第15話 命の対価(2)
まだ目覚めぬ彼女を地に落とすわけにいかない。風の障壁の中に満たした霊力を捨て、消耗した身で魔力を紡ぎだす。激痛の走る翼を消したジルは大地の上に膝をついた。
「ぐっ……」
胸を走る痛みに、粉を多少吸い込んだことを知る。体内で暴れる粉を血と一緒に吐き出した。押さえた手が赤く染まり、ジルは無造作に黒衣の端で口元を拭う。
息が切れる。
苦しい。
霊力を引き裂く粉の激痛が全身を支配した。
意識が赤く染まる。
怒りが身のうちを満たした。
黒き翼をもって空を支配した魔性は、焼き尽くした敵の残骸が降り注ぐ中で荒い息を整える。この粉は前哨戦だ。本番はこれからだった。
「やったぞ!」
次々と空間を裂いた魔性達が現れ、アスターレンは国史始まって以来の危機に陥っていた。魔性は群れで行動しない。人間に興味を引かれて集まっても、1~2人だった。それが10人を超える上級魔性が王宮の上空を覆うなど……国家存亡の危機だ。
たとえターゲットが――国ではなくジルであったとしても。
「死神を狩れ」
「殺せ!」
彼らの憎しみが向かう地上の一点で、ジルは口の端に残る赤い血をそのままに笑みを作った。左腕の中に抱いた愛しい女を守るように、彼女を引き寄せる。
頭上から降り注いだ魔力による攻撃を、同じ魔力によって相殺していく。炎の刃を水の盾で防ぎ、氷の矢を炎で溶かす。繰り返される魔力による攻防は、消耗戦だった。
「……うるさい連中だ」
苛立ちのままに魔力を揮う。ジルが本来もつ魔力をすべて使えたなら、上級魔性10人程度は一瞬で片付けただろう。かつて魔王3人を相手取って戦ったこともあった。
封印が不完全に解けたため、今のジルが使えるのは全盛期の1割ほど。庇うルリアージェの存在がなければ、もっと簡単に相手を駆除した。彼女に傷を負わせないよう動かず防戦一方だから、この状況なのだ。
決定的な切り札がない戦いは膠着状態に陥る。降り注ぐ魔法に、王宮は半分以上崩れた瓦礫と化していた。さらに飛び火した魔法により、首都ジリアンも新たな炎に包まれる。
ジルが懸念していたのは頭上の魔性達ではない。『代償』と引き換えに粉を彼らに与えた存在の介入だった。魔王達が封じられて身動きできず、女王が消された今――それほどの実力者がいただろうか。
封じられた1000年の間に現れたとしたら……。
「面倒くさい」
ぼやいたジルが美女から一瞬目を離した。己の腕の中ならば安全だと高を括ったのだろう。新たな敵の可能性が、ジルを焦らせた。
右手を掲げて攻撃の魔法陣を宙に描く。
青白い光を帯びた魔法陣は、光る文字が次々広がっていく。誰かの手で描かれたように複雑な文様と文字が並ぶ魔法陣は外へ広がり続け、破壊された噴水を覆うほどの巨大な円を作り上げた。
防御のための魔法陣ではない。彼らの魔法を防ぐなら、魔法で用が足りた。ジルからの反撃を悟った連中が慌てて攻撃の密度を高める。爆発的な炎と風が押し寄せた。
魔法陣の文字の隙間を縫って、炎が吹き付ける。風の刃がジルの右手を傷つけた。魔法陣構築にほぼすべての魔力を注ぎ込むジルの頬に一筋の傷が走る。赤い血が滴った先を何気なく目で追ったジルは、息を呑んだ。
あってはならない。
誰も彼女を傷つけてはならない。
ルリアージェの腕に走る赤い線は、じわじわと太さを増しながら赤い涙を零した。伝う血の色に、ジルの声が震える。
「リ……ア?」
次の瞬間――
魔力が爆発した。
黒髪が重力に逆らって揺らめき、ジルの表情が一変する。厳しい表情は今までの甘さを切り捨てていた。怒りを浮かべたジルの口元が笑みを作る。黒い印象を与える笑みを、きつい眼差しが裏切った。
無理やり引き出した黒翼が彼の背を覆い、強引な行為の代償として背を赤い血が伝う。皮膚を裂いた翼を広げ、ひとつ羽ばたいた。
粉が舞う空気を一掃する竜巻が起きる。白い粉を巻き込んだ風が消えた後、膨大な霊力と強大な魔力を併せ持つ化け物がにたりと嗤った。
解放された力の大きさに双方がひしめき合い、空間を魔力と霊力が満たしていく。高い濃度の霊力が、己の魔力を食い荒らす。生まれ続ける魔力が霊力を打ち消し、ジルを中心に荒れた風が逆巻いた。
「……これが『死神』」
呆然と呟いた魔性に視線を定めると、ジルの右手が緩やかに持ち上がる。早い仕草ではない。避けようと思えば避けられそうな指差しの直後、声を出した魔性が消滅した。
攻撃を受けた形跡はなく、一瞬で――文字通り消滅して、跡形もない。
「っ、違いすぎる」
こんな大きな力を制御する『化け物』に、魔王の側近に届かぬ上級魔性が敵う筈がなかった。先程粉で封じて傷つけた対象は、強大な力を持っていた。それでも全力ではなかったのだと、いまさら気付かされる。
震えが来るほどの恐怖を感じながら、魔性達は己の魔力を振り絞って大きな魔法陣を描く。敵を貫き焼き尽くすための魔法陣は、彼らの魔力単体で描ききれなかった。複数の魔性が描く魔法陣を守ろうと、他の魔性がジルへ攻撃を向ける。
風の刃、氷の矢、炎の剣……どれも先ほどより魔力を込めていた。しかしジルを守るように荒れる風に触れた瞬間、すべての魔法が解除される。霊力による強制解除は、魔性の心を折った。
「だめだ、届かない」
悲鳴に近い叫びに、ジルは一言返した。
「死ね」
ただの言葉だった。にも関わらず、新たに集まった精霊達は聞き届ける。彼の願いを、望みを現実にするため……無慈悲に魔性達を焼き、貫き、凍らせ、切って、砕いた。
「間に合った!」
仲間が稼いだ時間を利用して、ようやっと完成した魔法陣をジルへ叩きつける。残った4人全員が得意な属性を描き込み複数の魔力を孕んだ魔法陣が、死神の頭上に展開した。
魔王の側近クラスであっても、無傷では退けられぬ魔法陣が迫る。
一瞥したジルは右手の指で一点を指し示した。彼を取り囲む霊力と魔力の混じった嵐はその指先に導かれたように、示した一点を正確に貫く。




