第28話 迷惑すぎる来客(2)
ドン!
大きな音に空を見上げる。花火が広がる空は、すでに暮れて濃紺色に染まっていた。その深い色を引き裂くように、鮮やかな花火が広がる。
「綺麗だ」
「そうね」
女性達の感嘆の声に、しかしジルは表情を厳しくした。懸念材料があるのか、夜空の暗い部分を睨みつけている。
「ジル?」
「……魔性だ」
呟かれた不吉な単語に、ルリアージェも目を凝らす。花火の明るさに隠れるように、夜空に濃緑の衣を纏った人影が見えた。肌は白いのか、顔や手首が浮かび上がっている。長い髪は赤だろうか、腰まで届く髪をそのまま揺らしていた。
「あら、本当に魔性だわ」
ライラが肯定したことで、ルリアージェも気付いた。彼らはとんでもない魔力の持ち主だ。実力がすべての魔族において、最高級の実力者達だった。その彼らが「魔物」ではなく「魔性」と表現したのなら、上空に立つ魔性はかなりの実力者だろう。
少なくとも、先日襲ってきた人型をかろうじて保つ程度の魔物ではない。膨大な魔力をもつ上級魔性である可能性が高かった。
人の世界に魔性は興味を持たない。人の法律に従う気もない。魔物ならば人の命を奪ったり、魔力目当てに己より弱い者を襲うことはあるが……上級魔性にとって他者の魔力を当てにするなど屈辱でしかなかった。そのため、戦って勝っても相手を吸収しないのが常だ。
この国に興味を示した可能性は低い。同じ理由でリシュアも除外されるだろう。彼は上級魔性でありながら、ずっと人族の国王を務めてきた。長期間、居場所がはっきりしていたのだから、今更襲う必然がない。いつでも仕掛けることはできたのだ。
このタイミングで魔性が訪れる原因と思われる2人は、ルリアージェを見つめてから苦笑いを浮かべる。大地の魔女と死神、どちらも二つ名を持つ魔性だった。彼らがこの国を訪れてすぐに魔性が現れたのなら、魔性の目的はジルかライラだ。
「ちょっと片付けてくるか」
「そうね、見下ろされるのは嫌いだわ」
戦う気の使い魔たちにルリアージェは目元を手で覆って、大きな溜め息を吐いた。俯いた拍子に髪飾りが揺れて、銀の髪がさらりと顔を隠す。白いうなじを露に、美女は深呼吸して顔を上げた。
「なぜ…戦う前提なのだ」
「え? だって邪魔だろ」
「排除しないと、花火鑑賞の邪魔ですもの」
どちらも「邪魔」という単語で魔物を指し示す。周囲への気遣いも、魔性の話を聞いてから動くという考えも存在しなかった。単に目障りだから叩き落す――ハエや羽虫のような扱いだ。
「話を聞いてから……っ」
そこで言葉が切れた。頭上で膨らんだ魔力に焦って見上げた夜空に、大きな魔法陣が広がっている。裏側から見た魔法陣を読み解こうとするより早く、ジルが結界を張った。
「ジル、周囲も」
守ってくれと、頼む前に雷が何本も落ちた。大地に落ちた雷が公園の土を走り、サークレラの大木を引き裂き、花火見物に集まっていた国民や観光客を襲う。
「きゃぁ!!」
「どこの攻撃だ!?」
「魔物がいるわ」
悲鳴と叫びがパニックを巻き起こす。公園内の国民は見上げていた空から降って来た雷で、魔族の姿を見つけて混乱した。人を押しのけて逃げる者、家族を捜して立ち止まる者、女子供を逃がそうとする騎士達、直撃を受けたのか倒れた者もいる。
「ジル、結界を大きく張れるか?」
「張れるが、人間だけ移動させた方が早い」
「戦うなら転送したほうがいいわね。ひとまず攻撃はあたくしが防ぐわ」
攻守が決まったらしい。ジルが魔法陣を呼び出して転移先の記号を変更する。青白い光は一瞬で公園全体を包み込み、直後、中の人間だけを転移させた。残された魔法陣をジルが指先で書き換える。筒状の結界で公園全体を包んだあと、長い黒髪を揺らして空を見上げた。
雷による攻撃により壊れされた屋台や机などが散乱する公園の芝に、緑色の魔法陣が広がる。一瞬だけ光を放った魔法陣は、大地に溶けて消えた。その円の中央で少女が笑う。自信に満ちた笑みを浮かべる彼女は、狐の大きな尻尾を左右に振った。
「さて準備完了だ。遊んでやるから下りてこい」
挑発するジルの隣に、黒い円が生まれてリオネルが現れる。大地に発生した黒い円は光を吸い込む闇で満たされており、まるで闇が人型を取ったような錯覚をもたらした。
「なんだ、来たのか?」
「戦いならば混ぜてください」
片眉を持ち上げて尋ねる主人へ、眷属は苦笑いしながら一礼してみせた。彼らの間に緊張感はない。3人の魔王と互角以上に戦った彼らにしてみれば、魔性など相手にならないのだろう。
「下りなさい」
ライラの好戦的な声が響く。しかし上空の魔性は何かを待っているのか、動こうとしなかった。
「あたくしは下りて来なさいと命じたのよ」
言い直したライラの語尾に重なる形で大地が身を起こした。人間の指のように檻の形を作った公園の土が魔性へと伸び、同時に風が魔性を下へ押し付ける。抗う魔性の足元に、白い炎が生み出された。
「ちょっと! 邪魔しないで」
「お手伝いをしてさしあげただけですよ」
彼女が操った地と風に加え、リオネルの炎が魔性を襲う。雷を操った魔性に勝ち目はなかった。身体を松明として燃やされる魔性の唇が、何かを呼ぶ。
直後――大きな魔力が出現した。
ドクン。
闇が胎動する。何も見えない真っ黒な空間で、鼓動の音だけが響いていた。
期待を込めて傅く数人の魔性達は誰も口を開かない。微動だにせず、視線を一点に集中させたままだ。膝をついて見つめる先で、闇が僅かに動いた。
ドクン。
ゆらゆら、闇が黒い湯気か煙のように漂い始める。まるで何かの中身が溢れてくるようだった。じわりと闇を侵食していた黒が突然弾ける。
音もなく色が生み出された。光を僅かに纏った人影は立ち上がり、一歩踏み出して動きを止める。人影の周囲に闇が割れた卵の殻のように残され、無音で崩れて消えた。
「我が君、復活おめでとうございます。我ら側近一同、この瞬間をお待ちしておりました」
一人が伏せて言葉を紡ぐと、異口同音に同じ言葉が向けられる。人影はゆらゆら揺れながら近づき、足元の存在に目を落とした。伏せて己を崇める魔性へ、透き通った水色の瞳が細められる。
「迎え、ご苦労。何年経ったの?」
「1000年にございます」
「そう……長いね」
白に近い薄い灰色の衣を引き摺り、青年は穏やかに呟いた。短い髪は柔らかそうに風に揺れ、瞳と同じ水色が褐色の肌を縁取る。整った顔は、この場でひれ伏す上級魔性達の追随を許さない。誰もが見惚れる顔に優しい笑みを浮かべて、青年は小首を傾げた。
「レイシア、他の魔王は?」
名を呼ばれた先頭の魔性が震えながら顔を上げ、麗しい主の姿に目を潤ませる。
「はい、風の魔王と火の魔王も、近々戻られるでしょう。我が君が最初にございます」
最初に復活したのは水の魔王だと誇らしげに告げる配下へ、さらに問いを重ねる。その声は穏やかなままで、凪いだ水面のようだった。
「でも、死神は戻ったんだよね?」
少年から青年へ移る不安定な年頃の姿を纏う水の魔王は、淡々と状況を確認する。問いの形をとっているが、確信している物言いだった。
封印された彼らにとって、1000年は一瞬だった。目を閉じて目覚めたら長い刻が過ぎていただけ。体感した感覚としては1日にも満たない、瞬きの間なのだ。
「はい」
複雑そうな色を滲ませた側近スピネーの声に、トルカーネは口角を持ち上げて笑みを深めた。