第21話 歴史とは捏造された小説で(2)
まだレンの話は途中だった。当事者から聞かされる話が、自分の知っている歴史と違うからと否定してはならない。反射的に飲み込んだ声はすこし零れたが、レンは肩を竦めただけ。ルリアージェの反応をレンは予想していたのかも知れない。
アスターレンで着替えた桃色のドレスの袖が、僅かに紅茶に触れてオレンジ色に染まった。
「神族は人間と同じ方法で子孫を残す。だが不老長寿の影響か、欲が薄くてね。滅多に子供は生まれなかった。年老いず長生きする彼らにとって、時間はひどくゆっくり流れていたんだろう。だから種族としての数は多くなかった。ただ精霊を使役できる神族は、それで足りていたんだ」
生活や都市を維持する機能を精霊に委ねれば、神族の絶対数が少なくとも問題は生じない。子供を生んで育てなくても、死んでいく同族がほぼゼロなので危機感もなかった。
ジルの手が震えた。冷たい指先に力が篭もるが、すぐに大きく深呼吸して力を緩める。あまり聞きたくない過去の話に、ジルは椅子の背もたれに寄りかかった。
「数の少ない神族は警戒心が薄い。人間とも良好な関係を築いていたから、騙されて一人、また一人と狩られてしまった。神族には決定的な弱点があり、それを上手く利用した人間が狡猾だった」
「甘いんだ、連中は。あんなにオレが忠告したのに」
離れてしまった冷たい指が、震えながら彼の目元を覆う。吐き捨てたジルの声はわずかに掠れていた。気遣わしげな視線を向けるリオネルとルリアージェをよそに、ライラは続きをさらう。
「あたくしも忠告したわよ、笑われたけど」
「神族は己の強さや人間を信じていた。だから連れ去られた仲間も数年すれば戻ると、楽観していたのさ。囚われた仲間が惨殺されたとも知らずに、な」
レンはそこで言葉を切って紅茶を口にする。胸糞悪い話だと呟いて、彼は溜め息を吐いた。それぞれに思うところがあり、甦った当時の記憶を反芻しているようだ。
「アティンの皇帝は、神族の不老長寿が欲しかった。その力の源を『血』だと考え、捕まえた神族の背の羽を切り落として、塔に吊るした。滴る血を浴び、飲み、体中に塗りたくった。もちろん、そんなことで永らえるわけがない」
精霊は翼ある一族に従う。翼を切り落とされた神族は、ただ霊力が高いだけの人間と同等だった。翼のない神族に精霊は従わないのだから、逃げ出す術などなかったに違いない。牙と爪を折られた狼を嬲るごとく、美しい一族は痛めつけられたのだ。血を絞り取るために。
「効果が現れないのは血が足りないから、そう考えた皇帝の命令で白い粉が作られたの。あれはね、殺された神族の骨をすりつぶしたものよ」
言われた言葉が理解できず、ルリアージェは思わず立ち上がった。反射的な行動にテーブルがゆれ、目の前の紅茶が零れる。倒れかけたカップを指先の魔力で留めたジルが、心配そうに立ち上がってルリアージェの手を取った。
背に翼ある一族が神族ならば、ジルは神族の血を引く最後の末裔だ。エスコートするように手を取った男を凝視したルリアージェに、彼は座るように促した。
再び着座したところで、リオネルが新しいカップと紅茶を用意する。無言で作業を終えたリオネルは赤い瞳を伏せて、ジルを視線から外した。彼はきっと、当時のジルの荒れようも傷ついた状況も知っているのだろう。
「同族の骨粉は体内の霊力を乱して引き裂く。あれは猛毒と同じなんだ」
ジルが説明を付け加える声は掠れたままで、無言でルリーアジェは掴んだ手に力を込める。しっかり握った手は、先ほどと同じく冷たいままだった。
「粉を撒いて次の神族を拘束し、血を絞り取って殺す。その死体から得た粉でまた神族を……繰り返された虐殺に、神族は成す術がなかった。不老長寿であっても、不老不死じゃない」
レンは話を続ける。
「そして神族は全員狩りつくされた、混血のジルを残して全員だ。交じりの法則ってのがある。人間は魔性や神族と子を成せる。だが神族と魔性は交われない。精霊は神族に近いが、魔性との間に子を成した事例はあるけどな」
意味深にレンがライラに視線を送った。心得たようにライラが後を引き継ぐ。
「あたくしは地の精霊王と上級魔性の子供よ。まったくの偶然の産物だと思うけれど」
先ほどそんな話を聞いていたので、ルリアージェは静かに頷いた。なにやらジルの過去より壮大な話になってきた気がする。しかしレンが順序だてて説明するからには、何か理由があるのだろう。
「凝った魔力が意思を持つと魔族が生まれる。当然だが生存競争が激しい弱肉強食が信条だから、殺されては発生するの繰り返しだ。で、リオネルは上級魔性同士から生まれた珍しいケースだ」
静かに頷くリオネルの高い能力は、どうやら両親から引き継いだものらしい。魔王に匹敵する魔力があり、一時は4人目の魔王候補に挙がったと聞いたことを思い出す。
「おれは上級魔性として生まれて傍観者になったから、たいした魔力は揮えない。問題はこいつだ」
レンがジルを指し示した。長い黒髪を揺らしてジルが身を起こした。寄りかかっていた椅子の背もたれを髪が滑っていく。
「火、水、風、土の4大精霊が存在するのに、どうして魔王が3人なのか。それは5000年前に魔王が1人失われたからだ」
ジルは溜め息混じりに呟いた。感情の消えた紫藍の瞳がルリアージェを捉える。口角を持ち上げて作った笑みは、自嘲の色を浮かべ引きつっていた。
「オレは生まれない筈の『禁忌』――神族と魔王の混血だ」
「なぜ……生まれないって」
聞いた単語が上滑りする。魔族と神族の間に子供は生まれないにも関わらず、目の前に存在していた。こんな話は知らない。人族が伝え切れなかった真実を一度に浴びて、ルリアージェは混乱していた。
紫水晶の瞳をまっすぐに見つめ返し、「なぜ」と何度も繰り返す。
「襲ったのか、合意だったのか。当事者が何も言い残さなかったから知らないが、オレが生まれることで神族は混乱した。腹の中にいる頃から殺そうとしたって聞いたが、母は身を隠してオレを生んだらしい。人づてに聞いたんではっきりしないが」
他人事のように話したジルが一息つく。そこで紅茶のカップを戻したリオネルが、初めて話に参加した。
「その辺は私の方が詳しいでしょうね。ジル様を宿した母君を匿ったのは、我が父です。ジル様の父上である魔王様の配下でした。主の子供を敵から護る、普通の魔族ならば考えられない行動ですが……何分にも上級魔性の母との間に子を作るような親でしたから、珍しいケースだと思います。そうして生まれたジル様は背に黒い翼をお持ちだった」
「翼が黒かった所為でえらく追い回されたな」
懐かしむような響きで、ジルが苦笑する。リオネルも同じように苦笑して目を伏せた。
「ジル様は成長が遅く、魔性のように1年ほどで成体になりませんでした。そのため、ずっと私がお傍におりました」
神族特有のゆったりした時の流れにより、ジルの成長は時間がかかった。助けたリオネルは、その頃には忠誠を誓っていたようだ。昔話を懐かしむような2人の声に、レンは焼き菓子へ手を伸ばして頬張る。
「成長してみれば、神族最強の霊力の持ち主だったわけだ。変化を嫌う神族にしてみれば、ジルは異物であり同族じゃなかったんだろう。ま、おれにすりゃくだらない言いがかりだが」
レンは菓子を飲み込んで肩をすくめる。自分も魔性の枠からはじき出された傍観者だったため、ジルの境遇は共感しやすかった。何度かジルを助けたことがあるのも、それが原因だった。
「アティン帝国皇帝は、神族を滅ぼした。その報いとして、生き残りであるジルが彼らを滅ぼしたのが真相だ」
今年のラスト更新です。本年はお読みいただき、ありがとうございました。
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