第28話 迷惑すぎる来客(1)
「お嬢さんたち、昼間もいただろう。着替えてきたのか?」
スリを逃がした飲み物屋台のおじさんだった。花火に合わせて移動するのが屋台の便利さだと笑って告げる彼は、毎年同じように夜は公園へ移動しているのだろう。
「よくわかったわね」
ライラが首を振ると、しゃらんしゃらんと金属の簪が涼やかな音を立てる。
「これだけの美男美女が自国の衣装に着替えたってのに、気付かないほど耄碌しちゃいないぜ。うまい麦酒があるが、飲んでいくか?」
昼間にジルが渡された透明な酒ではなく、薄茶色をした酒を勧められた。小さな泡がびっしりと瓶の中に張り付いている。細長い瓶に入れられた紅茶色の酒に興味を示すルリアージェに笑い、ジルが2本頼んだ。
「まいどあり」
受け取った瓶は冷たい。ひんやりした瓶に驚くルリアージェは、屋台の大きな甕を覗き込んだ。素焼きの甕は半分ほど水が張られており、瓶は水に触れないようぶら下げてある。
「気化熱か」
蒸発を促す魔法陣が描かれた甕の内側は、ひんやりしている。蒸発時に奪われる熱の恩恵で、瓶の酒が冷える仕組みだった。魔法陣を真剣に眺めるルリアージェが眉を顰める。
「ジル、この魔法陣……おかしい」
言われて後ろから肩を抱いて覗き込んだジルが、小首をかしげた。確かに多少効率が悪そうだが、機能しないほどの問題点は見受けられない。ルリアージェが何を「おかしい」と判断したかわからず、彼女が身を起こすのを待った。
覗きこんでいた甕から離れたルリアージェが座り込み、拾った枝の先で地面に魔法陣を書き写す。すべてを書き終わると、中央より1列外側の線を指し示した。
「ここだ」
ルリアージェが問題視したのは、冷やすための蒸発を促すエネルギーである魔力の供給源だった。通常は魔術師が描いた魔法陣に魔力を流すのは、人間だ。この場で言うなら、甕を冷やす魔力は屋台のおじさんが供給する形になる。しかし、この魔法陣に供給者の記述はなかった。
指定されない魔力をどこから供給しているのか。
「リアが何を疑問に思ってるのか、わかった」
「そうね、人族にはわかりにくいかもしれないわ」
上級魔性達は顔を見合わせると、ルリアージェに説明を始めた。
「この魔法陣の中央付近にある小さな記号が、魔力の供給源を示してる。この記号から読み解けるのは、周囲の人間から溢れる僅かな浮遊魔力を集めている術式だ」
「つまり人が沢山あつまる祭りでは良く冷えるけれど、人が少ない場所では使えない魔法陣ということよ」
2人の説明に頷いたルリアージェが枝の先で、魔法陣に記号を追加した。
「ここをこうしたら……もっと効率が上がるだろう。それに人の魔力ではなく、植物や土地の魔力を利用できる」
しゃがみこんで魔法陣談義を始めた3人の周囲は、徐々に人が集まってくる。難しい話なので、一般の民に理解できる内容ではなかった。ただ魔術師自体が珍しいこともあり、見目麗しい男女は人目を集める。
唸ったジルが指先でひょいっと記号を移動させた。
「こうしないと、循環回路が働かない。増幅系の術式を足したら…追加の魔力はほぼ不要にならないか?」
「あら無理よ。だってここが繋がらないもの。巡る輪は切れなくても増幅には限界があるわ」
子供の外見でライラが話に加わったため、周囲のざわめきが大きくなった。そこでやっと多くの視線に気付いたルリアージェが顔を上げて、ぱちくりと瞬きする。
「人が……沢山いるな」
「こんなところに魔法陣描いてれば目立つだろ」
苦笑いするジルの整った顔に、悲鳴を上げて卒倒する女性が数人現れる。美形はいるだけで迷惑…ではなく、目の保養になり騒ぎの中心となるらしい。
「お店の麦酒はよく冷えるでしょうね」
ライラの指摘に、顔を見合わせた3人はくすくす笑い出した。そんなつもりはなかったが、結果的に屋台のおじさんは儲かっただろう。甕の酒を冷やす魔力である人を集め、さらに客の呼び込みまで手伝ってしまった。
先に立ち上がったジルはルリアージェへ手を差し出し、ふと気付いた女性に視線を止める。サークレラ国に多い黒髪の女性は、ふくよかな胸元に美しいネックレスをしていた。その宝石をじっと見つめる。青い民族衣装の色と合わせた青い石がきらりと光を弾いた。
「ちょっと……あなたのこと見てるわよ」
「格好いい人よね」
女性2人のうち一方の胸元を見たまま動かないジルに眉を顰めたルリアージェは、目の前に差し出された手をぱちんと叩いた。我に返って振り返ったジルの前で、頬を膨らませたルリアージェがそっぽを向いている。呆れ顔のライラがルリアージェとしっかり手を繋いでいた。
「最低ね、ジル」
何を咎められたのか理解できないジルは先ほどの女性を振り返り、再びルリアージェに視線を戻した。比べるまでもなく、ジルはルリアージェを選ぶ。しかし彼女はそう思わなかったらしい。
「気に入ったのなら、向こうの女性と出かければいい。私はライラと行く」
「ん? リア……もしかして、やきもち?」
「違う! どうせ私は胸がないからな」
コンプレックスを刺激してしまったらしい。民族衣装の合わせ目から零れそうな大きなふくらみを睨みつけるルリアージェは、刺々しい声でジルを切り捨てた。目を見開いて彼女の怒りを受け止めたジルの表情が、次第に緩んでいく。
「行くぞ、ライラ」
「ご愁傷様」
にっこり笑ったライラがルリアージェに手を引かれて、踵を返す。銀髪を揺らして足を踏み出したルリアージェの後ろから、ジルはそっと彼女に覆いかぶさった。身長差を利用して彼女の首筋に唇を押し当てる。周囲から悲鳴や歓声が上がる中、怒りの表情で振り返ったルリアージェの唇にキスを落とした。
「ん…っ」
ルリアージェの釣りあがった眦が垂れるのを待って、ジルは腕の中の美女に微笑みかける。
「ねえ、嫉妬してくれたの? オレがリアの虜だと知ってるくせに……」
ちっと足元でライラが舌打ちする。これ幸いと主を独占しようとした少女を、ジルは見えない場所で蹴飛ばした。気付かないルリアージェは真っ赤な顔で絶句している。
人前で接吻けなど、ルリアージェの常識にはなかった。
「ち、違うぞ」
「でも気に入らないんでしょ? オレが他の女を見たから? オレが気になったのは、胸元にあったネックレスの石だ」
言葉に釣られて振り返ったルリアージェは眉を顰めた。豊かな胸の上に乗っている宝石は青く、透き通っている。上質な宝石だが……鉱石じゃなく封印石だった。
「封印石か」
「そう、あれの気配に覚えがあって……知り合いかな?って思ったわけ」
「……ちっ、捨てられればいいのに」
不吉なセリフを吐き捨てるライラは、風を上手に操って声をジルにだけ届ける。聞こえなかったルリアージェは、ジルの言葉にだけ反応した。
「知り合い、なのか」
「たぶんね。でも簡単に封印される奴じゃないし、変だな」
唸っていたジルだが、すぐにルリアージェの銀髪に手を触れながら踵を返した。封印石の話など忘れたように笑顔で頬にキスを落とす。
「それより、花火を見るんだろ? 屋台で買い物して、ゆっくり見られそうな場所へ移動しよう」
「いいのか?」
「あの女から取り上げるのは簡単だけど、オレの配下じゃないから義理もないし……今はリアと花火見るほうが優先だぞ」
「あたくしとリアだけで十分だから、石のところへ行ってらしたら?」
「冗談だろ」
ライラの意地悪な提案を一蹴したジルに促され、ルリアージェは手を繋いだライラと歩き出した。ちらりと振り返った先で光る青い石が気にかかるが、豊かな胸に舌打ちしたい気分で目を逸らす。
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