第49話 狙われた美女は滅亡の響き
パウリーネが張った結界に触れぬ位置に展開した魔法陣は、触れた侵入者を転送する。転送先は暴れても簡単に修理が可能な場所――ジルの城だった。
艶のある黒い床の上に放り出された男は、焦って見回す。リュジアン国王ルーカスの命令は、宿で眠る女2人のうちどちらかを犯すこと。抱く必要はなく、多少傷ものにしても構わないと言われた。それどころか気に入った方をくれてやると匂わされ、一も二もなく頷く。
伯爵家の次男として生まれた男の外見は、人族としてみれば整っている。サークレラ国のマスカウェイル公爵家が挨拶に訪れた広間で、ルリアージェに一目惚れした。今まで数々の未亡人や貴族令嬢と浮名を流してきたが、初めて自分から欲しいと思った女性だ。
国王命令で手にいれることが許されるなら、話に乗らない手はない。ましてや陛下の命令書があれば、宿の警備は簡単に通過できた。部屋の位置を確認して忍び寄った先で、天蓋の薄絹に守られた美女が眠っている。銀髪の公爵夫人は背を向けており、彼にとって好都合だった。
しかし薄絹に触れた途端、見知らぬ広間に移動している。魔術師ではない男は状況が理解できなかった。
黒い床の上に3人の男が立つ。全員が見覚えのある、タイプの違う美貌の持ち主だった。マスカウェイル公爵、公爵の弟、そして執事らしい褐色の肌の青年。
「いかがしますか?」
「手出しは無用だ。コイツはバラバラにして城に送り返す」
リオネルの問いかけに、ジルは冷たく言い放った。すると庇うようにリシュアが口を挟む。
「バラバラにして城門に飾るのも捨てがたいですが、傀儡として利用してもよいのではありませんか? 引き裂いてしまえば、主犯の国王に手が届かなくなります」
トカゲの尻尾きりではもったいない。もっと暴れるチャンスが待っていると唆すリシュアは、国王時代の感情が読めない笑みで結論を主に委ねる。
「リシュア、お前がそう言うなら主犯を引きずり出す作戦はあるんだろうな」
確証がなければ、この場で八つ裂きにする。冷静に呟くジルへ、一礼して膝をついたリシュアが裾に接吻けた。
「我が命と忠誠に誓って。必ずやルーカスを御前に」
「ならば任せる。好きにしろ」
他国の国王を呼び捨てにしたリシュアに、男は驚いていた。本人の前でなくとも、王族を呼び捨てにする人間はまずいない。目の前にいる3人が人外だと知らない男に向き直ったリシュアが、それはそれは黒い笑顔を作った。
「まず傀儡の作成からですね」
怯えて後ずさろうとした男の顎をつかみ、自分と無理やりに目を合わせる。左右で濃淡が違う緑の瞳が瞬きを止めた。じっと見つめる男の両腕がだらんと垂れる。ぼんやりした彼の表情を確認し、リシュアは男を掴んでいた手を離した。
崩れ落ちた男はぼんやりしたままリシュアを見つめている。離れようとした彼の服を掴み、必死で追いすがろうとする。
「……いかないで」
魅了され心奪われた男の哀れな懇願に、リシュアは冷たく言い放った。
「私は役立たずは嫌いです……お前に役目を与えましょう」
役目を果たしたら近くにいられると考えるのは、男の自由だ。何も約束をしないリシュアの言動を都合のよい方へ受け止める男に、少し表情を和らげて触れた。髪から頬にかけて1度だけ撫でてやる。
「国王が望む報告をしなさい」
それだけ命じると男を宿の玄関付近へ放り出す。不満そうな顔で唇を尖らせるジルと反対に、リオネルは興味深そうに事態を見守っていた。
「ジル様、我慢してくださいね」
「ルーカスはオレが殺すぞ」
今回は我慢したんだ。ふて腐れた態度で吐き捨てたジルは、さっさと宿に戻ってしまった。ルリアージェに危害を加える心配がなくなったとはいえ、彼女が心配なのだろう。リオネルのような絡め手より、直接的な攻撃を好むタイプであるため、苛立ちも募る。
ジルの心境を理解するリオネルは苦笑いして、リシュアに提案した。
「国王だけで満足しないでしょうから、ジル様に国ごと滅ぼす案を提示してみては?」
「ああ、そうですね。あの男の妄想とはいえ、ルリアージェ様を穢す発言をするのです。そのくらいの罰は当然でしょう」
くすくす笑いあう側近達は、死神の眷属らしい美しさと残酷さを滲ませて物騒な話を進めた。結局彼らが不機嫌なジルのいる部屋に戻ったのは夜明け近く。その後3人で相談した内容は、ルリアージェ以外の全員が共有することとなった。
ジルは機嫌よく、ルリアージェを伴って水晶通りへ向かう。魔の森の主グリズリーのコート、という国宝級の装いでルリアージェは首をかしげた。
「皆は一緒じゃないのか?」
「ああ、今日はオレと2人きりのデートだ」
頬を赤く染めたルリアージェは、それ以上質問しなかった。2人きりの状況はアスターレンに着くまで当たり前だったのに、なぜか気恥ずかしい。公爵夫妻の肩書きがあるので、正確には数人のお付きがいた。侍従や騎士を連れているように装っているが、実はライラの配下の精霊達だ。
「好きな水晶を買っていいぞ」
「本当か?!」
魔法陣の要として使ったり、魔力を注入して魔石代わりに使うため、質のよい水晶は人気がある。先日のリオネルのように削り出してティーカップに使うのは、贅沢すぎる使い方だった。もし同じものを作らせようとすれば、一つの街の年間予算を超える支出と数百年の時間が必要だろう。
それだけ水晶は高額な貴重品と考えられてきた。手に握りこめる大きさでも、ちょっとした宝石より高額なこともある。
水晶通りは名前のまま、両側に水晶の販売や加工に関する店が並んでいた。左右どちらを見ても水晶だらけだ。目を輝かせたルリアージェが左側の店に近づく。
「こっちから全部の店を見てもいいか?」
「リアの好きにして構わないよ、時間はたっぷりあるからね」
整った顔でウィンクして寄越すジルは、周囲の女性から熱い視線を集めている。本人は気にせず、公爵夫人であるルリアージェを抱き寄せて頬に接吻けた。
「……ライラ達も来ればよかったのに」
「彼女達は予定があるんだ。帰ったら一緒に食事をしよう」
譲歩する形でジルが提案すれば、ルリアージェは頬を緩めた。寒さを緩める魔法陣をコートの内側に刻んだため、快適に買い物を楽しむ。
「これはどうだ?」
「うーん、この濁りが気になるな。小ぶりでもこちらの方が使えるだろ」
ルリアージェが見つけた水晶ではなく、隣の小箱を指差した。サイズは一回り小さいが、透明度の高い水晶が収まっている。それを手の上に乗せたルリアージェが迷う。
「欲しいの? なら買うよ」
「だが……」
箱に書かれた値札が思ったより高い。基本的に貧乏性のルリアージェにとって無視できない出費だった。しかし人族の金銭感覚が薄いジルは、気にした様子をみせずに支払ってしまう。
「ジル」
「……公爵家って触れ込みなんだから、あんまり貧乏臭いのも格好つかないぞ」
抱き寄せて耳元で囁く。その内容に「確かにそうだな」と彼女も納得した。腰を抱いた手をさらに引き寄せ、頬にキスを落とした。
「リアが欲しいなら、国ごとやるぞ」
くすくす笑いながらの言葉を、ルリアージェは曖昧な笑みで聞き流した。それが本心からの言葉で、現在進行形の計画に関わる話だと想像も出来ない。
「次のお店に行こうか」
ジルはさらりと話を逸らし、次の店でも澄んだ水のような青い水晶を購入した。それをペンダントに加工依頼する。
「装飾品として使うのか?」
「うーん、炎龍の入れ物にしようと思って」
言われて、先日城に攻め込んだ魔性からリシュアが魅了して奪った炎龍がいたことを思い出す。当初は炎のオレンジ色をしていたが、ジルが魔力を注いで飼い慣らした後は青白い姿をしていた。鬣が緑と黄色のグラデーションで、水龍のように見える。
「ああ、ジェンの住処にするのか」
「うん。炎龍はジェンと名付けたの?」
頷くルリアージェは、ポケットから小さな宝石を取り出す。アクアマリンの真ん中でゆらゆら揺れる青い炎は、確かに炎龍そのものだった。仮に手近な宝石に隠れるようお願いしたルリアージェだが、彼が宿るならば水晶の方が居心地がいいはずだ。
「ペンダントの加工が終わったら宿に届けてくれ」
多めにチップを渡したジルは、美しい妻を促して歩き出す。その後ろを追いかける無粋な存在に気付きながら、一切振り返らなかった。
いつもお読みいただき、ありがとうございます(o´-ω-)o)ペコッ
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