第19話 大地の魔女(1)
「ええ、古くからの知り合いなのよ」
ひらひら手を振って応じる少女は、足元まで届く長い茶色の三つ編みを指先で弄りながらルリアージェに応じる。15歳前後の外見に、どこか大仰な言葉遣いが不釣合いだった。
「名前を呼ばれたら来ちゃうわよね」
上級魔性には珍しく、彼女は美人ではなかった。人間の耳がある位置に大きな水晶が生えている。透明な水晶は楓の葉に似た形をしており、新緑の鮮やかで大きな瞳とともに目を引く。感情に合わせて左右に揺れるふさふさの尻尾もあった。
「尻尾だ!」
目を輝かせるルリアージェの適応力の高さに、ジルが頭を抱える。大災厄たるジルを連れ歩くならば、人ならざる者に恐怖心ばかり持っても益はない。だから好奇心が旺盛なのも、初めて見る現象や人外に興味をもつのも良いことなのだろう。
分かっていても、知らない相手に警戒心が働かないのは問題だった。今後の苦労を思うと頭を抱えるしかないが……それでも離れる気はない。
「はいはい、後でな」
主たちのやり取りを横目に見ながら、リオネルは気になる事実を確認にかかった。
「お久しぶりです、ライラ。ところで、私達のところへ来てしまってよろしいのですか?」
「あら、どういう意味で?」
質問を返す彼女に、複雑な裏はなさそうだ。しかし、レンに水や風の魔王に傅く魔性を焚きつけられた身としては、彼女が現れたタイミングの良さに疑いを持ってしまう。
1000年前の騒動前に名を馳せていた大地の申し子を相手に、リオネルは立ち位置を僅かに移動させる。さりげなくルリアージェを後ろに庇うジルとライラの間に入ったのだ。その用心深さに少女は声を立てて笑った。
「貴方ほどの実力者に、ここまで警戒されるなんて…あたくしも過大評価されたわね」
「前回は侮って失敗しましたから」
リオネルはしれっと切り替えし、右手に炎を呼び出す。臨戦態勢に入った男に肩を竦め、ライラは大げさに手を振って嘆き始めた。
「ずっと退屈していたのだもの。少しくらい羽目を外したからって、邪険にしないで欲しいわ。考えてもみて――あたくしが魔王達に協力したのは、楽しそうな戦いに混ぜて欲しかったからよ? なのに終わってみれば、魔王は3人とも閉じこもってしまうし、貴方がたは封印されてしまった。誰もあたくしと遊んでくれる方がいなくなったの。どれだけ時間を持て余したことか。いっそ、あたくしも封印してもらえば良かったわ」
舞台俳優さながら、大きな身振り手振りで嘆いた少女は、そこで大きな狐の尻尾をふさりと振った。白茶の毛が舞い散る。
「退屈に殺されそうなとき、懐かしい声があたくしの名を喚んだら……こうして損得なく顔を見せるほど、あたくしは暇だったのよ」
「あはははっ、お前らしいな」
手を叩いて笑ったジルが、リオネルに手を振って下がるように命じる。一礼して従うリオネルの横を通り、ジルは左に立つルリアージェに声をかけた。
「ルリアージェ、こちらが先ほどの話に出たライラだ。大地の申し子と呼ばれる、まあ滅びた一族の末裔か」
「ルリアージェだ、よろしく」
にっこり笑う美女は透明の足元を気にせず、膝をついて視線の高さを少女に合わせた。その仕草に一瞬だけ目を瞠り、子供は長い三つ編みを指で弄りながら笑う。
「丁寧な挨拶に感謝するわ。ライラと呼んでね、ルリアージェ……リアと呼んでも?」
「構わない」
「ええええ!!!」
了承したルリアージェの隣で、耳が痛くなる大声でジルが拒否の声を上げた。
「そんなのダメ、絶対にダメ」
「……ジフィール、子供のような我が侭を」
「お前に言われたくない」
言下に切り捨て、ジルは鼻に皺を寄せる。本気で嫌がっている姿に、ライラは少し考え込んだ。
「あと、今はジフィールじゃない」
むすっとした態度で呼び方まで訂正してくる男を爪先から頭の先まで眺め、ライラはぽんと手を打った。2人のやり取りを見ていたルリアージェに向き直り、さっと手を出す。
「楽しそうだから、今度は貴女の味方になるわ。よろしくね、リア」
「あ、ああ。味方……?」
首を傾げながら手を取ったルリアージェは握手しながら、隣のジルを見上げた。しかし彼は顔を顰めているし、リオネルは驚いた顔で固まっている。困って少女を見れば、背中でふさふさの大きな尻尾が揺れていた。
「あの……尻尾に触っても?」
「ええ、構わないわよ」
少女が抱きつくのを受け止め、ふわふわの尻尾に手を触れる。思ったより大きな毛玉に幸せを感じながら、少女を抱き上げた。不思議なほど軽い。というより、重さをほぼ感じなかった。
「軽いでしょう? あたくしは精霊に近い存在なの。魔性と精霊の子供だから」
「種族を超えた愛の結晶、ということか」
ルリアージェの表現に大きな目を丸くしたライラは、「そんなロマンチックな表現されたのは、初めてね」と笑った。事実、1500年近くを生きる彼女についた二つ名は『大地の申し子』や『大地の魔女』であり、魔性からは『混じり物』という不名誉な呼ばれ方もする。
魔性は親もなく、突然発生する意思を持つ魔力の集合体だ。そのため、両親が魔性であれば上級魔性として崇められるが、他の種族とのハーフは忌み嫌われることが多かった。
大地の精霊の子であるから、地の魔力を強く引いて生まれた。大きすぎる魔力は重力のように彼女の成長を押し留め、それでも余った魔力が水晶として耳に現れる。大地の色をした長い髪、萌える緑の瞳、大地を豊かにする動物の尾を持った。
「味方ならば、これからは一緒だな」
ルリアージェの何気ない言葉に、ライラは嬉しそうに頬を緩ませる。と、その首根っこを掴んだジルが彼女を放り出した。透明の床を通り抜けて落ちる彼女に驚いたルリアージェだが、何もなかったように少女は戻ってくる。
万が一意識がなかったとしても、大地の申し子である彼女は傷ひとつなく地に受け止められただろう。それでも抗議はしっかり行っておく。
「ちょっと乱暴すぎるわ」
「うるさい、ルリアージェに触れるな。オレの主人だぞ!」
「あら、あたくしも契約しようかしら」
「ダメ」
子供同士のケンカにしか聞こえないやり取りに、かなり物騒な内容が含まれている。気付いて引きつるリオネルをよそに、ルリアージェは仲裁に入った。
「こら、やめないか。ジル、ライラ」
「でも……」
「だって……」
「やめろ!」
きっぱりルリアージェに言い渡され、無言で2人は頷いた。魔王と肩を並べる実力者、その実力者に封じられた大災厄、どちらも情けないことこの上ない。リオネルは呆れ顔で口を挟んだ。
「レンさんを探すので、私は離れます」
「頼む」
足元に魔法陣を描くと、その中に沈むようにリオネルが姿を消した。この場で唯一のストッパー、まともな常識人がいなくなる。
「ジルが復活したのなら、もうすぐ魔王も起きてくるでしょう? またケンカするの?」
少女は笑顔で爆弾を投下した。




