第53話 扇動される側も悪いのですよ
※下部分、残酷な表現が含まれます。苦手な方は回避してください。
厳しい冬と戦う準備を整えるリュジアン国に、国境を接するサークレラ国から宣戦布告があったのは――ジルが王宮に呼ばれた翌朝だった。
すでに侯爵以上の貴族を把握したリシュアが、身勝手な行為で国を危険に晒した男とその娘を牢へ放り込み、他の王族を追放する。元国王であり1000年に渡って政を行ったリシュアの手腕は、見事の一言に尽きる。その上で噂をばら撒いた。不自然なほど急速に噂は街中に広がる。
「サークレラの前王弟の妻に、伯爵家の次男が言い寄ったらしい」
「国王は許可証を発行して、宿の警護を緩めさせたと聞くぞ」
「サークレラの公爵閣下へ横恋慕した、王女の我が侭を許した結果なんだとさ」
そして噂の最後はすべて異口同音に同じ言葉で締めくくられる。曰く『なにはともあれ公爵夫人がご無事でよかった。そうでなければ、今頃リュジアンは滅ぼされていただろう』で終わる。
首都から広がった噂は商人の口から、国中の街へ驚くべき早さで広まった。厳しい冬を生き残るだけで手一杯の国民にしてみれば、王族の身勝手な振る舞いで起きる戦争は御免蒙りたい。ましてや自分達に利のある戦争ではなく、王女や伯爵子息の恋愛の浮かれ話ならなおさらだった。
もともと重税にあえいでいた民の不満は高く、水晶採掘や黒い油がもたらす富を独占していた王侯貴族への怒りは破裂寸前だ。膨らみきった風船に、今回の事件が鋭い針となって止めを差した。
「王を引き摺り下ろせ!」
「貴族の独占を許すな!」
一度振り上げた拳は、戦果なくして下ろせない。反乱の機運は首都から地方へと波及した。
「……私は、やり過ぎるなと言ったはずだが」
噂で悲劇のヒロインに祭り上げられた美女が、がくりと項垂れる。リュジアンの王宮を占拠したジル達により、随分と立派な部屋に泊まっていた。元王妃の部屋だと聞いたが、ルリアージェは聞き流す。
「あたくしから見たら、手ぬるいくらい。かなり手加減していてよ」
咎められる理由が分からないと言い放つライラに、リオネルが追従する。
「そうです。本来なら国ごと燃やされても文句言えません」
いや、文句を言うだろう。そんなルリアージェの心を掬い取るように、リシュアが穏やかな口調で切り出した。
「リア様は人族でいらっしゃるのです。同族の悲劇に胸を痛めることもおありでしょう」
ルリアージェを擁護するリシュアのセリフに聞こえるが、聞いているジルやパウリーネはまったく違う意味に聞いていた。つまり翻訳すると『同族が起こしたとんでもない騒動を彼女が嘆くのは当然だ。きっちりやり返しましょう』となる。
悲劇などの曖昧な単語で誤魔化すリシュアの狡猾さに気付かず、ルリアージェは大きくため息をついて頷いた。そのため、ジルの中で『やり返すの歓迎』まで極端な曲解がなされる。そして都合が良いすれ違いを、彼らがルリアージェに指摘するはずがない。
「国民が不満を溜め込んでいなければ、オレらの扇動も意味をなさなかった。この国の民はそれだけ我慢を強いられてきたって意味だ」
「そうですわね。確かに火がないのに煙は出ませんわ」
「そもそも、扇動される側も悪いのですよ」
火がなくても煙どころか大爆発を起こす面々は、にっこり笑ってルリアージェの懐柔にかかった。彼女が本気で反対すれば従うしかないが、なんとか上手に誘導して思い通りの方向へ誘導はできる。
小細工の得意なリシュアを始めとして、嘘にならないギリギりの範囲で人族の世を乱す行為は魔性の得意分野だった。
「……操っていないか?」
「リアにそんな誤解をされるなんて、辛いわ」
「我々は信用されていないのですね」
ライラとリシュアが残念そうに呟くと、ルリアージェは言葉に詰まった。自分が間違っていたような気がしてくる。いろいろ考えた末、慰めるような言葉を選ぶ。
「信用している。ただ……その、不安で」
「リアってば可愛いな~」
ジルが軽い口調で抱きつくと、気まずい雰囲気は一瞬で散った。ほっと安堵の息をついたルリアージェは知らない。街で起きている、リュジアン王族の悲劇を―――。
追い立てられて逃げ回る。ヒールの高い靴を脱ぎ捨て、豪華な首飾りも耳飾りも放り出した。今まで柔らかな絨毯の上しか歩いたことがない足の裏は一瞬で赤く染まる。ガラスや石が散らばる路上は、氷が鋭い針のように足裏を傷つけた。
赤い足跡を追う国民は、かつて城から手を振った私に喝采していたはず。王族である私に笑顔を向け、万歳を叫んだはず。どうして追われるのか。必死の形相で追いかけてくる男女に捕まれば、ただで済まないことだけはわかっていた。
苦しさに息がつまり、喉が痛い。吸い込んだはずの空気が、まるで異物のように喉に詰まって喉を押さえた。それでも止まれない。
必死に走る彼女を追い詰める街の住人は、手に棍棒や暖炉の火掻き棒を振り翳していた。罪を犯した罪人を追いかける形相だ。足を止めたら殺される――恐怖に必死で走った。人生で一番走ったかもしれない。
突然目の前に飛び出した男を避けようと転び、彼女は豪華なドレスを泥に塗れさせた。打ち付けた肩や腕が痛み、呻いて身を起こす。冬のリュジアン名物の氷が、柔な肌を切り裂いて血を滲ませていた。もう動けないと涙ぐんだ彼女の目に映ったのは、棍棒を振り上げる男だ。
北方の国特有の白い肌に、淡い色の髪に、美しいと褒め称えられた顔に、棍棒は振り下ろされた。周囲の国民は止めるどころか、手にした火掻き棒や薪を同じように打ちつける。
響き渡る悲鳴が小さくなり呻きだけになった頃、ようやく彼らの手が止まった。
「よし、門壁へ晒すぞ」
「おう」
「これで本当にサークレラが許してくれるんだろうか」
「何もせず殺されるわけにいかない」
様々な声が王女の耳に届く。北のリュジアン第一王女として、彼女は人々の上に立ってきた。そんな女性が今は見るも無残な姿で引きずられていく。国民達の不安は、王女を傷つけたことになかった。彼らの意識は、自分達が生き残る手段へ向いている。
宣戦布告したサークレラ国は、大陸を支配する9カ国の中でもっとも広大で肥沃な領土を持ち、豊かな財源を誇る国だ。にもかかわらず他国に侵略されなかった理由は、強大すぎる軍の装備にあった。他国にはない魔道具、屈強で忠誠心厚い兵士、国を守るための外壁など。戦争をして到底勝てる相手ではない。
リュジアンと違い、冬に雪や氷に閉ざされることがないサークレラは豊かな国土を基礎に、他国を脅かす武力と財力を誇った。しかし攻め込まれなければ、彼らは牙をむかない。そのため勘違いした小国が稀に戦を起こして敗北する姿は、過去数百年の歴史に刻まれていた。
国民自ら手を汚して王族を排除したら、民は許される。自治領になれば、尊厳が守られて奴隷に落ちることもなく、サークレラの民と同じ豊かな生活が出来る。サークレラの宣戦布告と同時に広まった、出所不明の噂は『希望』として国民に受け止められていた。
王宮襲撃は躊躇う国民だが、目の前に王族が放逐されるたびに地獄の追いかけっこが繰り返される。相手は一人、護衛もなくふらふらと豪華な衣服をまとって現れるのだ。追いかけない理由がなかった。
身に纏った貴重品や装飾品を奪い、苦労を知らない白い手を潰し、鼻持ちならない顔を滅茶苦茶に叩く。ぼろぼろになった王族を街中引きずりまわして、最後にサークレラがある南門へ晒すのだ。
誘導された残酷な行為は、魔性らしい遊びと言い換えることが出来るだろう。かつて人族の国を操り滅ぼした上級魔性であるジルやリオネル達にとって、ひとつの遊びであり、同時に最愛の主を傷つけようとした輩への報復だった。
南門の壁に3つ目の人柱が立つ。王妃、第二王子、第一王女……本当に罪深い王族達は、外の騒動を伝え聞き震えながら己の番が遅くなるよう祈るしかなかった。
新たな赤い人柱に目を細め、黒髪の死神がうっそり笑う。
「どこまでも哀れで、愚かな生き物だ……己の意思すら操れないのだから」
いつもお読みいただき、ありがとうございます(o´-ω-)o)ペコッ
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