第23話 魔の森のお茶会(4)
魔族を完全に殺しきる能力こそ、ジルが『魔性殺し』『死神』の名を冠した理由だった。左手のひらを裂いたアズライルの柄や刃には、ジルの赤い血が付着している。神族の血を浴びて聖別された武器により傷つけられた魔族は、傷口を再生できない。
大量の魔力で手足を再生させる能力も、アズライルに切り裂かれれば効果がなかった。ほぼ苦痛を感じない魔族に激痛を与え、完全に殺しきる。
「……失敗した」
怖い顔をしていたジルが、アズライルに寄りかかる形で溜め息をついた。
『普通に呼び出せばよいものを』
呆れ口調でアズライルが同調する。怒りに任せて呼んだせいで、ジルの左手のひらを内側から裂いてアズライルは顕現した。そしてつまり、アズライルで付けられた傷は癒えにくいのだ。神族の治癒能力をもってしても、魔性殺しの刃は痛かった。
「いや、そっちじゃなくて」
足元の灰を蹴飛ばす。どうやら自分の傷の話ではない、ジルの呟きの理由に気付いたライラが肩をすくめた。
「あたくしを含め、レディの前で血生臭い行為は控えて欲しいわ」
「お前は除いて、レディの前だから……我慢するか」
ライラが自らをレディの括りに入れたことを徹底的に否定した美青年は、不満そうに唇を尖らせた。魔物を一瞬で殺したことを悔やんでいるのだ。主であるルリアージェを「人間ごとき」と称した魔物を、苦しめずに殺してしまった後悔は深かった。
「失礼な男ね」
「失礼なのはお前だっての、なんでリアとお前が同じだと思うんだ?」
心底不思議そうに問う失礼な男へ、ライラは手元のクッキーを投げつけた。自慢の顔へ向けて飛んできた菓子を右手であっさり受け止め、ぱくりと口に運ぶ。
「にしても、このまま消すのは癪だ」
『ならば魔物を持ち帰ればよかろう』
アズライルの提案にジルの表情が明るくなる。
「それもそうだな。後で刻んでもいい」
魔族同士の話に口出ししたくないルリアージェは、聞こえないフリを決め込んだ。この場で唯一の良心が口を噤んだことで、襲撃者達の運命は詰んでいる。
残る魔物を個別に結界で包む。ゆっくりと球体の大きさを小さくしていくと、手のひらに乗るガラス玉になった。緑がかった玉や青みがかった玉、僅かに赤いものもある。4つの玉を手の上で転がし、ジルは機嫌よさそうにテーブルへ戻ってきた。
「なぁに、それ」
ライラがひとつを摘んで中を覗き込む。濁って渦を巻いたガラスの中は見えないが、魔族である彼女は球体の中の状態を把握したらしい。テーブルの上を転がして、ジルへ返した。
「ジル、それは?」
魔物を閉じ込めた球体だとは分かるが、先ほどから濁っている。青や緑を帯びていた球体の中が徐々に赤く、やがて黒に近い色に変わる様は興味を引かれた。
「ああ、襲撃者の残りを結界で『遮断』したんだ」
遮断……閉じ込めたという意味に取ったルリアージェは深く考えずに「そうか」と納得した。しかし意味を知るライラは溜め息をつく。
遮断した――簡単に説明されたが、要は世界から隔離したという意味だ。魔族は基本的に散らされても元に戻れる生き物であり、ジルは止めを差さずに彼らを隔離した。
空気も時間もない結界内で、魔物は死んで魔力を散らすだろう。そして結界により隔離された空間で魔力は再び核に集まり、魔物は復活する。だが同じ空間の中でまた殺されるのだ。繰り返す終わりのない生と死は、襲撃した魔物に対するジルの嫌がらせだった。
彼にとって、罰ですらない。邪魔だから隔絶した結界に閉じ込めただけ。その結果を知りながら、虫の羽を千切るように残酷な子供の意識で放置する。
『我は還っても構わぬか?』
アズライルの問いかけに、ジルは少し考える。それから左手を伸ばして柄を掴んだ。
「毎回呼ぶの不便だから、こっちにいたら?」
『呼べばいつでも応えるが』
言外にこちらの世界にいたくないと示されれば、これ以上引き止める理由はない。あっさりと柄を離した。宙に浮いた鎌はそのまま風景に溶けるように薄くなって消える。
「あいつ、付き合い悪いよな」
「しかたないでしょう。モノなんだから」
者でもなく、物でもない。意思がある武器は、世界の核を生み出した闇帝の手にあったと謳われる伝説の存在だ。
「さて、お茶も終わったしお祭りに行きましょう♪」
浮かれたライラの提案に、ジルも「そうだな」と同意する。しかしルリアージェは不安に駆られていた。
もしかしたら、アスターレン同様サークレラにも『災厄』を持ち込もうとしているのではないか?
「リア、手を取って」
ジルに促されて素直に手を取る。後ろのテーブルや食器を片付けてジルの亜空間に放り込んだライラは、少女の外見に似合わぬ豪快な所作で手を叩いた。
「片付けは終わったわ」
狐に似た大きな尻尾を左右に振るライラが足元に魔法陣を描く。彼女の緑の魔力が魔法陣にいきわたるより早く、ジルは己の足元に出現させた魔法陣で転移した。
4回の転移を終えて現れた場所は、路地裏だった。首都に入る門を潜っていないため、目立たない場所は助かる。きょろきょろ見回し、誰にも目撃されていないか確かめた。
「大丈夫よ、リア。結界を張ったから」
軽く握った拳でこんこんと叩く。手を伸ばすと、すぐに薄いガラスのような透明の膜に触れた。
「痛っ、嫌がらせか?」
長身のジルが頭を打ったらしく、少し屈む。そんな彼を笑うライラへ、ジルは爆弾発言をした。
「しょうがねえか。チビだからな」
「…成長期前なのよ」
「千年以上子供のフリしてるだろ、チビ」
「殺されたいの?」
「ヤレるなら殺ってみろ!」
子供の口喧嘩にルリアージェは頭を抱えた。魔物相手のときは息ぴったりなのに、不思議なほど仲が悪い。放っておいたら、サークレラ国崩壊の事態を招きかねない……割と本気で。
「ライラ、結界助かった。もう解除してくれ」
「分かったわ、リア」
結界をライラが解除すると、周囲のざわめきが聞こえてきた。姿だけでなく音も遮断していたようだ。街の喧騒が、祭りへの期待を後押しした。
「ジルも、祭りの前だから気を静めろ。ほら」
「ああ」
ルリアージェが手を差し出したため、ジルは嬉しそうに腕を絡めて歩き出す。後ろから走り寄ったライラはさりげなく、逆の手を掴んでいた。何も知らずに見れば、若夫婦と子供のようだ。
「これは片付けておいてくれ」
自分の収納魔術を使うと、一度結界を呼び出して荷物を積んでからまた仕舞う手間があるため、ルリアージェは遠慮なく灰色熊のコートをジルへ押し付けた。ウガリスは冬だが、サークレラは春だ。寒い季節が終わり花が芽吹いた国で、毛皮のコートは不要だった。
「はいはい」
ぽんと空中に放るジルの手から離れた毛皮は、そのまま空中に飲み込まれて消える。
裏路地を抜けると、大通りは真っ白だった。他の国では大通りに設置する街路樹や街路灯を、道の外側に配置する。歩道と車道を分ける意味もあるのだろう。両脇に樹木を植えるのは、街の中心に当たる大通りに限られていた。
この国は逆だ。国名のサークレラは白い花の名前であり、その花が咲く木が大通りの真ん中に植えられていた。人や馬車は中央の樹木で左右に分けられる。右側通行を義務付けられており、左側に用がある時は街路樹の間を抜ける必要があった。
 




