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第9話 炎の襲撃(1)

 正直、驚いた。


 妙な野心は持たぬ優秀な義弟が見つけた存在は、優雅に膝をついて声がかりを待つ。スカートを摘む指先や顔を伏せる仕草、スムーズで滞りない礼儀作法は貴族の令嬢と比べても遜色なかった。


 貴族の生まれか、もしかしたら王族の連なりかも知れない。


 少なくとも付け焼刃で身につく所作ではない。



 深く身を屈めて地に膝をつく女性は、とても整った外見をしていた。


 きつい王族の言葉に怯むでもなく、卑屈に振舞う様子もない。風に揺れる銀の髪が細い首を覆い、伏せられた眼差しは蒼――海の色を思わせた。


 柔らかそうな銀髪を指で梳き、抱き寄せて守りたい……そう思わせる美女だ。


 色仕掛けに引っかかるほど未熟ではない王太子だが、義弟が彼女を気に入って許そうとする気持ちが少し理解できてしまった。だからといって、そう簡単に絆される気はない。


 彼女が刺客でない保証はないのだから……命や地位を狙われる立場では人を疑うのが常だった。



「立つがよい」


「リア」


 促すライオットの手を取り、彼女はゆっくり身を起こした。


 倒れて1日意識が戻らなかったと報告を受けている。昨夜目覚めたばかりながら、美女に眩暈や疲労によるふらつきは見られなかった。


 身を起こしてもルリアージェは視線を伏せている。許可なく王族の顔を直視するのは無礼である、というのがルリーアジェの知る宮廷ルールだった。


「ありがとうございます」


 隣で手を貸したライオットへ微笑み、ルリアージェは王太子へ向き直った。


 記憶を失ったと聞いているが、リアという呼び名はライオットが付けたのか。女性の一般的な愛称として最も多い呼び名だから、通称として呼んでいるのだろう。


 確かに呼びかける際に名がなければ不便だ。


 納得した王太子が口を開いた。


「…顔を、っ」


 あげろと命じる声が詰まる。




 ―――ドンッ!


 砂埃が視界を遮った。



「襲撃だ!」


「殿下方をお守りしろ」


 取り巻いていた騎士が動き出す。しかしこの場で最も迅速に動いたのは、疑われていた美女だった。


 悪い意味ではなく、襲撃の気配や魔力の高まりを感じる能力が一番高いのだろう。


≪我が息は域となる『白天の盾』≫


 本来の詠唱をすべて行っていては間に合わない。


 独自の短縮方法で詠唱を破棄する。だが詠唱を完全に破棄して名称のみで展開するには『白天の盾』は緻密すぎた。


 結界魔術の中でも最上級、魔術と物理、精神汚染まで防ぐものだ。そのため、ルリアージェが行った短縮詠唱がぎりぎりの妥協点だった。


 略し方により魔術の威力が変わる。


 単純に『略す』と言っても、そこには優れた感性や才能が必要なのだ。


「っ…」


 魔力の込め方が甘かったのか、前に突き出した右手に激痛が走る。


 本来これほど上級の結界は必要なかったかも知れない。しかし、ルリアージェが選べたのはこの結界だけだった。


 強い火力が結界に弾かれる。外は灼熱の地獄だろう。鮮やかな炎は赤と黄色が入り混じって踊る。


 白天の盾が正常に展開されていれば、十分防げる炎だった。しかし、今は僅かに押されていた。



「リア!」


 返事をする余裕もない。崩れそうな結界を、再び立て直す必要がある。



≪我が崇める主は天に在り、我が僕は地に伏せ声を待つ。白に従う我らを護らせたまえ。人々の安寧と祈りの鐘をもって、息は域と成す。息を満たし、域が満つる、白き加護を籠と変えよ―――『白天の盾』≫



 正式な詠唱を改めて行い、内側にもうひとつの結界を張った。右手の痛みは激しくなるが、杖や魔石を持たずに短縮詠唱した代償だと諦める。


 今のルリアージェに新たに治癒の魔法を展開する余裕はなかった。


 右手の痛みが激しくなる。


 短縮詠唱によって作った外側の結界が、しゃらんと軽い音を立てて砕けた。太陽の光を反射して、きらきら舞い散る欠片は地に落ちる前に消える。


「早く! お逃げください!!」


 叫んだルリアージェの背後で、慌てた騎士が動き出す。王宮内で騒ぎに気付いた魔術師が駆け寄り、王太子は素直に騎士と魔術師に守られて王宮へ向かった。


 しかし背後にまだ残っている気配がある。


 激痛に顔を顰めながら、ルリアージェは声を張り上げた。


「ライオット王子殿下、早く!」


 もう保たない――振り返る余裕もなく叫んだ直後、攻撃が止んだ。ほぼ同時に結界が砕ける。


 氷の欠片のような虹色の破片が舞い散り、すぐに消えていった。何も知らずに見たなら、幻想的で美しい風景だ。


「っ…」


 目前に突き出していた右手を胸元に引き寄せた。ぽたっ……落ちた赤い雫が鮮やかな青いドレスに染みこむ。指先からずたずたに切り裂かれた手は、肘まで血に濡れていた。


 呼吸のタイミングで傷が痛む。


 結界の中からは探れなかった敵の位置が、目を伏せることで手に取るように感じられた。炎が来た正面ではなく、左側の木立の中から強い殺意と怒り、色褪せた魔力を感じる。


 全魔力を炎に傾けたのだろう、敵の力は大きく削がれていた。


 今ならば、結界に傷つけられたルリアージェでも勝てる。己の限界など覚えていないが、手探りで漁った知識の中で見つけた風の魔術を練り上げた。


 詠唱の破棄はもう出来ない。



≪汝の敵は目前にあり、嘆きの民は血に染まる。回れ、舞われ、弧を描きし風弓は光輝け。今こそ時は来れり。仇を討てと悲鳴を上げる子らに寄り添い、細く尖りて貫け! 『螺旋の矢』≫



 空中に浮かんだ矢は8本、1人の敵に対して十分だ。なのに、少ないと感じる自分がいた。


 消耗した魔力の分だけ矢の本数は減るのだと、頭では理解している。


 感情は納得できていないが、矢を操るために血塗れの右手を掲げた。木立に隠れる敵に対し、他の魔術は向かない。もっとも効率よく敵を仕留めようと考えたルリアージェに思い浮かんだのは、この螺旋の矢だった。


 淡い緑の光を帯びた矢は透き通っており、彼女が右手を振り下ろすと敵へ降り注ぐ。


「ぎゃあっ!」


 年配の男性の悲鳴が聞こえ、木立が大きく引き裂かれた。人工的に整えられた木々は突然の暴力に倒れ、下生えの低木が無残に切り刻まれる。


 威力は大きいが、範囲は狭かった。転がり出た男の周囲だけに注いだ矢がふわりと消える。

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