第28話 迷惑すぎる来客(3)
お気に入りの側近であるスピネーとレイシアを従えて、水の魔王は嫣然と微笑んだ。眼下に広がるは人の世界、白い花の咲く町は夜に包まれていた。
見下ろした先に、かつて戦った男がいる。
「久しぶりだね、ジフィール」
「気安く名を呼ぶんじゃねえ」
魔性達の大半から忠誠を捧げられた水の魔王を相手に、ジルは憮然とした顔で吐き捨てた。友好的なムードはどこにもない。それも当然だった。切欠となった魔性が主の名を呼んだことで、公園を含めた周囲は壊滅状態となっている。
白い花の木は根元から折られ、何本か生き残った木も傷だらけだった。散った花びらが白く染める大地には、多くの人々がうつ伏せている。彼らの体は潰され、切られ、引き千切られていた。
「ジル様、これは!」
衝撃を感じた瞬間に転移したリシュアが惨状に言葉を失う。1000年の長き年月守り続けた国と国民が、一瞬にしてなぎ払われた光景は悪夢だった。
「あのバカがやらかした」
ジルが顎で指し示す上空に立つトルカーネは、小首をかしげる。足元に傅く側近を振り返り、無邪気にリシュアの逆鱗に触れた。
「ねえ、何を怒ってるのかな」
「ふざけるなっ!」
緑の艶を帯びた黒髪が怒りと魔力に煽られて舞い上がる。舞い落ちた白い花びらも、彼の感情に巻き込まれる形で竜巻のように柱となった。
「リア、どうする?」
この場面で、ジルは己の背に庇った美女を振り返る。ルリアージェは乱れた銀髪を無造作にかき上げて周囲を見回した。傷ついた人、亡くなった人、倒れたサークレラ……賑やかだった祭りの光景は、ただ一人の出現により戦場より無残な姿となっていた。
「オレはお前に従う。リアはどうしたい? 許せないなら、オレがアレを片付けるけど」
敵に背を向けたまま指先で上空を示す。アレと表現した相手が、水色の髪と膨大な魔力を持つ魔性を示していることは、ルリアージェもすぐに理解できた。
「状況がわからない。原因は何だ?」
「水色の奴が水の魔王トルカーネだ。復活してすぐにオレの顔を見に来たんだろうさ」
投げやりな説明に、ライラが呆れ声を重ねた。
「仕返しするつもりなのか、単に顔を見に来たのか知らないけど……品がないわ」
断罪する響きに、魔王の側近が黙っているわけはなかった。主と同じ瞳の色を誇るレイシアは、手に水の槍を作り出して振りかぶる。
「貴様が我が君の名を口にするなど、許さぬ!」
水の槍が3本に増えて、そのまま投げつける体勢に入ったレイシアが身を起こす。しかし彼は槍を投げることはなかった。笑みを浮かべたトルカーネの、ひどく冷たい声が向けられたのだ。
「僕は君に攻撃の許可を出したかな?」
「も、申し訳ございません」
即座にひれ伏して詫びる眷属を見下ろし、トルカーネは風を操って地に足をつけた。同じ高さに立ったことで、彼が意外と小柄なのだと知る。
整った顔はすこし幼さが滲んでいる。大人になる直前の、少年期の終わり頃の印象だろうか。ルリアージェは眉を顰めて唇を噛み締めた。
上級魔性の残酷さは知っている。目の前にいる水色の青年が魔王の一人だとしたら、その残酷さや冷酷さは比するべくもない。彼らにとって人間はハエと同じだった。邪魔だから叩き潰す。必死の抵抗を一撃で潰しておいて、罪悪感は一切ないのだ。人がハエを叩き潰すのと同じだった。
首筋に触れるぎりぎりの長さの髪を風に揺らしながら、トルカーネは穏やかにジルの前に立つ。
「いきなり攻撃されるかと思ったけど、少し大人になった? ジフィール」
「オレは同じ言葉を告げるほど優しくないぞ」
ジルはふんと鼻を鳴らして突き放した。ルリアージェに出会ったばかりの頃ならば、目の前の青年に攻撃を仕掛けただろう。今にも襲い掛かりそうなリシュアを制しながら、ジルは再びルリアージェに声を向けた。
「リアが命じれば、オレもリシュアも手を引くぞ」
「あたくしもね」
「ジル様、私をお忘れですね」
トルカーネより色の濃い肌にかかる金髪をかき上げながら、苦笑いしたリオネルが口を挟む。手を上げて自己主張するライラの茶色の髪が揺れて、簪が涼しげな音を立てた。
ルリアージェはゆっくり周囲を見回す。倒れた屋台、下敷きになったおじさんは優しかった。スリの被害があっても、他国の孤児を気遣うような国民たち。リシュアがかつて主から離れてまで守った人の末裔が暮らす国――深呼吸してトルカーネに目をやった。
水色の短髪の毛先を耳元でくるくる回す指や幼い顔立ち、何も悪いことをしたと思っていない態度、褐色の肌は傷ひとつない”水の魔王”はルリアージェの視線に眉を顰めた。ただの人間風情が正面から魔王を見つめるなど、あり得ない。
「ジル、ライラ、リオネル、リシュア……これ以上この場所の人々を傷つけずに退けられるか?」
「当然だろ。リアは命じればいい」
「そうよ。あたくしだって魔王に匹敵する魔力の持ち主ですもの。負けないわ」
ジルとライラが傲慢なほど強気な返事を寄越す。そこに滲んだ自信と誇りは、人には持ち得ない高いものだった。目の前で立ち尽くす魔王を忘れたようにジルは笑顔で振り返ったままだし、ライラも彼にちらりとも視線を向けない。
主の姿に何を思ったか、リシュアとリオネルも従っていた。つまり、水の魔王を完全無視だ。
「我が君のお手を煩わせるまでもなく、私が処理いたします」
「ジル様も久しぶりに力を揮いたいのでしょう。お邪魔にならない程度に参加させていただきます」
忠義のリシュアに対し、敵を馬鹿にした態度を表に出す好戦的なリオネル。無視されて立ち尽くす魔王。だんだんと険悪になる状況に耐えられず、ルリアージェは大きく息を吐いた。
「ならば命じる。水の魔王とその配下をこの国から排除せよ。ただし、これ以上サークレラの国や国民を傷つけることは許さない」
「承知した」
ジルがそっと右手の甲に唇を寄せる。その後ろでリシュアとリオネルが膝をついて一礼した。左手を握ったライラが無邪気に提案する。
「リアは国民の救助をするのでしょう? あたくしはリアのお手伝いをさせていただくわ」
「え、ずるい」
すぐに反応したジルの尖った唇のせいで、緊張した空気が霧散する。黙って見ているトルカーネの目は大きく見開かれていた。水色の瞳に映る光景は、到底信じられないものだ。
あの死神ジフィールが人間に膝をつくなど――1000年前に戦った他の魔王の誰に言っても信じない。トルカーネも他人から話を聞いたなら、一笑に付しただろう。膝をつく存在が神族や魔族であったとしても、到底信じられる状況ではなかった。
「……君が、人族に従うの? なぜ…」
誰の命令も聞かない、指示を受けない、好き勝手に生きる存在だと思っていた。沢山の配下を従えることを面倒がるくせに、他者を惹きつけてやまない。圧倒的な強さと、非常識な能力をもつ男だった。封じたときでさえ、彼は最後に手を抜いたのだ。
魔王3人を相手取って手加減する余裕をもつジルが身を起こし、黒衣の裾をゆったり捌いて向き直った。楽しそうに口角を持ち上げる表情は、かつての彼と同じだ。
「ライラ、命に代えてもリアを守れ」
「あたくしは貴方の部下ではなくてよ! でも毛筋ほども傷つけさせる気はないわ」
幼さの残る少女は誇らしげに言い返すと、銀髪の美女を守るように前に立った。背後でリアと呼ばれた美女が祈りの形に手を組む。赤く色づいた唇から、柔らかな声が詠唱を始める。同時に彼女の足元に大きな魔法陣が現れた。
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