第29話 サークレラ国王崩御(2)
「いいさ、逃げ帰る時間をやる。貸しだぞ」
笑いながら手を振るジルの態度に怒りを募らせながらも、トルカーネは取り乱すことなく踵を返した。後ろから襲われる心配などしない。魔王を名乗るものとして毅然とした態度を崩す気はなかった。
「他の方々の目はどうします?」
リオネルが好戦的な笑みを浮かべる。赤い瞳が炎のように鮮やかに揺れた。
「放っておけ」
こちらに攻撃してこなければ、放置しろ。それはジルの命令に等しかった。手出しし損ねたリシュアが悔しそうな顔をするが、ひとつ大きな深呼吸をして気持ちを落ち着ける。国王として忍耐を強いられた期間が、彼を精神的に成長させたのだろう。
地下湖へ戻るトルカーネを追って、スピネーとレイシアが消える。魔王の側近を務めるだけの実力者達は、しばらく療養すれば回復するはずだ。新たな敵となることを承知で、ジル達は上級魔性を見逃した。
だが……この魔性だけは別だ。
「おいで」
リシュアの手が差し伸べられると、トルカーネを地上に召還する鍵となった魔性が、焼け爛れた身で近づいてくる。リオネルの炎に焼かれた身体は、かつての整った外見が嘘のようだった。魅了の魔眼を使って呼び寄せた魔性に、リシュアは躊躇いなく触れる。
傷ついた身体に触れるリシュアに擦り寄る魔性は、まるで捨て猫のようだった。必死で愛情を請う様は、完全に術中に落ちたことを示している。
「ジル様、この騒動では祭りが中断されるでしょう」
「そうか、残念だな……国王崩御も?」
「同時に行うが良いかと思います」
リシュアは頭を下げて、己の進退を淡々と語る。
「それに、私がいなくともこの国は大丈夫でしょう」
子離れを決意した国王の眼差しは、さきほどの魔術で助けた国民へと向けられていた。魔性同士の戦いが繰り広げられる現場で、真っ先に逃げることをせず、近くの人を助けようとする。助けられた人がまた次の人に手を差し伸べていた。
正の連鎖が始まったサークレラの国は、これから新たに他国との荒波に晒されるだろう。それでも人は強く生きていけると示すように、彼らは互いの無事を喜び合っていた。
「この国の人は本当に優しいもの」
ライラは手に付いた土を払いながら、ふわりと宙に浮いた。わずかに10cm程だが、それによって足元の魔法陣が薄くなっていく。直接大地に注いでいた魔力を断ったのだろう。
「ジル」
ルリアージェが呼ぶ声に、ジルはすぐに反応した。消え行く魔法陣の中心に立つ美女は、汗で張り付いた銀髪を手で払いながら微笑む。
「助かった、ありがとう。リシュアとリオネル、ライラも」
名を呼ばれた上級魔性達が優雅に一礼して、ルリアージェに礼を尽くす。大きな魔法陣を制御したことで疲れた脳を休ませるように、少しの間目を閉じた。
心地よい風が吹き抜けていく。肌寒いくらいの気温だが、汗ばんだ肌に丁度よかった。何度か深呼吸してから蒼い瞳を開く。映し出された景色は、美しかった。
復元された公園は、大木が白い花を散らす。屋台やベンチも元通り、幸いにして死者がいなかったらしく、回復したケガ人は互いに安全を確かめ合っていた。
「リアの命令だから当然だ」
優しいジルの声にほっと息をついて、中断してしまった花火や祭りを残念に思う。彼らの傷を回復させて、物の記憶を戻しても、人々の中に恐怖の記憶は残ってしまった。それ故に集まった人々は、怯えた目で上空を見つめて帰宅準備を始める。
「もう祭りは無理か」
がっかりした声で呟くと、リシュアが笑いながら首を横に振った。
「今年は無理ですが、来年もあります。また遊びに寄られたら良いのではありませんか」
「ん? 今年国王が崩御したら、来年は喪に服すんじゃないか」
ジルのもっともな指摘に、リシュアが眉を顰める。散って落ちる花びらが積もった銀髪から、ジルはひとつずつ丁寧に花びらを拾いながら首を傾げた。
「喪に服すのを禁止しましょうか」
「いや、再来年で構わない」
国の名前が途中で変わっていたとしても、1000年近い年月守り続けた国王の退陣を国民が嘆くのは当然の権利だ。もちろん、彼らが何も事情を知らないとしても。奪う権利はルリアージェになかった。
魔性にそういった感傷があるかわからないが、惜しんでもらうのは悪い気がしないだろう。
「ところで、足元の魔性は持ち帰るのか?」
連れて帰るのではなく、持ち帰ると表現したことでジルの認識がわかる。足元の魔性を者ではなく、物として扱っているのだ。
魔王や上級魔性にとって、実力がすべてだった。効率的で大規模な魔術を会得していれば、魔力量がさほど多くなくても側近候補になれる。裏を返せば、実力を認められない魔性はその他大勢でしかない。
魔性達の認識を知っていても、ルリアージェは複雑な心境で溜め息を吐く。人間も能力の有無で態度が変わることはあるだろうが、存在自体を物として扱うほど極端ではないため、どうしても違和感が先に立った。彼らと一緒にいると、いずれこの感覚にも慣れてしまうのか。
「ええ、使えるでしょうから」
醜く傷ついた魔性を魔法陣で包み、詠唱なしで癒しを施すリシュアが微笑む。左右で濃淡の違う緑の瞳が向けられた魔性は、ひれ伏して足元に縋りついていた。淡い緑の光に包まれた魔性の焼け爛れた皮膚が、徐々に元に戻っていく。
水の魔王に惹かれて近づき、やがて側近達に役目を与えられ歓喜したのだろう。使い捨ての駒とわかっていても、彼は必死に魔力を尽くして地上に魔王を降臨させた。打ち捨てられても、魔性は己の決断を後悔したりしない。
水の魔王側はこの魔性を使い捨てと判断して捨てた。ならば、我らが拾っても差支えがないと考えるリシュアは、彼の使い道を考えているのだろう。それが酷い方法や手段でなければいい、口に出さずにルリアージェは願った。
「名前は?」
リシュアの問いに、すっかり火傷が治った魔性は真っ赤な髪に縁取られた顔を上げて、小声で名を口にした。
「…ロジェ」
魅了の魔眼に囚われた魔性は、基本的に裏切らない。希少で使い手はほとんどいないのに、この能力が有名なのは使える力だからだった。己より魔力が多い相手に通用しないという欠点はあるが、リシュアのように上位魔性ならば問題はない。
「ならばロジェ、私のために働いてくれますね」
「はい」
嬉しそうに笑う姿は無邪気な子供のようで、この魔性がまだ生まれて間もないことを示していた。真っ赤な髪を数回撫でて立たせると、リシュアはゆっくり周囲を見回す。
「ちょっと手荒ですが、王宮の一部を破壊しますか」
「お手伝いするわよ」
国王崩御の理由を作ろうとするリシュアに、ライラはくすくす笑いながら提案する。断られることを承知で名乗りを上げたのだが、予想外のところから声が上がった。
「お忍びで祭りに参加した国王陛下が被害にあった、ではマズいのか?」
策略に長けているというより、単に疑問として口にしたのがわかる。ルリアージェの一声で、誰も反論できなくなった。
大きな魔術を使って魔力を消費した代償として、身体は休息を欲している。ひどく眠いため、ルリアージェは欠伸まじりに目元を擦っていた。折角の化粧が台無しなのだが、ジルはそんな美女を抱き寄せて満足そうだ。
街の住人達は、突然の騒ぎを花火の爆発だと勘違いしている。他国と違い、過去に魔性の干渉をリシュアが排除してきたため、魔性に襲われた経験がなかった。国民にしてみれば、花火が始まってしばらくしたら大きな爆発があって、その後誰かの魔術で元に戻った――そんな結果しか見えない。
事情を理解できているのは、一部の魔性と国王、王宮の魔術師くらいだろう。
いつもお読みいただき、ありがとうございます(o´-ω-)o)ペコッ
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