第18話 幻妖の森の迷子たち(2)
座標が当てにならない=(イコール)転移が使えない。笑顔でとんでもない事実を告げるジルの耳を引っ張って、間近で命令した。
「す、ぐ、戻、れ」
「うーん、戻った先で攻撃されそうじゃん? オレはいいけどね、アスターレンに戻るの?」
そう問われると、戻るのも考え物だ。魔術による攻撃はジルがいれば無効化されるので問題ないとしても、折角復興へ歩き出した国を魔性連れで脅かすのも忍びない。本当に申し訳ないので、選択肢として却下だった。
「他の場所……そうだ。あの丘は?」
「え? オレがやだ」
ルリアージェは盛大に溜め息を吐く。変な植物が闊歩し動物を襲う森より、あの丘の方が絶対に安全だろう。しかも人間が治める国や都ではないから、他人に迷惑をかける可能性も限りなく低かった。何が不満だというのか。
視線にすべての思いを込めて睨むと、ジルはふわりと微笑んだ。
「そんな可愛い顔してもダ~メ」
腹が立つ。自分より綺麗な男に可愛いといわれても、まったく信憑性がない。しかも内容がまた腹立たしかった。普段は『願いを叶えてやる』と偉そうに恩を着せるくせに、肝心な場面で役に立たない。
「ならば、この幻妖の森に住むのか?」
絶対に嫌だと拒絶の意思を込めた声で告げれば、さすがに怒らせたと理解したジルが困ったように眉尻を下げた。高い位置でひとつに結んだ黒髪を握って引っ張るルリアージェが、じっと見上げる。
さあ、どうする? そんな態度に、ジルは肩を竦めて案を提示した。
「選択肢はあるぞ。このままこの森に身を潜める……これは嫌だろう? だったら、オレが知っている中で座標が確定できる場所に転移する。またはアスターレンに戻る。いっそリオネルがいる場所に飛ぶ手もあるか」
少なくともリオネルが岩や水の中にいる可能性は低く、安全性が高いだろうと提示したのだが、ルリアージェは蒼い瞳を大きく見開いた。
「リオ、ネル?」
誰? 素直な表情にジルが小首を傾げる。すでに会わせた気になっていたが、よく考えたらリオネルを呼ぶ前からルリアージェは意識がなかった。つまり、まったく知らない名前なのだ。
大災厄として封じる際、元から数が少ないジルの配下は一緒に封じられた。同じ封印の中は危険だと判断されたのか、個々に封じられているが……ルリアージェにしたら、突然現れた名前に驚くのも当然だった。
「さっき解放した、オレの配下だ。ルリアージェの紹介はきちんと済ませたぞ?」
言外にルリアージェが覚えてないだけと言い訳しながら、空中に円を描く。刻を戻す魔術は使えないが、過去を写す魔術なら使用可能だ。円の中を鏡のようにして、リオネルの封印を解いた際の記憶を映し出した。
真剣に見つめた後、ルリアージェは「また増えた」とぼやくが、ジルは聞こえないフリを貫く。彼がジルの配下なら、ルリアージェに付き纏う魔性は増えたと表現するのが正しい。好き嫌いに関わらず、使役するかの選択肢も与えられず、ただ数が増えてしまった。
「……ジル」
「なんだ?」
「その、まだ……(配下は)いるのか?」
言い淀んだルリアージェの言葉の裏を読んで、ジルは満面の笑みで頷いた。
「ああ、あと2人ほど」
「……そうか」
あと2人も増えるのか。必要な魔力が満ちれば、ジルは遠慮なく配下を解放するだろう。大災厄と一緒に封じられるような上級魔性が付き纏うのは間違いない。
仰いだ空は青紫の葉で見えなかった。揺れながら移動する木々の足音を聞きながら、美女は大きな溜め息を吐く。嘆く彼女の上に木漏れ日が届き、まぶしさに目を閉じた。
ああ、なんて運が悪いのだろう。調査のつもりだった金剛石は砕けてしまうし、国宝破壊で指名手配される。さらに金剛石に封印された魔性に付き纏われる……ここまで運が悪い人間もそうはいない筈。
「それで、どこへ移動する?」
まったく文脈を気にせず、興味をもったことに邁進する。魔性らしい自分勝手さを発揮するジルへ、ルリアージェはひとつの選択肢を示した。
「安全な場所」
しばらく休みたい美女の答えに、大災厄たる魔性はしばらく考え込み……ひとつ頷いた。
「わかった、じゃあ移動しますか」
ルリアージェの手を取ると、足元に魔法陣を展開する。この幻妖の森に飛んだ時より模様は複雑で、幾重にも重なって新たな模様を作り出した。
確かに転移の魔法陣は複雑だ。始点と終点、高さ、時間、さまざまな要因を計算に加えて演算した結果が描き出される。だがこれほど緻密な魔法陣は、人間には描けなかった。陣を展開する魔力が足りないからだ。
……どこへ飛ぶ気だ?
知っている座標が1000年で変わっている可能性を口にしていたから、計算が複雑になり、より安全策を講じるのも理解できた。しかし細かすぎる。
幾重にも円を広げる模様が青白い光を放ち、尋ねようと口を開いたルリアージェが言葉を発するより早く、彼らの姿は森から消えていた。
「お疲れさん」
そんな軽い挨拶で飛び込んだ主に、リオネルは頭を抱えて呻く。なんだろう、この自由すぎる存在は――身勝手に磨きがかかっている。自由に行動した結果封じられたくせに、まったく懲りていないのは何故だろう。
水の魔王の配下を片付けて移動した先で、今度は風の魔王の眷属に攻撃された。どうやらレンが嗾けているらしい。敵を捌く場所に平然と転移してきた主に、頭を抱えるのは当然だった。
「今、忙しいんです」
言下に切り捨てて、目の前に炎の膜を展開した。自身は問題ないが、ジルにしがみ付いている美女は人間だと聞いている。わずかに風の刃が掠めても、真っ二つになりそうだ。
人間の脆さをよく知るが故に、咄嗟に結界代わりの炎を盾として作り出した。白い炎はすべての風刃を防いで揺らぎもしない。
「キレイだな」
「え? オレのがキレイな顔してない?」
防御に回す魔力が惜しいほどの接戦ではない。圧倒的に有利な状況だが、それでも盾を用いて背後を守りながら戦うのは面倒だった。部下の戦いを邪魔しておいて、何をほざいているのか。これでも主なのだから、彼を仰いだ過去の自分を呪いたくなる。
しかも、ジルの発言はかなり失礼だ。戦う部下に対して顔の良し悪しを口にするなんて……まあ、誰が見ても即答でジルの顔の良さは納得する案件だから、そこに異存はなかった。リオネルも上級魔性として整った顔を自負するが、能力相応であり、自惚れてジルより上だと勘違いする余地はない。
「顔じゃないぞ、炎だ」
白い炎は美しいと笑う美女に悪意はなく、悪い顔をしているジルを睨みつけた。
「なぜこちらに転移したのです?」
迷惑です。すごく迷惑です。全力で迷惑を強調しても、ジルはどこ吹く風といった態度で笑っていた。反省するような可愛い性格もしていない。
「無視するな!!」
敵の風刃が激しくなる。叩きつける風の勢いに、白炎もゆらゆら揺れた。魔力を少しばかり増やして炎を維持すると、リオネルは一気に押し切るため足を踏み出す。
「では終わりにしましょうか」
足元に地面はない。空中を透明な床を歩くように進み、近づいた距離の分だけ敵が押されて下がった。左手を掲げて炎を支え、右手を一振りして剣を呼び出す。1000年前の戦いでも使用した武器は、新品の輝きを放っていた。
白金から鍛えた細身の剣はレイピアのように刺して使う武器だ。炎の盾の間を縫って差し出す剣は、長さにおいて敵に届くことはなかった。だが、纏った魔力が敵の身体を鋭く貫く。
「……っ」
額を貫き、返す手で心臓を貫く。隣の魔性の右手と首を貫いて、ゆっくりとおろされた。見えたのはそこまでだが、実際には速すぎて目で追えなかっただけ。複数の場所から血を流した魔性が砂となって、砕けて散った。