第48話 夜這い未遂
女性達の隣の部屋の風呂で、ジルが難しい顔をしていた。目の前の湯に浮かべた魔法陣は稼動前のものだ。魔力を込めれば作動する状態で、うーんと唸った。
「ジル様、私はおやめになったほうがいいと思います」
「我が君に我慢を強いるのは心苦しいです。少しくらいなら構わないのではありませんか」
リシュアの忠告と、リオネルの誘惑に、ジルの理性と欲望が天秤の上で揺れた。
「リア様に嫌われても知りませんよ」
溜め息交じりのリシュアの声が止めとなり、ジルは魔法陣を消した。だが未練がましく視線を隣へ向けている。そう、彼が作動させたかった魔法陣は、隣の風呂場を覗くものだった。
ルリアージェは羞恥心が薄いので、覗き自体はさほど怒らないかも知れない。しかし嫌われる可能性があるなら、我慢すべきだろう。情けない決意をしてぐっと拳を握るジルの背中を、生ぬるい眼差しで見つめる側近2人が揃って溜め息を吐いた。
「あちらは女性同士で盛り上がっているのでしょうね」
折角決意したジルの我慢を試すようなリオネルは、湯につきそうな金髪を器用に頭の上に束ねている。リシュアは気にせず湯に散らしていた。みれば、ジルも湯に髪を浸して気にした様子がない。マナー云々より、考え方や性格だろう。
魔法が使えるため、髪を乾かす心配が要らない彼ららしい。
「リアと入りたかった」
ぼそっと呟くジルが、美貌を湯に映してしょんぼり肩を落とす。夫婦役だから一緒に入れると思ったが、寝る部屋すら男女で分けられると思わなかった。公爵夫妻、弟夫妻で2部屋だったのだが……男女で分ければいいと提案したライラを怨んでしまう。
「お風呂はともかく、部屋を男女で分けたのは……危険かもしれませんね」
リシュアは眉をひそめて指摘した。整った顔が憂いを帯びて、政治に長けたサークレラ国王時代の表情で呟く。
「彼らが仕掛けるとしたら、早い段階でしょう。明日……いえ、私なら今夜のうちに動きます。女性だけで部屋に篭もったと知られれば、当然男を差し向けて不義をでっちあげる可能性が高く」
「リアの部屋に夜這い!? 絶対に殺す」
殺気を滲ませるジルに、リオネルが首を横に振ってリシュアに耳打ちした。
「もうすこし穏便な表現をしないと、今すぐリュジアンの国王を殺しかねません」
「失言でした」
彼らのひそひそ話を他所に、ジルは夜這いを阻止するための魔法陣を作りはじめた。かなり物騒な魔法陣が大量に出来上がり、本人は満足げだったが………リオネルが淡々と指摘した。
「ジル様」
「なんだ?」
「その魔法陣、どうやって隣室に仕掛けるおつもりで?」
「あ……」
忍び込むか、ルリアージェたちに説明して協力を願うか。選択を迫られたジルは再び悩みの霧に迷い込んでいった。
一方、女性達は風呂上りのお茶を楽しむ。飲み終えると、湯冷めする前にとベッドに飛び込んだ。
「パウリーネ達はどうやってジルと知り合ったんだ?」
好奇心が旺盛な主の問いかけに、パウリーネは笑いながら肩に毛皮の毛布をかける。湯冷めさせてしまったら、きっとジルに怒られるだろう。大人しく毛布に包まれたルリアージェの隣に、ちゃっかりライラも潜り込む。
ルリアージェとライラがしっかり温もりを確保したのを確認し、パウリーネは部屋の明かりを暗くした。辞退したのに同じ寝台で寝ようと食い下がるルリアージェに根負けしたパウリーネは、青銀の髪を束ねてからライラを中央に挟む形で寝転がる。
「そうですね……私がジル様と出会ったとき、すでにリオネルは付き従っていました。ですので彼の話はリオネルに聞いてくださいね」
前置きしてからパウリーネが昔話を始めた。
パウリーネが氷静の二つ名を持つ前、水の魔王トルカーネの側近である友人と一緒に行動していた。トルカーネの魔力に心地よさは覚えるが、主君として頭を垂れる気はなく、パウリーネは中途半端な立ち位置だった。それを快く思わない勢力との小競り合いも、パウリーネにとっては暇つぶしだ。
長い寿命が約束された上級魔性にとって、一番の敵は退屈なのだ。魔力が尽きて身体が死ぬ前に、心を殺してしまう魔性も少なくない。退屈を嫌うパウリーネにとって、強者との戦いは心躍るイベントだった。
神族と魔族の間に禁忌の子供が生まれた。その子供は上級魔性としても規格外の魔力を保有している。噂を聞いて興味を惹かれ、どの程度の実力か確かめてやろうと考えた。単純に戦ってみたかったのだ。
「今思えば無謀ですけれど」
くすくす笑ったパウリーネが、天蓋の薄絹に触れる。さらさらした手触りに目を細めた。
「結果は?」
わくわくしながら続きを促すルリアージェに対し、パウリーネは不思議な感覚に笑みを浮かべる。最初はジルが契約した主だから従う、程度の感覚しかなかった。彼女はあまり我が侭をいう性質ではないし、主従の真似事をしても大した期間ではない。ジルの機嫌を損ねないように相手をしようと思った。
だが今はまったく違う。ルリアージェと直接主従の契約を交わしてもいいと考えるほど、気に入っていた。以前は見下していた人族を、ここまで受け入れる自分の変化に驚きもある。
「端的に言えば、戦いを挑んで負けましたの」
それも言い訳のしようがないほど、徹底的に負かされた。目の前に突然転移してきたパウリーネへ「死にたくなければ下がれ」と告げたジルは、幼い外見に似合わぬ笑みを浮かべる。格下へ向ける穏やかな笑みで諭す子供に、苛立って氷をつきたてた。
氷が触れる直前に砕ける。背後で膝をついて待つリオネルの魔力かと思ったが、魔力ではない。その頃のパウリーネは霊力の存在を知らなかった。得たいの知れない力を揮う子供は美しい顔に、ひどく残忍な笑みを浮かべて手を差し伸べる。
パウリーネを退ける魔力を持つくせに、リオネルは一切手出ししなかった。ジルを包む霊力の存在を知る彼にとって、パウリーネは敵ですらないと感じていたのだろう。まだ翼すら出さないジルが本気じゃないと理解していたため、微笑んで主の成長を見守った。
何度も氷と水で切り裂こうと攻撃を繰り返すものの、すべてが一瞬で解除されて涼しい風を子供に届けるばかり。魔力の使いすぎで膝をついたパウリーネへ、再びジルが手を差し伸べた。
「オレの配下に入れ。氷に見合わぬ熱い性格が気に入った」
求められる言葉に身が震えた。同じようにトルカーネに誘われても何も思わなかったが、ジルの声に全身が震えて心地よさに支配される。どう返事をしたのか覚えていないが、そこで契約をしたのだと話し終えて、隣を見るとルリアージェは嬉しそうに笑っていた。
「どうされました?」
「いや、ジルらしいと思ってな」
殺伐としたエピソードを微笑ましいと受け取る彼女の感性は、人族としてズレている。今まで、さぞ生き辛かっただろうと苦笑いしたパウリーネが、ベッドを囲う魔法陣を描いた。
「もう休みましょう。明日は水晶通りでお買い物をされるのでしょう?」
「そうだな、おやすみ」
互いに挨拶を交わして、ルリアージェは目を閉じた。
彼女の寝息を確認して、パウリーネはベッドを揺らさぬよう注意しながら身を起こす。間で寝たフリをしていたライラも目を開いた。
「侵入者ね」
「殺してしまっても構わないのかしら?」
物騒な2人の会話に、ジルが乱入した。
「オレが貰っていくから寝てていいぞ」
声だけ部屋に送り込んだジルの配慮に、顔を見合わせたライラが目を閉じた。どうやら任せるつもりらしい。ジルならば不手際はないと信頼を示したライラに続いて、パウリーネも寝着に包まれた身を横たえた。結界越しに、近づいてくる男の姿が見える。
武器は短刀だけなので、殺害ではなく夜這いが目的らしい。他国の王侯貴族が利用する宿の警備はかたい。リュジアン国王の手の者と考えるのが妥当だった。
動かずに見守るパウリーネの目に、結界に触れた男が魔法陣に吸い込まれるのを見た。驚いて身を起こして結界に手を触れる。外部の冷気や敵を排除しようと張った結界に細工はなく、どうやら薄皮一枚外側に別の魔法陣が敷かれたようだ。
ジルの繊細な魔法陣が浮かび上がり、すぐに消えた。
「ん……眠れないのか? パウリーネ」
ライラ越しに手を伸ばしたルリアージェは大きな欠伸をする。飛び起きた際に起こしてしまったらしい。詫びようとした彼女の冷えた肩をルリアージェの手が包み、そのまま彼女はまた眠ってしまった。寝ぼけた状態に近かったのだろう。
再び寝息を立てるルリアージェの温かな手を、パウリーネは握りなおして横になる。そのまま朝までルリアージェの手を握っていた。
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