第13話 アスターレン王宮炎上(2)
アスターレンの美しい宮殿は、炎に包まれていた。赤い炎ではなく、もっとも温度が高いとされる白い炎が白い壁と青い屋根を舐める様は、現実感の薄い絵画のようだ。
火災の原因がわからぬまま、炎は広がり続けていた。崩れる調度品や絵画が積み重なり、窓のガラスは破裂して飛び散る。
建物の周囲では、直接炎が触れていない木々も熱による乾燥が広がり、突然発火する現象が始まっていた。
「火を消せ!」
「避難を優先だ」
叫ぶ騎士や侍従たちの声が響き、王宮内は騒然とした。礼儀も作法もない。すべての部屋のドアを開放し、各自が己の役目を果たすべく走り回っていた。
魔法により崩壊した前庭は、避難した王族を囲むように大きな人溜まりが出来る。
宮廷魔術師達が噴水や池の水を必死に掛けるが、まさに焼け石に水――ほぼ効果は見られない。豪華な宮殿が白炎により灰になるまで、もう打つ手はないと思われた。
「リアは? 彼女は……」
ライオットの疑問に答えたのは、彼女の着替えを担当させた侍女だった。桃色のヒールが高い靴をしっかり抱えたまま、乱れた息を整えて報告する。
「…っ、リア様は……大広間のドアまで、駆けつけ…ましたが……現れた、黒衣の……魔物に、っ連れ去られてしまい……」
「なんだと? 扉の騎士達は!?」
大扉を守る騎士が2人、常駐している筈だ。彼らは近衛騎士団に所属する、この国でも指折りの騎士達だった。彼らがいながら攫われたというのか。
指摘したライオットに、王太子が声をかける。
「魔物がでたのか?」
「っ、はい!」
義弟の頷きに、王太子が眉を顰めた。
現れた魔物が王宮に火を放ち、その場に居合わせた美女を攫った――繋がりが読めない状況だが、現在把握できているのはこの程度だ。
「さて、諸君。お揃いかな? ならば、終焉の幕を開けようか」
美声だ。これが舞台の上に響いたなら、拍手喝采の的だろう。しかし告げられた物騒な内容と、現れた魔性の姿に誰もが息を呑んだ。
燃え盛る白い炎を背に負う青年は、艶やかな黒髪を風に揺らす。火事の上昇気流に煽られて広がる黒髪は腰まで届くほど長く、陰になった顔は白く整っていた。
俳優のような青年の瞳は炎の影になり、濃黒に見える。黒衣を纏っていることもあり、侍女が『魔物』と称したのも頷ける様相だった。
なにより、彼が人外だと示す最大のパーツは――背を飾る大きな翼だ。魔物がもつ蝙蝠や虫のような羽ではなく、鳥の翼そのものだった。
漆黒の翼を広げているが、飛ぶことに使うわけではなさそうだ。羽ばたく所作はなかった。
今まで表に出さなかった翼は、特別な意味がある。長く生きる魔物や精霊ならば知っているだろうが、人間はわずか100年前の歴史すら正確に伝えられない種族だ。
当然、彼らの中に『背に翼持つ者』に関する正確な知識を持つ者はいなかった。
「リア!?」
叫んだライオットが指差す先に、美女が囚われていた。虹色のボールの中に閉じ込められているのか、彼女が何か叫んでいる声は聞こえない。
「ふーん、お前が原因か?」
黒い魔性が口角を持ち上げる。笑みを浮かべたのではなく――作った。
物騒な雰囲気を纏い、彼は無造作に右手の指をライオットへ向ける。直後、彼の頬に一筋の傷が刻まれた。巻き込まれた髪もいくらか散る。
真空の刃を指先ひとつで操り、ジルは紫の瞳を細めた。無詠唱の魔術ではない。かくあれと願う魔法でもなかった。
魔性たる青年の感情が揺れ、それに精霊が引き摺られて起こした現象だ。
「言い訳を聞いてやろう。彼女を傷つけ、記憶を奪った……その理由を」
淡桃のドレスを纏ったルリアージェが何かを訴える。だが聞き取ったジルは無視して、視線をライオットへ戻した。隣の王太子も、その後ろで震える国王にも興味はない。
人の世界や国、柵は。彼に対し一切意味を持たなかった。
記憶を失ったルリアージェ、その右手を傷つける魔術を行使した理由が知りたいのだ。
まどろっこしい。
かつてのジルならば、過去を読み解く方法を得ていた。過去を記憶した空気を焼いて、炎の中にその映像を取り出す術が使えたのだ。すべての魔力と霊力を解放することが叶わぬ今の身では、届かない高みだった。
それ故の問いかけ。
「……リアを開放してくれ」
ライオットの発言に王太子が息を呑む。護衛の騎士がライオットを引き寄せ、己の身体で庇った。だが、僅かに遅い。
「っ!」
ジルが右手に宿した空間ごと切り裂くような透明の刃が振り下ろされ、護衛の騎士を背中から二つに切り捨てる。断面から血を吹き出す暇すらなく、鮮やかに身体は割れた。そして……庇われたライオット王子の右腕が地に落ちる。
「ぐぁ…ああっ」
叫んだライオットに魔術師が駆け寄る。杖をかざし治癒を施すが、落ちた腕を元に戻すほどの術は使えなかった。すでに王宮の火事を収めるために魔力を使った彼らに、大きな術を使う魔力は残っていない。
ましてや、上級の魔術を使う実力がなかった。魔力が充実していたとしても、彼らの使う術では腕を繋ぐ効果は得られない。
必死で血止めを行う魔術師を横目に、王太子が義弟を庇うように前に立った。慌てて周囲を囲む騎士が決死の覚悟で肉の壁を築く。
「オレは一度しか聞かないぞ?」
苛立ちながらの問いかけを無視されたジルは、くつくつと喉を鳴らして笑う。目の前の惨劇も、殺された人間も、彼にとって価値はない。
このような輩、死んでしまえばいい。
ルリアージェを傷つける存在など、許してはならない。
高まる感情に酔ったジルの黒髪がゆらゆら揺れた。水の中に広がるように、重力を無視した黒髪が解けて揺らめく。