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第17話 歪んだ悪意(2)

「それでも、戻らなくてはならない」


 強い決意を秘めた蒼い瞳を覗き込んだジルが、「しかたない」と肩を竦めて表情を和らげた。反対したのは、覚悟のないルリアージェを他者が傷つける可能性があるから。すべて承知の上で彼女がアスターレンに戻ると言うなら、ジルに反対する理由はなかった。


 立ち上がったジルの黒衣が風に揺れる。伸ばされた手を取って起きるルリアージェが、銀の髪を手で押さえた。首に届く長さの髪は結ぶには短く、頬や額にかかって視界を遮る。


「ルリアージェ」


 抱き寄せられ、転移するのかと素直に黒衣の袖を握った。しかしルリアージェの予想は外れた。


「まだ魔力が足りないだろ。ほら」


 顎をくいっと持ち上げられ、抵抗する間もなく接吻けられる。見開いた目をジルの手が覆った。暗闇の中で感じる唇は冷たく、何かが流れ込む感覚に気付く。細く冷たい何かは、触れた唇から体内を循環した。


 すっからかんになるまで使った魔力が急激に回復していく。


「ん……っ」


 満たされる感覚は心地よく、怠かった身体が軽くなった。魔力を注いだジルが舌を舐めて唇を離す。巡る魔力が体内で馴染むのがわかった。


「助かった」


 素直に礼を言えば、楽しそうに言葉を待っていたジルが肩を落とす。残念だと態度で示す男に、美女は小首を傾げる。


 何か言葉を間違えただろうか。


「いや……何でもない」


 手を振り、気にしなくていいと示されるが、明らかにがっかりした態度だ。少し考えるが、結局分からずにルリアージェは放置した。


 封印が解けてから数ヶ月も一緒にいて、寝食も共にした異性がキスまでしたのに、まったく意識されないとジルが拗ねる。言葉にすれば意識してくれるかと願う反面、彼女に「それがどうした」と切り捨てられたらショックなので、溜め息ひとつで諦めた。


 彼女が男女の機微に疎く、晩熟(おくて)で幼児並に純粋なのは先刻承知。今更焦っても仕方ない。分かっていても勝手に期待したジルが悪い。


 腕の中に抱き寄せたままの美女は、きょろきょろ周囲を見回し、今更ながらの質問を口にする。


「ところで、ここはどこだ?」


「神族の都があった場所だよ」


 過去の記憶が、草原に白亜の城を重ねる。人間が作る神殿に似た建物がいくつも並び、中央に大きな城が聳え立っていた。すべて白い天然石で構成された輝かしい都市は、常に精霊が満ちる美しくも力溢れる丘の上にあったのだ。


 懐かしい記憶を首を振って打ち消し、それ以上質問される前に転移した。ルリアージェが尋ねるならば何でも答えてやりたいが、封印により眠っていたジルにとって1000年は一瞬だった。凄惨な光景は生々しく胸に刻まれている。


 塞がらない傷を抉られる前にこの場を離れたい、と魔法陣を展開した。






 

 青い光が広がり最初の文様を形成する。ひとつ円が広がり、中に魔術文字が刻まれた。外へ外へ広がる円は、装飾を散らすように隙間を生めて輝く。


 魔法陣が展開する先は誰もいなかった。無人の庭に浮き上がる青白い魔法陣の中心に、ジルはルリアージェを伴って現れる。


 夕暮れを過ぎたアスターレンは、しとしと雨が降っていた。大規模火災と爆発によって温められた空気が対流し、上空の水蒸気が雲となって雨を落とす。鬱陶しそうに頭の上に手をかざしたジルを囲う形で膜が張られた。


「……酷いな」


 破壊され焼け焦げた王宮、見るも無残な庭、街は竜巻に破壊された上に魔性が火球で焼いてしまった。大国アスターレンの首都ジリアンは、まさに天災級の被害を受けていた。


「最初にどこから手を入れる?」


 原因だという自覚はないジルがきょとんと首を傾げる。竜巻を起こし破壊した街を見やり、足元の焼け焦げた庭を眺める姿は、まったく悪びれていなかった。


「王族は生存しているか?」


 固い口調で尋ねたルリアージェが、足元に転がる死体に眉を顰める。倒れる前に最上級の治癒魔術を行使した。『深緑のヴェール』によって死に瀕した人間も助けた筈なのに、助けられなかった人がいる。砕けたタイルに膝をついて、死体に手を合わせた。


 心の中で「すまない」と謝罪するルリアージェだが、ジルはその死体を一瞥して上から声をかける。


「それ、一度はルリアージェが助けた奴だな」


 目を見開くルリアージェが振り返る先で、肩を竦めた男は黒衣を捌いて同じように膝をつく。


「王族を逃がそうと魔性の炎の盾になった。……王族は全て生きてるよ」


 最初のルリアージェの疑問に答えを返し、ルリアージェの肩を抱いて起こした。濡れたタイルの上についた膝は濡れていない。彼らを覆う水の膜は縮んで身体の表面にぴったり寄り添っていた。どうやら完全に雨を防いでいるらしい。


「よかった」


 王族が生き残っていれば、国が滅びることはない。彼らを中心に国民は結束し、新たな都を建て直すことも出来るだろう。安堵の息をついたルリアージェは、美しかった白い壁と青い屋根の王宮の瓦礫に眉を顰めた。


 芸術品のようだった王宮は、見る影もない。


「どうした? 気に入ってるなら、()()()やろうか?」


 ――戻す?


「戻す、とは?」


 うーんと唇を尖らせ、少し考える素振りを見せるジルは言葉を選んで説明を始める。


「言葉通りなんだけど、元に戻すんだ。この街や王宮の姿をね。イメージとしては巻き戻す形が近いのかな。元の姿を知っていれば戻せるよ」


「……時間を戻すのか?」


 驚愕に声が掠れる。ルリアージェが知る魔術の中に、そんな高等技術は存在しなかった。存在したとしても扱えないだろう。人間の魔力で展開できる魔法陣では、破壊された地区を覆うことは不可能だった。


 膨大な魔力と緻密な計算、複雑な魔法陣、正確な魔術の知識が求められる高等魔術だろう。人の中でルリアージェの魔力量は上位だが、きっとすべての魔力を注いでも魔法陣を描ききるまで足りない。


 緊張に乾いた喉を、ごくりと鳴らして唾を飲む。肩に手を置いたままのジルを見上げ、紫の瞳を覗き込んだ。


「時間は()()戻せないな。物の記憶を辿って、元の姿を引き寄せるんだ。だから街の建物や王宮は戻してやれるが……死んだ人間は甦らない」


 最初にしっかり釘を刺しておく。


 時間を戻せれば、生き物が生きていた時刻まで(さかのぼ)れば元に戻せた。だが、戻すのは『時間』ではなく『物が壊れる前の記憶』なのだ。


 物の記憶は物体に刻まれていて、不変だ。壊されても壊された記憶が増えるだけで、壊れる前の姿の記憶が壊されるわけじゃない。だから物の記憶を辿ることで、元の姿を呼び起こすことが出来た。


 しかし生物は違う。生き物の記憶は揺ぎ続ける。物の記憶と違い、不安定に変化するのが常だった。記憶を己で改ざんする者がいるし、思い込みで書き換えることも可能だ。そういう意味で、生物の記憶を辿って戻す魔術は、物の記憶とまったく別物だった。


 だから()()ジルにルリアージェの記憶は戻せないが、街の記憶を戻すことは出来るのだ。魔王達の封印がすべて()けるまで、ジルに時間を操る魔術は使えない。


 死人は甦らないといわれ、ルリアージェは残念そうに唇を噛んだ。それでも街が元に戻り、王宮が戻るなら……生き残った王族の元で国を再建できる。


 帝国アティンを滅ぼした大災厄が、再びアスターレン国を滅ぼさずに済むのだ。上目遣いに見つめる先で、紫の瞳を細めたジルが答えを待っていた。


 正確な理由は不明だが、封印から解放したルリアージェに対して、ジルは好意的だ。ライオット王子への攻撃も、ルリアージェが頼んだらやめてくれた。きっと今回も協力してくれるだろう。


 期待を込めて願いを口にする。


「それでも、元の街に戻せるなら…」


「頼むって? じゃあ、オレが望むものと引き換えにしようか」


 今まで見せたことがなかった、捕食者の顔で――ジルは嗤った。

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