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第21話 歴史とは捏造された小説で(3)

 そこでジルは紅茶を一口飲んで、深呼吸した。大まかな説明はレンが担当してくれたため、ここから先は大災厄にかかわる話となる。唯一と定めた主人の温かな手に、冷えた手をそっと乗せた。


「大災厄とよばれた原因は、アティン帝国を滅ぼしたことじゃない。当時のオレは神族にも、魔族にも居場所がなかった。それはそうだ、どちらにしても半端者なんだからな」


「ジル様…」


 自嘲的な言葉を咎めるリオネルの声に、空いている右手を上げて遮る。


「さっき、レンが(まじ)わりに法則があると言っただろう。あれに似た法則がもうひとつある。『殺害に関する法則』だ。魔性は神族を殺せず、人間は魔性を殺せない。わかるか? 魔性を殺せるのは神族だけ、神族を殺せるのは人間のみだ」


 ルリアージェは混乱しそうな話を頭の中で纏める。図を描いて考えれば、理解しやすかった。人間は魔性を殺せないが神族を殺せる。神族は魔性を殺せるが、人間を害さない。魔性は人間を殺すが、神族には勝てない。だから人間は魔性を封じるだけだ。封印石の魔術は、害される人間側にとって最上級の抵抗だった。


 魔術と同じなのだ。世界はバランスで保たれており、この輪の中から抜け出すことはできない。火、水、風、土も同じように循環する輪が、互いを打ち消しあいながら均衡を保っていた。


「神族は人間を殺せない。だから簡単にアティン皇帝に狩られたんだ。この法則だけはどうしようもない。どれだけ魔術を極めても、魔力を高めても結果は同じだ」


 世界の真理というべき話だ。魔性や神族は生まれながらに、この真理を理解している。気付かずにバランスを崩すのは、いつでも人間だった。


「アティン皇帝が人間である以上、神族は絶対に勝てない。だが、オレみたいな混じり者がいれば話は別だ」


「……お前は、見捨てたのか」


 ルリアージェの声が掠れた。


 ここまでの説明を考えれば、結論はひとつしかない。ジルは魔族であり、神族だ。人を殺すことも、魔性を殺すことも出来る。彼が傷つけられない種族は、同じ血を引く神族だけ。


「そうだ。見捨てた……いや、見殺しにしたんだ」


「ジル様!」


 きつい口調で名を呼んだリオネルの表情は歪んでいた。痛みを耐えるような彼の顔に浮かんだ感情は、きっと自傷行為を続けるジルへの怒りだ。ルリアージェは己の手に重なるジルの左手に視線を落とし、そこから辿るようにジルの顔へたどり着いた。


 後ろでひとつに結わえた黒髪は、俯いたジルの表情を隠している。瞑った目元で、長い睫毛が僅かに揺れた。


 ああ、彼は自分を傷つけ続けている。後悔する弱さも、懺悔する強さも持たず、ひたすらに自らを切り刻む言葉を吐き出した。言い訳をしない潔さなど、捨ててしまえばいいのに。


 ルリアージェの手が動き、ジルの手の下から引き抜かれた。反射的に掴もうとしたジルの手が拳を握る。その冷えた拳を、そっと両手で包み直した。


「オレは人間を殺せたのに、アティン帝国を放置した。オレを認めずに排除する連中など滅びればいいと思ってたからな。でも……彼女(リアーシェナ)だけは別だ」


 紫水晶の瞳が開かれ、怒りの色を滲ませた。


「リアーシェナは神族最後の子供だ。彼女は幼く純粋で、オレを他の神族と同じように扱ってくれた。だからリアーシェナは守ろうとしたのに、他の神族を庇った彼女は捕縛され……」


 声は怒りに染まる。苦しい胸のうちを吐露するように、叫びとなった残酷な現実が広間に響いた。


「助けに駆けつけた時は遅かったッ! 美しく白い羽を切られた彼女は、両手を戒められて吊るされ……足元で血を浴びる汚い男が命じるたび、リアーシェナの裸身を矢が貫く。悲鳴を上げる力さえない彼女の血を醜く(すす)る人間の姿を前に――オレは感情を抑え切れなかった!」


 激した己を律するように、ジルは一度言葉を切って大きく息を吐き出す。血が滲むほどきつく握った拳を、両手で包んで温めてやることしか出来ず、ルリアージェは掛ける言葉が見つからなかった。


 幼かったという少女は、生きたまま血を絞り取られた。死ねない状況で、ただ血を啜る鬼のような人間を見つめ、どう思っただろう。


 人はよく魔性の殺戮を残酷だというが、この話の皇帝はそれ以上に酷いのではないか? 生きたまま引き裂かれても、命はすぐに消える。しかし生きたまま血を滴らせた彼女は、どのくらい生きてしまったのか。


「……まだリアーシェナは生きていた。かろうじて、命は消えていなかったんだ。それを殺したのは、」


「違います! あれは…っ」


「違わない!」


 押し殺した声で話を続けたジルへ、リオネルが必死に食い下がる。しかし一喝されて声を失った。思わず立ち上がっていたリオネルは、困惑した様子で腰を下ろす。


「知ってるわ、その話。ジルが治療したのよね?」


 ずっと黙って聞いていたライラが口を開く。まるで労うような響きは、凍りついた場を緩和する柔らかさで受け入れられた。


「いや、治療しようとしたが……」


 言い淀んだレンがちらりとジルを窺う。唇を噛んで目を閉じたジルは、少し時間を置いて話を続けた。


「神族の血は薬になる。あいつらは見境なく人間を治療してやっていた。だからアティン皇帝に勘違いされる原因になったんだろうが……魔族の血を混ぜると効果が数十倍に跳ね上がるんだ」


 ジルは魔族と神族の混血児だ。つまり、彼の血は最上級の治癒魔術に勝る妙薬だった。千切れた腕や失った足を再生するレベルの治療が行えるだろう。ならば、レンもライラも言いにくそうに切り出したのは…何故だ?


「全身を切り刻まれて矢に貫かれたリアーシェナをオレが助けたとき、すでに命が消える寸前だったんだ。そこでオレは間違え――彼女にオレの血を与えてしまった」


 何をもって間違えたと表現したのか、ルリアージェは理解できずに瞬く。冷たい拳はまだ震えていた。両手のぬくもりを伝え続けるルリアージェの方を向いたジルが、淡々と残酷な現実を突きつける。


「強すぎる薬は毒と変わらない。あと少しで死ねる筈だったリアーシェナの身体は、薬と毒に侵されて苦しんだ。美しかった金髪を自ら引き千切り、白い肌を爪で引き裂いて、獣のような声を絞り出して苦しみ抜いて死んだ……オレの所為だ」


 包んでいた手に力を込めて、ルリアージェはまっすぐにジルを見た。咄嗟に手を解こうとしたジルが動きを止める。射竦められたように、表情の抜け落ちた顔でルリアージェと向かい合う。


「それでも、お前は間違えていなかった。私が彼女の立場なら、生きられる可能性が残っていたなら、血を与えたお前を恨まない」


 ふっとジルの表情が自嘲の笑みを浮かべた。嫌な表情だ。ルリアージェがさらに言葉を繋げるまえに、ジルは淡々と隠していた事実を晒した。


「ルリアージェにも、オレの血を使った。意識がなくて拒めない状況で、オレは……リアーシェナを殺した血を――」


「ならば、感謝しよう」


 話を聞いていたのか? そう尋ねたくなるくらい簡単に、ルリアージェは感謝を言葉にした。ためらいなどなく、迷いもない。ただ微笑んで、掴んだ手を引き寄せた。


 ジルへ向き直り座ったルリアージェは、呆然としている青年の紫水晶の瞳を覗く。反射する瞳に、複雑な感情が浮かんでは消えた。


「ジルのおかげで、今の私に傷はない。それだけ恐れていた血を使ってくれたことを、心から感謝する」


「やだ、リアって大物ね」


「この話の後に態度が変わらないのは、驚きだ」


 ライラとレンが顔を見合わせる。彼らにとって、人族は弱く己の保身ばかりを考える生き物だった。魔力は少なく、身体は脆い。魔族や精霊から見たら、虫や花と変わらないレベルの存在だ。


「助けられたら礼を言うのは当然だろう。何を驚いている?」

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