであることを隠している。いや、オタクであることを隠しているなんて生ぬるいものじゃない。
なにを隠そう俺、鈴木尚典はクラスのトップカーストであるリア充グループに属しているのだ。普段リア充面した俺が実はプリチアオタクとか……。
軽くイジメが始まっちゃうんじゃないだろうか。
元はある目的があって高校デビューした俺だったが、流れで今のリア充リア充した友達と絡むようになってからはこいつらのことをほんとに大切な存在だと感じるようになっていた。
スクールカーストとかリア充とか抜きにして俺はこいつらといるのが好きだ。
まぁ、所詮は高校デビューのリア充なのでリア充の会話についていくのが難しいこともあるけど。
実際今もバスケがどうとか、昨日観たバラエティ番組がどうとか話している。
俺はバラエティ番組を観る時間があるならば録画していた深夜アニメを観るので、こいつらの会話の内容はよくわからないのだが、「ウケるー」「それなー」「ちょれいっ!」とか言ってると結構ごまかせるものだった。
自分の金メッキぶりに俺は内心でため息を吐きつつ、胸ポケットのそれに注意を戻す。
こいつが見つかったら俺のリア充ライフなんていとも簡単に崩壊してしまうんだろうな……。
ほんとどうすっかな、これ。
いきなり胸ポケットをまさぐられる……なんてことはさすがにないだろうからおそらくこのまま放課後まで隠し通せるとは思うが……。
それでも胸ポケットという上ががら空きの隠し場所はいささか頼りなく感じる。
移動には多少のリスクがあるが、やっぱカバンに隠すか……。
俺がそう思ったその時だった。
「そう言えば昨日妹が変なアニメ観ててさぁ、しゃべくり観れなかったんだわ~」
俺たちのグループのお調子者、木下悠馬がそう口を開いた。
「あれ、なんつったけ? 日曜の朝にやってる子供向けの……ぷ、プリキュア? とか言うやつ」
俺は木下がそう言うのを聞いた瞬間頭に血が上るのを感じた。
プリキュア? なんだプリキュアって! プリキュアじゃなくてプリチアだろうが! なに間違えてんだ。殺すぞ!?
「あー。それは災難だったね。でも、妹ちゃんが観たいのに合わせるなんて偉いじゃん」
グループ内の女子、佐伯愛奈がそんなことを言うのを聞きながら俺はさらに頭に血が上るのを感じる。
ああん? プリチアを観るのが災難ってどういうことだコラ!? ニチアサでもないのにプリチア観れるなんてむしろ軽い奇跡だろ!? 俺ならいそいそプリチアを再生しだした妹ちゃんを拝むね。
「いや、そうじゃなくてさ、うちの妹こえーんだわ。あの迫力マジ小学生であることを疑うから。将来はかあちゃんみたくなんだろうなぁ。ほんと勘弁して欲しいよ。にしてもああいう子供向けのアニメって内容薄くてさ。キャラも区別つかねぇーし、展開も観なくてもわかるし。ほんとあんなののどこが面白いのかって疑問だよ」
「おい、コラ木下……」
へらへら機嫌よく話していた木下を野太く低い声が黙らせる。
「お前本気でプリチアと向き合ったのか?」
「は?」
てゆうか、俺の声だった。
「てめぇ本気でプリチアと向き合ったのかって聞いたんだ! どうせソシャゲでもしながら鼻くそほじってテキトーに流し観してたんだろ!? いいか! 崇高な作品ってのはなぁ――――」
「なに熱くなってんだよ、尚典」
熱くなり、周りが見えなくなっていた俺の頭を誰かがこつんと優しくノックする。そのノックのおかげで俺はすんでのところで我を取り戻す。
振り返れば俺の属するリア充グループのリーダー格、楠木賢人が爽やかな笑顔を浮かべていた。
「なに? もしかして尚典アニメとか好きなのか?」
楠木が俺を茶化すように笑いながらそう言う。
「……」
っぶねぇ。楠木が止めてくれなければ俺のプリチア好きが露呈してリア充的に死ぬところだった。冷静さを取り戻した俺は楠木が作り出した空気に乗っかることにする。
俺はにやりと作り笑いを浮かべた。
「そ、そうでござりゅー! 拙者子供向けアニメが大好きでござるー。なんでわかったでござりゅかー!?」
そして某ラノベのオタキャラの口調を大袈裟に真似しておどけると、木下は腰が抜けたように傍の机に寄り掛かった。
「んだよー。そういうノリかよー。マジキレたのかと思って焦ったー」
「ん、んなわけねぇだろ? なんで俺が子供向けアニメをバカにされたくらいでキレないといけねぇーんだよ?」
「いや、マジでプリキュアとか好きなんかと思ったわ!」
「でもー、確かにさっきの尚典少しキモかったよねー? 尚典演劇とか勉強したの? それかやっぱほんとはオタクとか」
木下に同調するようにグループ内のもう一人の女子、白石凛がひじでこちらを小突いてきた。
バカの木下は大丈夫だろうが、白石は変なところで鋭いからな。もう少しフォローしておいた方がいいかもしれない。
俺はそう思い口を開く。
「は、はあ? いや、マジ勘弁だから。ああいうアニメとか生理的に受け付けねぇんだよ。アニメ観てるやつなんてどうせ人生うまくいかないで、逃げてるだけだろ? 可愛いちっちゃな女の子に、さ」
ばんっ!
俺が言い終わると同時に少し離れたところで机が強く叩かれる。思わずそちらを見ると、『雪の女王』がその青い目でこちらを睨みつけていた。
「ひぃっ……!」
横で木下が小さく叫ぶのが聞こえた。
その眼光の鋭さに言葉を失う俺たちだったが、楠木だけは違った。さすがリア充グループのリーダー。トップオブリア充だ。反省してますアピールの八の字眉毛で爽やかな笑顔を雪の女王に向ける。
「あー、ごめん。雪野さん。少しうるさかったよな? 気をつけるから」
楠木がそう言うのを聞くと、雪の女王こと雪野雫は俺をもうひと睨みしたあと、なにも言わずに机に開かれていた参考書に視線を戻す。
「うっひょ~。こえぇ~。尚典殺されなくてよかったなぁ」
「殺されるって……。確かにちょっと怖かったけど」
俺に身を寄せて小声で呟く木下と、それにつっこみつつも気まずそうに頬を掻く佐伯。
「いや、てかさ、わたしたち謝る必要なくない? 今って休み時間なわけだし」
気の強い白石は逆に雪の女王の方を睨みつけている。
「まぁ、休み時間の過ごし方は人それぞれだからな。それにもしかしたら尚典のオタクの演技がキモ過ぎて怒ったのかもしれないぞ?」
「なっ!?」
「はは。確かにそれはあるかもねぇー」
楠木が俺をイジルとそれを聞いた白石は楽しそうに笑う。白石の棘を取るために俺を使いやがって……っ。……いや、まぁ、遺恨を残さないって意味ならさすがだとは思うけどさぁ。
「じゃあ、次移動教室だし、そろそろ行くか」
楠木の一言でタラタラそれぞれの机に向かい教科書や筆記用具の準備をする俺たち。そのさなか楠木は俺に近づき、小さな声で「悪かったな。使っちまって。でも助かった」と言ってきた。
すげぇな。こいつ。どんだけ人を見てんだ。思えば中学時代リア充爆死しろが口癖だった俺が未だにリア充グループに所属しているのはこいつのおかげかもしれない。
俺がそんなことを思いながら呆けていると、楠木が振り返る。
「ほら、尚典も早く準備しないとおいてくぞ」
「お、おう」
俺は急いで自分の机に向かい、次の音楽の授業の教科書を取り出そうとして気づく。
――――これプリチアのカードを隠すチャンスなんじゃね?
さりげなく楠木、木下、白石、佐伯の位置を確認。今はそれぞれ自分の机に散り散りになっている。あの位置からなら俺がプリチアカードを隠しているところは見られないだろう。
チャンスは今しかない。
俺はそう判断し、胸ポケットから昨日引き当てたSSRカードを取り出したところで……。
どんっ。
背後から何者かに肩をぶつけられる。
その拍子で俺の手に握られたカードが宙を舞い、重力に従って床に落下すると、くるくる慣性の法則にしたがって床を滑り、やがて止まる。
「やばいっ!」
俺は這うようにしてカードを拾い上げ、後ろを振り向くと――――そこには眉をひそめてこちらを見る雪の女王こと雪野雫が立っていた。