第14話 帝国の遺産(2)
「馬車の前に飛び出した」
だから自分が悪い。
切り捨てられても、まだ義弟を庇う女性に驚いた王太子が目を見開く。
意外だった。人間とは常に己の利害で動く生き物で、特に貴族や王族はその傾向が強い。そんな世界で育った王太子にとって、ルリアージェの言動は信じがたいものだった。
義理も繋がりもない人間が、己を切り捨てようとする他人のために動くなんて。
「なるほど……その馬車の持ち主は?」
ライオットが原因だと確信を持って尋ねる魔性が、腕を組んで美女を見つめる。ふてくされたような態度は、ひどく人間くさい。
「それは……」
嘘をつけずに答えを躊躇うルリアージェに溜め息をついて、ジルは組んだ腕を解いた。
「ほらみろ、ソレが原因じゃないか」
「でもっ、ダメだ」
徐々に子供の言い合いレベルに落ちてきているが、彼らは気付いていないらしい。いや、元が子供の振る舞いで強大な力を揮う魔性なのだから、これが通常なのか。
両手のひらを上に向け、ジルが「ほら」と促した。向き合う美女が迷いながらその手を取る。途端に抱き寄せる青年を中心に風が動いた。
温かな風は彼女の髪や服を乾かし、そのまま吹き抜ける。
記憶を失くしていても、自分に害を与える存在ではないと認識できた。だからルリアージェは素直に手を取る。そんな些細な信頼に、ジルが頬を緩めて笑みを浮かべた。
「風邪引くぞ」
街を焼き払った魔性らしからぬ、優しい声色だった。
冷えた肌を温めるように抱き締める魔性が、ふいに視線を上に向けた。厳しい視線の先、何かが浮いている。
「で? お前らはいつまでそこにいる気だ?」
ジルが厳しい声を向けた先は足元の人間ではなく、頭上の存在だった。
「降りて来い、叩き落されたいか?」
それは提案ではなく、命令だ。それも格下に向けた明確な指示だった。従えと傲慢に突きつけたジルへの返答は、鋭い攻撃。
風の刃が叩きつけられ、大きな氷が突き立てられる。人間では制御できない大きな力が一気に降り注いだ。大地を傷つけ、周囲に集まる人々の上に降り注ぐ。
「きゃぁあっ!」
「逃げろ!」
「陛下、こちらへ」
「殿下方をお守りしろ」
騎士が叫び侍女が悲鳴を上げる。氷を突き立てられ血を吐く侍女、王子を庇って風に胴体を切り裂かれた騎士、血が芝と煉瓦の上に広がり、噴水の水は赤く染まった。
倒れた国王を守るように覆いかぶさった王妃は、美しい髪と首を風に落とされる。無残に転がる首を抱きとめた王女が絶叫し、駆け寄ろうとする王子達を騎士が全身で守っていた。
誰もが無力に惨殺されるだけの――凄惨な舞台。
阿鼻叫喚の地獄に、ルリアージェが息を呑む。
「あっ……」
これが黒髪の魔性による攻撃ならば、ルリアージェの声が届くかも知れない。しかし彼に敵対する魔性か魔物の攻撃である以上、止める者はいなかった。
「鬱陶しい」
一言で切り捨てたジルがルリアージェを抱き寄せ、頭上に手をかざす。日差しを避けるような仕草だが、彼の周囲に薄い膜が現れた。
硬いガラスを思わせる結界でなく、周囲の爆撃に揺れる風船のような頼りなさだ。なのに、結界は氷も風もすべてを防ぎきった。
「オレは『降りろ』と命じた」
ふん、不機嫌そうに鼻を鳴らしたジルが左手を頭の上にかざし、一気に振り下ろした。無造作な所作に魔力は込められていない。
だが……彼らは落とされた。
抵抗することも出来ず、圧倒的な力に叩き落される。
揮われたのは霊力による精霊の力だった。使役される精霊は世界を構成する物質であり、同時に意思を持つ霊力の塊でもある。魔物や魔性が操ることは出来ないが、彼らの霊力は魔力を無効化して余りある『魔性殺し』と称するべき力を宿していた。
ダン! 激しい音を立てて地に叩き付けられた魔性は3人。茶色い髪の女性、鮮やかな緑を纏う少年、浅黒い肌を持つ青年……地に伏せた彼らの手足が必死に足掻くが、起き上がることはおろか、顔を上げることも出来ない。
足元に這い蹲る魔性たちは、それぞれに大きな魔力を保有している。上級魔性と呼ばれる部類にぎりぎり入るだろうか。彼らのような魔力の高い魔性は、あまり地上の人間に関与することはなかった。
彼ら程の実力者にとって、人間など足元を這う虫と変わらない。興味を示す対象とはならず、わざわざちょっかいを出す理由もなかった。まさに別次元で生きている存在なのだ。
「誰の配下だ?」
ジルは疑問をぶつける。上位者ゆえの傲慢さをまとって、彼らの屈辱や怒りを踏み潰す声だった。
主を持つ魔性は、主の属性を好んで使う。風の魔王ラーゼンの部下ならば、風の刃や大気を操る魔術を身につける。水の魔王トルカーネの配下は水に関する魔術を好んだ。それぞれが主の属性を必死に覚え、得意不得意に関係なく、その属性のみを使用する。
だが彼らは一塊で協力し合うくせに、系統が別の魔法を操った。風の刃と氷の針を使う魔性同士が同じ主に仕えるのは違和感がある。それ故の問いだった。
もちろん、ジルにとってさほど重要な情報ではない。どこの配下にしろ――彼らがジルに敵意を向けた事実は変わらないのだから。
敵である以上、殺されても文句あるまい。ジルは楽しそうに、足元の魔性を見回した。
「どれを選ぶか」
生かして帰す理由はない。『死神』の二つ名を持ち『帝国を滅亡させた大災厄』である男に正面からケンカを売ったのだ。彼らの死は揺るがぬ確定事項だった。
だが……1人だけ残す。
恐怖や畏怖を魔性達の間に広めるためだ。今回関わっていない連中に、この事件を伝える存在が必要だった。それが当事者であれば、なお望ましい。
他の2人を無残に切り裂いて、選んだ奴に見せ付けてやろう。発狂するほど残酷な情景を目に焼きつけ、仲間である魔性達の間に放つ。それで『死神』復活の狼煙が立つのだから。
女王ヴィレイシェの配下からも、彼女を滅ぼした『死神』の名が伝わり始める頃だった。




