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第21話 歴史とは捏造された小説で(1)

「ジル」


 掛けられた声に、黒衣を捌いて膝をつく。死神と呼ばれた最強の魔性が、己の城の広間で人間に(ひざまず)いた。その光景にライラは瞬きを繰り返す。


 信じられない光景だった。


 最強と謳われる実力に見合うプライドの高い男だ。誰にも膝を折らず、3人の魔王を相手にしても不敵な笑みを浮かべて戦った。その実力の高さ故に、ライラが敵に回ったと聞いても「好きにすればいい」と笑ったくらいだ。


 他者に弱みを見せず、誰にも膝をつかない――それがライラの知る『死神ジフィール』だった。


「私の問いに答えていない」


 断罪する響きに頭を下げたジルが、ルリアージェのドレスの裾を掲げて何か小声で呟いた。その声は響く室内に残らず、唇の動きだけで消えていく。その背後でリオネルが同様に膝を折った。


「ルリアージェ、すべて……知りたいの?」


 紫水晶の瞳が問いかける。すべてを受け入れる覚悟があるのか、問うたジルへルリアージェは逡巡した。僅かな迷いは、すべて話させることへの躊躇いだ。彼が話してくれるまで待つつもりだったのに、あまりにも状況は一度に動きすぎた。何も知らないまま、彼の足手まといになるのは嫌なのだ。


 ただ護られて、敵に弱点とみなされ狙われる立場に甘んじるには、ルリアージェは気丈だった。上級魔性と比べるべくもないが、人間という括りの中で実力を誇った魔術師だ。護られるだけの存在であっても、足を引っ張る重石になりたくない。


「私はお前の、何だ?」


「唯一の主で、オレの存在意義だ」


 微笑すら浮かべて即答するジルの長い黒髪が背からすべり、黒い床に触れる。まるで床と同化したような漆黒の衣と髪がジルの白い肌を縁取っていた。本当に美しい姿だと思う。美形は母で見慣れたと思っていたが、まったく別種の美しさがある。


 大災厄として恐れられ封印された実力も、掛け値なしに世界最強だ。他の魔性を寄せ付けず、一蹴して退けた。これだけの力があれば、望みなどすべて叶えられる筈だった。ジルがこうして人間風情の自分に膝をつく状況が、ルリアージェは理解できない。


「なぜ……」


 何故、私なのか――掠れた声の続きを悟ったジルが、まっすぐにルリアージェの目を見つめた。


「ルリアージェだから、だよ。他の奴が封印を解いたら殺してた」


 嘘をつかない魔性の残酷さで、さらりと本音を口にする。その姿にライラが苦笑いして歩み寄った。背中で長い三つ編みが踊る。


「まさか、ジルが主を持つなんてね。どちらかといえば、主となる方でしょうに」


「ライラの言い分もわかるけど、コイツは存外尽くすタイプだぞ」


 レンが横から口を挟む。その言い分は、殺されるから会いたくないと駄々を捏ねた姿から想像出来ないほど、親しげだった。


 実際は寒くも暑くもないのに、広すぎる天井と黒い床の所為で冷えた印象を与える部屋で、ルリアージェは両肩を自ら抱いた。知ることに恐怖を感じたのは、初めてかもしれない。知らない恐怖より、知ったら戻れないと本能が警告していた。


「失礼」


 ジルが空中から取り出した毛皮をふわりと肩に掛けてくれる。どこかの貴族のクローゼットから失敬したらしく、ほんのりと白粉の匂いがした。


 どこから持ってきたと咎めようとして、ルリアージェは首を横に振る。そんな瑣末事(さまつごと)に気をとられている状況ではない。今はジルと向き合う必要があった。


「私はただの人間だ。お前の主に相応(ふさわ)しくないだろう」


「相応しいかはオレが決める」

 

 堂々と言い切ったジルが身を起こした。黙っていたリオネルも同様に立ち上がり、振り返って手を振った。一瞬で呼び出したテーブルと椅子のセットに、慣れた様子で紅茶をセットし始める。そのポットやカップも空中から取り出す姿は、これが彼らの日常なのだと物語っていた。


 出会ってからずっと、ジルは人間と同じような行動をとっていた。魔力で火をつけた鍋で湯を沸かし、茶葉を入れた器のお茶をカップに注ぐ。旅人はそうやって茶を飲むのが普通で、荷物を減らすために余計な道具を持たない。


 旅の途中、茶葉を漉して飲むポットをジルは使わなかった。だから最初は、彼を人間だと判別したくらいだ。


 この場にいるのは、すべて魔性や精霊の血を引く人外で……人間はルリアージェだけ。見回した部屋は、上級魔性の中でも最上級の能力と魔力を誇るジルの居城。不思議な感じがした。まるで夢の中にいるようだ。それも非常識で突拍子もない夢。


「どうぞ、ルリアージェ様」


 貴族の執事のように優雅な仕草で、リオネルが椅子を勧める。引いて待つ椅子にそっと腰掛けると、当然のように給仕が始まった。右隣に腰掛けたジルがひょいっと空中から焼き菓子を取り出す。


「あら、あたくしもお気に入りの菓子があるのよ」


 ライラも同様に、どこからか皿に盛られた菓子を持ち込んだ。鮮やかな果物が彩るタルトの皿を置いて、左隣に陣取る。肩をすくめ、ジルの隣にレンが腰掛けた。全員にお茶を淹れると、残った椅子にリオネルが落ち着く。


 魔王を倒せる男の居城でなければ、ごく普通のお茶会の風景だった。


 紅茶のカップを両手で包み込むようにして、ルリアージェはジルを見つめる。テーブルの上に置いたジルの手が握られ、すぐに解かれた。緊張している仕草に見える。


 誰も声を発しない中、紅茶のカップやスプーンが立てる音だけが反響していた。


「ジル、話してくれるか?」


 このままでは埒が明かないと判断し、ルリアージェは思い切って声をかける。すると意外な人物が最初に話し始めた。


「最初におれが話した方が客観的で分かりやすいんじゃないか?」


 当初の非協力的な姿が嘘のように、レンはさっぱりした態度で語り部を買って出た。ジルやリオネルが口を挟む隙を与えず、彼は淡々と話し始める。


「出会いからだと長いから端折(はしょ)るか。そうだな、アティン帝国の騒動あたりから話そう」


 前置きして始まった話は、歴史書には記されない真実だ。実際に己の目で確認した当事者でなければ知りえない情報ばかりだった。


「アティン帝国は大陸を統一した次の代で滅びた。父王が統一した大陸の覇権を譲られたのは、まだ若い皇子でな。戦いに明け暮れて早死にした父親の影響か、死をひどく恐れたんだ。なんとか永遠に生きる方法はないか、必死に探して……とんでもない方法を思いついた」


 レンの淡々とした声は他人事を話す冷たさを滲ませる。事実、彼にとっては目にした記録の朗読程度の感覚しかないのだろう。リオネルは気遣う視線をジルへ向け、当事者であるジル自身は軽く目を伏せていた。カップを包むルリアージェの手に触れる指先が、とても冷たい。


「神族っての、知ってるか?」


 突然の質問に、ルリアージェは顔を上げた。手の中の温かさと反する冷たい指先に気を取られていた彼女は銀の髪を揺らして頷く。


「滅びた一族だと聞いた」


「間違ってないが、滅ぼされたの方が正しい。この世界は霊力を使い精霊を使役する神族、膨大な魔力を揮って魔法を繰り出す魔族、そして魔術という独自の術式を生み出して対抗した人族で構成されていた」


 魔力の少ない魔族は、魔物と呼ばれて分類される。その区別は簡単で、人族にどれだけ近い姿を持つかだ。人間そっくりの外見を持つだけの魔力があれば魔性、逆に動物や魚のような部位が残る者を魔物と呼んだ。これは魔術に関わる者ならば誰もが知る話だ。


 だが、神族についてはほぼ記録が残っていなかった。白い大きな翼を持つ、穏やかで美しい姿形の種族だったという伝説に近い、御伽噺が残っている程度だ。


「アティン最後の皇帝は、不老長寿の神族を滅ぼした――それも拷問に近い残酷な殺し方で、だ」


「……なっ」


 何を言い出すのか。そう否定しそうになった口を、咄嗟に左手で覆った。

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