第23話 魔の森のお茶会(1)
冷たい風が心地よい。北は氷の大地を抜けた寒風が常に吹くと聞いたが、もっとも冷える国ツガシエであっても、ウガリスに近い国境付近は寒さも緩かった。
「リア、あたくしはサークレラのお祭りがお勧めだわ」
「ルリアージェ、オレもお祭りがいいと思うぞ」
口々に勧めてくるサークレラ国の祭りも気になる。年に1回だけ国を挙げて大規模なお祭りが開催されるのだが、他国の王族や有力者が集まってくるのが問題だった。
すくなくともお尋ね者なのだから、テラレスの王族が顔を見せる確立が高い場所は避けたいと思う。人間として当たり前のこの心情を、彼らは理解できなかった。
気に入らない相手がいれば吹き飛ばすなり、どこかへ転送すればいい。そんな物騒な提案をするジルに続き、やはり半分は魔性のライラもあっさり同意してしまった。彼と彼女にとって、強者である自分達の機嫌を損ねる存在はゴミ同然、排除するのに罪の意識がない。
「お祭り行かないなら、サークレラの祭り自体を開催できなくするぞ」
「待て、どうしてそうなる!」
ジルのとんでもない発言に、さすがにルリアージェも無視できずに口を開いた。
「だって……ルリアージェが」
「そうよ、リアが我が侭なんだもの」
なぜかライラもジルに同調する。
私の我が侭なのか、これは……お前らの我が侭じゃないのか? 思わず頭を抱えてしまう不運な美女は、仕方なく彼らに行き先変更を告げる。
「わかった、サークレラにいこう」
そもそも、ツガシエとウガリスの国境に現れたのは、ジルの転移によるものだった。祭りに行きたいのならばサークレラ国境付近に転移すればいいものを、彼は安全な座標だとしてツガシエの魔の森に降り立ったのだ。
幻妖の森のように移動する心配はないが、魔の森も人が踏み入らない。魔性や魔物が多く生息し、危険な場所として知られていた。事実、直接国が接していなかったテラレスの宮廷魔術師であるルリアージェ自身、危険だという話は何度も聞いている。
「ルリアージェ、これを着て」
濃紺のドレスの上に、魔術師のローブを羽織っていたルリアージェの肩にふわふわの毛皮が乗せられる。黒系のローブに合わせたのか、濃いグレーの毛皮は濃紺のドレスにも違和感がない。柔らかい手触りに、何度も手で触れてしまった。
「これは…」
「ああ、大昔に捕まえた……熊だっけ? の毛皮だ」
「違うわ、ジル。これは狼系の毛皮よ」
ライラの指摘に小首をかしげて、記憶を探っていく。ジルは真剣に考えたあと、いきなり空中に魔法陣を浮かべて手を突っ込んだ。リアの使う結界を使った魔術とは違う、空間魔術の一種らしい。
魔術で繋がる空間が違うため、効果も多少異なる。ジルが繋ぐ亜空間には生き物を生きたまま保存可能だが、ルリアージェが繋ぐ時空間は生き物は入れられなかった。無理やり入れても時間が止まって死んでしまうだろう。
魔法陣は小さく手が入る隙間しかなかった。通常、大き過ぎる魔法陣と小さな魔法陣は難しい部類に入る。なぜならば魔性と違い、人間の魔力には限りがあった。大きすぎる魔法陣を描こうとしても魔力が足りない。逆に小さな魔法陣は、刻む文様の細かさから描きにくいのだ。
「これは違う、これも……いや、こっちかな?」
何やら探しながら、次々と毛皮を外に放り出す。取り出す物の大きさに合わせて、魔法陣の大きさが変化するのは技術の高さをうかがわせた。だが彼が『大災厄』だと知っていれば、当たり前すぎる光景かも知れない。
「あった、これ!」
白、茶、茶、白、黒と積み重ねられた毛皮の最後に、ジルは得意げに濃グレーの毛皮を乗せた。どれも毛布に使えるほど大きいが、最後の濃グレーは倍近い大きさだ。寝具に出来るサイズの毛皮を片手で持ち上げるジルは、残った毛皮をすべて魔法陣の中へ戻した。
「こっちが熊だ。色が似てるから間違えた」
「あら、この熊知ってるわ。たしか魔の森の主じゃない?」
にこにこと毛皮をコートに変化させるジルが、狼らしい毛皮を魔法陣に放り込んで消す。代わりにコートに加工された熊の毛皮が肩に乗せられた。正直、熊でも狼でも温かければ構わないルリアージェは、文句を溜め息で潰した。
どうせ文句のひとつやふたつ、奴は聞かなかったフリで流してしまう。
それより何やら物騒なセリフを吐いたライラが、近づいて毛皮を確かめている。あちこち確認した後で、くすくす笑い出した。
「ほら、ここ。昔あたくしとケンカした際に風の矢を受けた痕跡よ」
「……いきなり襲ってきたから倒したが、そうか。あれが魔の森のグリズリーか」
本来はもう少し茶系の熊なのだが、ボス熊だけ濃グレーをしている。御伽噺で聞いたことはあったが、まさか倒されて毛皮になったとは知らなかった。子供の頃に寝物語で聞いた話を思い出す。
「御伽噺で聞いたぞ」
「ああ、それはコイツの子孫だろ」
倒された熊の子孫が、御伽噺として聞かされた熊だとすると……何世代後の熊だろうか。さわり心地の良い毛皮を撫でながら、奇妙な感覚に苦笑いした。伝説の熊をコートにするなんて、ひどく贅沢だ。
「気に入った?」
「ああ」
温かいので素直に頷けば、嬉しそうにジルが笑う。整った顔で全開の笑顔は心臓に悪いが、その後の言葉はもっと心臓に悪かった。
「良かった! 次はもっと大きな熊を獲るからな」
「……獲らなくていい」
魔性の感覚はよく分からない。理解の外で生きる彼らに振り回されるのは、諦めた方が良さそうだ。都度止めれば聞いてくれるのだから、人族の為にコントロールを頑張るしかない。
「あたくしも毛皮は持っていてよ」
張り合うライラが魔法陣を頭上に展開する。逆さまに天へ向かって描かれた魔法陣から、次々と毛皮が落ちてきた。
「……」
なんだろう、魔性って戦利品として毛皮を集める習性でもあるのか? そんな話聞いたことなかったが、もしかしたら上級魔性の間では嗜みなのかも知れない。
遠い目をしたルリアージェの前に、色取り取りの毛皮や羽が降って来た。
「この羽なんか、綺麗でしょ! ルリアージェの髪飾りにどうかしら」
「白孔雀か、彩楽虹鳥の羽と合わせてみろ」
「あら、意外といいわね」
大人しく雪の中に立っている間に、孔雀のように飾り付けられてしまった。虹色のグラデーションが美しい羽と白い孔雀の羽が数本束ねられた銀細工の飾りを乗せられ、銀髪に絡めるように留められた。
「素敵よ、リア」
「確かに良く似合う」
絶賛されても、ここは国境付近の魔の森の中だ。鏡もない現状、自分がどう飾られたのかわからなかった。ほかに見せる人もいない場所で、ルリアージェは割り切って礼をいう。
「ありがとう、二人とも。とても助かる」
嬉しそうなジルとライラを見れば、どちらも人間の子供と同じだ。我が侭で自分勝手、褒めてもらいたくて手柄を競うあたりも、本当に精神が幼いのだろう。
彼らの扱い方がわかってきた。
5~6歳の子供か、賢い犬として扱えばいいのだ。褒めて伸ばし、いけないことをしたら叱る。言うことを聞く間はこの手で行こう。
――アティン帝国を滅ぼした『大災厄』と、その大災厄を封じた『大地の魔女』を飼うなんて……予想外だが、捨てても追ってくる確信があった。
「サークレラにいくぞ」
千切れんばかりに尻尾を振る姿が容易に浮かぶ魔性たちを引き連れ、ルリアージェは雪の中を歩き出した。




