第14話 帝国の遺産(1)
テラレス――突然他国の名前が出たことに、王太子は眉を顰めた。
そして思い出す。かの国は代替わりしたばかりで、アスターレンと隣接するシグラ国とウガリス国に王の姉妹が嫁いでいた。その3国から手配される『女魔術師』がいたことを。
指名手配された彼女は優秀な魔術師として、北の国々から勧誘される腕前を持つ。宮廷魔術師としてテラレスに留まっていたが、手配されたのならば逃亡中なのだろう。
それが彼女だとしたら?
テラレスで起きた『戴冠式直前の爆発事故』が関係しているのか。
「まさか……」
そこで思い至ることがあった。テラレスの戴冠式で奇妙な噂を聞いたのだ。本来ならば代々受け継がれてきた王杖を使う戴冠式で、若き王は新しく作られた王杖を手にしている――と。
新しい王杖に、その場では違和感を覚えなかった。他国では代々王杖を受け継ぐ慣習はなく、それぞれに己に見合った王杖や王冠を誂えることも多いからだ。
それ故に聞き逃してしまったが、『帝国の遺産』を誇る国が数百年に及ぶ慣習を破る理由は何だ?
あの国に受け継がれる『アティン帝国の遺産』である『海の雫』は大粒の金剛石だった。その宝石を飾った王杖を使わない……いや、使えなかった理由。
「帝国の遺産、か……?」
「ああ、多少は知ってる奴がいるらしいな」
王太子が見上げた先で、黒衣の魔性は楽しそうに目を細めた。
「まあいい、ルリアージェの願いだ。叶えてやろう」
酔狂か、本心か。
彼の魔性の言葉を信じる根拠は何もない。だが、黒衣の魔性に囚われた美女はほっと息を吐いた。
「頼む」
無邪気に言葉を重ねる彼女の純粋さに、王太子は驚いた。
義弟が拾った美女は――ほぼ間違いなく、テラレスの宮廷魔術師だ。記憶を失っているのは事実だろうが、彼女を匿う危険性は身に沁みた。
テラレス国を敵に回す手間など、造作もない。あの国より繁栄し大きな領土を誇る我が国が敗れる理由はなく、また代替わりで無様に揺れる国など敵にならなかった。
そもそも優秀な魔術師は、どの国でも喉から手が出るほど欲しい存在なのだ。最上級の魔術を3つも続けざまに使ってみせた彼女の実力ならば、厳しい北の国々でも喜んで召抱えるだろう。
だが、この魔性が彼女に付いているなら話は別だった。ルリアージェと呼ばれる美女は『魔性に魅入られている』のだ。望むと望まざるとに関わらず、彼女の影のように魔性は離れない。
ルリアージェの存在は――国の存亡に関わる。
「仕方ない」
先ほどまでの態度が嘘のように、黒衣の裾を翻した魔性が手を振りかざす。
ただそれだけだ。なのに、雨が降った。まるで天候を操る神々のように、周辺を雨の雫が覆っていく。それは王宮の白炎を消し、街の瓦礫にも降り注いだ。
「これでいいか?」
「あと……怖いから、降ろしてくれないか」
小首を傾げて提案するルリアージェに恐怖心は見られない。人間より強大な力を揮う魔性を相手に、構えた様子なく接した。
「……まあいいか」
躊躇う魔性だが、少し考えてから折れる。唯我独尊、誰の言葉にも従わずいられる実力を誇る魔性が、人間の提案に頷く姿に、誰もが絶句した。
地上に降りたルリアージェが、ライオット王子へ駆け寄ろうとするのを、咄嗟に王太子は己の身で遮った。同時にジルの手がルリアージェの手を掴んで妨げる。
「すまないが、今は信頼できない」
王太子として、魔性の前に身を晒す行為は失格だった。わかっていても、己の理解者であり協力者でもある有能な義弟を失いたくない。
きっぱり距離を置く発言をした王太子に、ルリアージェはただ無言で頭を下げた。心配を滲ませていた顔は青ざめ、きゅっと唇を噛むのが見える。
「わかりました」
さきほど魔性と話していた時と違い、立場の差を示す敬語が零れる。傷つけてしまったのだろう、そう感じながらも王太子は何も言葉をかけなかった。
「ライオット王子殿下?」
治癒にあたっていた宮廷魔術師の慌てた呼びかけに振り返れば、貧血からか、気を失った弟が崩れ落ちる。警護の騎士が手を差し伸べたため、そっと横たえられた。
「その男を寄越せ」
魔性はふいに要求を突きつけた。興味のない人間の名前など覚える気のない青年は、無造作にライオットを指差す。
すっと全身から血が引いた。
守ってやりたいが、守れない。守りきる手段はなかった。
あの魔性が大人しくなったのは、ルリアージェと呼ばれる美女の言葉に従ったからだ。しかし、たった今彼女を切り捨てた自分達に、魔性へ対抗する方法は残されていない。
「ダメだ」
ルリアージェが間に立ちふさがる形で両手を広げる。首を横に振る美女の銀髪は、雨で頬に張り付いていた。
「ルリアージェ」
名を呼んで「どけ」と示す魔性が顔を強張らせる。表情が凍る彼の顔は整っていて、まるで人形のようだった。正体を知らなければ、神話の彫像を思わせる美貌だ。
彼の黒髪は不思議と濡れておらず、まだ僅かに風に揺れていた。対照的に全身を雨に濡らしたルリアージェが低い声で問いただす。
「渡したら何をする気だ?」
「お前の記憶を奪ったのは、コレだろう。ならば報いが必要だ」
人格ある存在として扱うつもりがない彼の態度は、人間であれば不敬罪が適用された。だが人外には通用しない。ましてや王都を造作なく破壊する魔性相手に、何を主張しても価値はなかった。
「私が記憶を失ったのは、私の所為だ」
「原因が分かっていると?」
この男を庇っているんだろう? そう匂わせた魔性へ、ルリアージェは湿った髪を揺らして首を横に振った。
雨に張り付いたドレスが色を僅かに濃くして身体にまとわり付く。煩わしさに溜め息を吐いた。




