第97話 白日に晒す痛み
悔しそうな顔をしながらも、リオネルは一礼して下がった。大袈裟だと笑うことすら許されない状況で、気を使ったライラが場所の変更を申し出る。
「ねえ、場所を変えましょう」
ルリアージェが頷いたのを確かめ、リオネルが描いた魔法陣が足元に光る。一瞬で転移した先は、予想通りジルの黒い城だった。
見慣れてしまった広間の天井を見上げ、ステンドグラスから降り注ぐ色鮮やかな光に目を細める。王宮のダンスフロア並みに広い部屋に用意した円卓で、それぞれに席についた。普段はルリアージェの隣に陣取る男は、珍しく正面に座る。
それぞれに纏っていた色を脱ぎ捨て、普段と同じ姿で着座した。ルリアージェに被せていた色変えの魔法陣を消したジルが、円卓に肘をつく。普段は見せない仕草に、よほど言いづらいのだろうと気づいた。
「ジル、言わないでもいい」
「……いま逃げたら、永遠に口にできなくなるから」
思わず助けの手を伸べたルリアージェに驚いた顔をして、ジルは首を横に振った。
ずっと助けの手はなかった。何度泣いても苦しんでも、自分には縁がない手だと気づくのに、どれだけ無駄な行為をしただろう。求めた手はいま、目の前でゆっくりと 祈りの形に組まれる。届く位置にあるのに、話してしまえば触れる権利は失われるーーいや、違う。
最初からこの白くて柔らかい手をとる権利なんて、自分にはなかったのだ。覚悟を決めて深呼吸した。
彼女が気づくまで……そんな言い訳をして先延ばしにした弱さが、ようやく暴かれる。この罪を告げて、彼女の断罪と切り刻む刃を受けるのが己の最後の役目だ、そう言い聞かせないと声が出なかった。
「リオネルが言った通り、リアは歳を取らない。不老長寿、神族と同じだ」
言われた内容が理解できず、ルリアージェは目を見開いた。神族は滅びたはずだ。そして自分が神族のわけはなく、ただの人族。どこにでもいる平凡な魔術師が、不老長寿を手にしたと彼はいう。
「勘違い、ではないか?」
掠れたルリアージェの否定に、ジルは紫水晶の目を逸らさず首を横に振った。
「背中の白い羽も同じ理由だ。リアは本物の神族と同じ、おそらく血も身体も変質している。戻す方法は知らない。ごめん」
リオネル、リシュア、パウリーネ、ライラと視線を向ける。助けを求めるルリアージェの青い瞳に映るのは、何も言えずに俯く魔性だった。この世界を自由に思うまま生きる彼らでさえ、手が出せない領分だと知るには十分だった。
「どうして……」
生まれは人族のはず、そう呟いたルリアージェにジルが息を飲んだ。唇を噛みしめ、それから震える吐息を漏らす。理由に心当たりがあるジルの口は重く、なかなか言葉に出せなかった。
それでも黙っているわけにいかない。知りたいと願ったのは最愛の人で、己が唯一と定めた主だった。真実を告げることで遠ざけられても、自業自得なのだから。
「リアのケガを治した時に、オレの血を使っただろ。あれが引き金だ」
奇妙な言い回しに気づいたのは、ライラが早かった。続いてリシュアとリオネルが顔を見合わせ、パウリーネは驚いた顔で固まる。そんな彼と彼女らの反応に、ルリアージェは予想が正しいことを確信した。
「お前の封印を解いたことが、原因だな?」
ジルは引き金という単語を使った。それは別の原因があって、下地がある場所に切っ掛けを与えたという意味だ。
ジルの血だけで変質するなら、他にも同様の反応が出た者がいたはず。ルリアージェの指摘に、リオネルが口を開くがジルは首を横に振った。余計な口出しをするなと止められ、悔しそうに俯く。
「金剛石にオレを封じた『鎖の封印』は時間が止まる。だから中に封じられたオレにとって、1000年は瞬きの間だった。そして封印に引きずられた魔王3人も同様に、時間が止まっていた」
諦めたようにジルの口が軽くなった。嫌われる覚悟が決まることはない。重かった口が動き出したのは、彼女に告げるべき真実を吐き出す痛みを感じたからだ。他人の口から似たような話を聞かせるなら、自分の口できちんと彼女に告げよう。
断罪される立場のくせに、なぜ嫌われることを恐れるのか。すでに好かれる要素なんてない。彼女の時間を奪ってしまったのだから。老いて死ぬ権利を壊したオレが何を躊躇う? 自虐めいた考えが過り、ジルは気を落ち着けるために深呼吸した。
美しい蒼い瞳を正面から見つめる。
「魔王とオレの時間を止めた封印は、中途半端に解除された。時間の流れには規則があり、流れを逆流させたり食い止める方法はない。ならばオレ達の時間を止めていた鎖はどうなったか。リアの時間が止まったのは、オレの封印を解いた時から。それでも確定せず不安定だった鎖がリアを捉えたのは、オレの血を使った瞬間からだ」
「いつから……知っていた?」
ルリアージェの確認に、口を出せない4人は視線をそらした。傍観者たるレンが彼女に構う姿で違和感を覚えたリオネル。リシュアは出会った瞬間、ライラもサークレラに入国する前に気づいた。パウリーネはジルの城で狂わぬルリアージェの異常さに感づいた時。誰もが気づいて黙っていたのだ。
ジルの城は時間が狂っている。人の世界の10年がわずか数日に感じられるほど、魔性であっても感覚の違いに違和感を覚える。その空間で長く過ごしたルリアージェの時間感覚は、精神的に作用するはずだった。しかし彼女は平然としていた。
「違和感を持ったのは出会いから。確信したのはアズライルを呼び出した時だ」
封印が解けたとき、目の前で崩れ落ちたルリアージェに初めて触れた。肩を抱きとめた瞬間に流れ込んだ情報は多く、しばらく眩暈を耐えて立ちすくむ。あの時は違和感の正体がわからなかった。
すこしして彼女が『人族』に分類されると気づいて、鎖の封印を探す。鎖が縛る対象は時間の流れだけでなく、関係する者のすべてだった。魔力や生命力、成長や心まで含まれる。魔性が幼いまま成長しないのと同じように、ルリアージェも時の流れから切り離された。
どれだけ生きようと、老いることはない。
アティン帝国、最後の皇帝なら喜んだだろう。神族を虐殺した男が切望した不老長寿を、意図しない状況でルリアージェは得てしまった。彼女の性格を考えれば、そんなこと望んだりしないとわかる。だから言えなくなった。
「リアの寿命はわからない。老いることなく、神族のように長く生きるけど……」
ごめんと謝ろうとして声を飲み込んだ。そんな謝罪が通用する次元じゃない。俯いたジルの前に立つルリアージェは、握りしめていた拳を解いた。爪が食い込んだ手のひらをじっと見つめ、それからジル、ライラ、リシュア、リオネル、パウリーネを順番に視線で追う。
「ジル」
大切な人の名を呼ぶが、彼は肩を震わせて俯いたまま。かつて大切な子を亡くしたジルは、己の中に流れる血を疎んでいた。リアーシェナを殺した血を、迷いながら私の治療に使ってくれた。その時点で責められる覚悟はあったのだろう。
だから告白しなかった。好きだと口で言いながらも、本心を隠し続けたのだ。
近づいて手を伸ばし、震える白い手を掴んだ。握り返されることがなくても自分が握ればいい。自分勝手に押し付ける考えを、いつだって肯定してくれた男が怯えていた。
魔王を退けて不敵に笑う実力者が、女一人に嫌われることを恐れて顔も見れない。なんて愚かで、身勝手で……本当に愛おしい。哀れで醜く、どこまでも透き通った恋心がむき出しで泣いている。
「ジル、顔をあげて」
「っ……」
断れないと知っている願いを突きつけ、笑顔で待った。ゆっくりと焦れる速度で顔をあげたジルが息を飲む。驚きに見開かれる紫水晶の瞳に、自分が映っているのが嬉しかった。
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