第96話 隠し続けたズレ
宿で朝食を終えて外へ出ると、祭りで賑わう通りは多くの人が行き交っていた。夜に使う仮面は紐を通して腰や後頭部に結えると楽だと教わった。宿の主人の言う通り、祭りに向かう人々はあちこちに仮面を下げている。
収納魔法があるので持ち歩く必要はないが、周囲に溶け込む目的と、祭りの雰囲気を楽しむために腰紐に結えた。歩くたびにからからと乾いた音を立てる。
この音も、祭りの間の風物詩だろう。
「この国が元通りになってよかった」
ジルが壊したあとで戻したのは見ていたが、こうして祭りが出来るまで人の心も癒えたのだと安心した。美しい街並みを見たいのは事実だが、厳しい現実を突きつけられそうで怖かったのも本音だ。
腕を組んだジルが「ちゃんと直ってただろ?」とどこか得意げに囁く。くすくす笑いながら頷いた。きっと過去の宮廷魔術師時代のルリアージェだったら「戻せばいいわけじゃない」と反発しただろう。しかし、こうして付き合いが長くなるほどに、魔性の考え方や嘘のない言動の心地よさが身に沁みる。
人と違い他者を騙して貶め、謀略によって地位を築くような魔性は少ない。魔王の寵愛を奪い合う上級魔性の間ではあるかもしれないが、たいていの魔性は己の実力や容姿を誇り、自信を持っていた。だから正々堂々と相手を叩きのめす。その在り様は潔くて、ルリアージェは居心地がよかった。
「街が崩れた時はどうなるかと思ったが」
にこにこと機嫌よく歩くルリアージェは気づかない。何かもの言いたげな顔をしたジル、目を逸らしたライラの様子に。ジルの配下である3人は口を引き結んで、視線を合わせないようにしていた。
「王族は無事だったんだろう? 腕を失ったライオット王子殿下は、まだ王太子殿下の補佐をされているのか」
思い浮かんだ疑問をそのまま声に乗せたルリアージェの耳に、驚きの言葉が聞こえた。
「そこの方、外国の方だろ。今の王子殿下にライオット様というお名前はないぞ」
「リア、行こう」
焦った様子で遮ろうとするジルだが、ルリアージェは首を横に振った。
「話を聞きたい」
祭りの喧騒を味わうため、家の外にベンチを置いて楽しんでいる。そんな風情の年寄りは、親切そうに説明を続けた。
「ライオット様というお名前は、2代前の宰相様じゃな。第二王子殿下で優秀な方だったと聞く。なぜか妻を娶らず、王族も自ら除籍を申し出た稀有な方だと親に聞いたものだ」
「……庶民出身の妃のお子か?」
衝撃から立ち直れないルリアージェが、震える声で確認する。
「そうそう。そんで住民に優しい治世をされてのぉ。この収穫祭も、宰相様の提案だと言われとる」
「ご老人、大変勉強になりました。ありがとうございます」
引きつりながらも笑顔で礼を言ったルリアージェは、口をきゅっと引き結んで歩き出す。無言で先を急ぐ彼女が向かったのは、誰もいない街外れだった。
街の中心は大きな広場になっている。円形広場から放射状に広がる街の通りは、多くの屋台と人々が埋め尽くした。しかし端の外壁に近い辺りは、ほぼ人通りがない。
ぴたりと足を止めたルリアージェが振り返ると、顔色が蒼白の5人が俯いていた。まるで死刑宣告を受けた囚人のようで、恐る恐るこちらの様子を窺って目を伏せる。
「状況を説明しろ」
切り出したルリアージェに、リシュアが口火を切った。
「ジル様がこの都ジリアンを薙ぎ払った事件から、今年で68年経過しています」
人間の平均寿命に近い年月を告げられ、予想はしていたが驚きを隠せない。ジルは下を向いたまま顔を上げず、ライラは斜め下に目を逸らしていた。パウリーネは申し訳なさそうに両手を揉んでいる。
「そんなに時間が経った感覚はないぞ」
「……実はジル様の城がある空間は、時の流れから隔離されます。城内にいる時間が長いほど、人の世界の時間からズレてしまうのです。黙っていたことをお詫びいたします」
知らなかった事実に目を瞠るが、彼らも頭から隠そうとしたわけではない。魔性にとって当然すぎる状況だったことと、人族の時間感覚を気にする習慣がなかった。そのため、本当に気づかなかったのだ。
遊び半分である国の政に手を出し、そのあと忘れて気付いたら百年単位で時間が経っている。そんな経験も珍しくない彼らは、数十年経っていた事実に気づくのが遅れた。
最初に指摘したのはリシュアだ。人族の間で1000年を生きたリシュアは、サークレラの王族に連なる公爵家の財産や地位の管理をするために地上に降り、数十年経っている事実を把握した。慌ててジル達に報告したものの、時間を戻す方法がない。
ルリアージェが地上に残した家族がいなかったことも、発覚を遅らせた一因だった。上手くすれば気づかれずに過ごせるんじゃないか。そんな思惑で、彼らは全員口を噤んだ。
「ジル」
「……ごめん」
黙っていた負い目から詫びるジルは、まだ顔を上げない。他の4人も視線を逸らしたり、俯いているので誰も気づいていなかった。
苦笑いするルリアージェがさほど怒っていないことに。
「ジル」
もう一度名を呼ばれ、ジルが唇を噛む。それでも顔を上げないので、ルリアージェは数歩近づいた。反射的に下がろうとして踏みとどまる男の顎に手を触れ、強引に顔を上げさせる。身長差で顔を覗いたルリアージェがにっこり笑った。
「私は怒ってない。ただ説明して欲しいだけだ」
「……でも、あたくし達は黙ってたのよ」
「そうですわ、知った後も黙ってましたもの」
罪悪感から声を詰まらせるライラとパウリーネに、ルリアージェは指摘した。
「だが嘘をついて誘導はしなかった。黙っていただけだろう?」
目を見開いたライラが「でも」と呟く。自分達でも悪いことをしたと反省しているのに、これ以上責め立てる気はなかった。だからルリアージェは軽く聞こえるよう明るく言い放つ。
「ついでだ、他にも隠していることがあれば言ってしまえ」
茶化した言い方だが、 今度は誰も目を逸らさない。もう隠し事はないと示すような態度に、ルリアージェが昼食の提案でもしようとしたとき、ジルがルリアージェの前に膝をついた。
「どうした?」
「……オレはリアに隠し事がまだある」
続きを待つルリアージェは無言で先を促す。しかしジルは何も言えない。ルリアージェに嘘はつけないし、この件は言いたくない。隠し事があるかと聞かれれば頷くしかなかった。それでも隠し事の中身を聞かれないなら誤魔化したいのが本音だ。
ルリアージェの姿を焼き付けるように見つめるジルの覚悟に気づいて、魔性達は目を逸らした。泣き出しそうなパウリーネと、痛みを耐えるように眉を寄せたリシュア。ライラも唇を噛み締める。
彼らの様子に、よほどの話だとルリアージェが理解するのに、さほど 時間は要らなかった。この場で気付かないフリをするのが賢い選択かも知れない。迷うルリアージェが、じっと見上げるジルへ何か言おうとした瞬間、先に動いたのはリオネルだった。
「私がお伝えしましょう。自覚はないでしょうが、リア様はジル様と出会ってから歳を取っておられません」
「どういう、意味だ?」
時間の経過が鈍くなっていたから、歳を取らないという話か。ジルの城で時間の流れが違ったならば、その流れに飲み込まれた自分の身体が、人の世の年齢をズレるのは理解できる。しかし彼の口調は違う意味にとれた。
「正確にいうなら……」
「いい、リオネル。オレがきちんと説明するべきだ」
遮ったジルがルリアージェの手を取って、その甲にキスを落とす。それから手を返して、手のひらに頬を押し当てた。
「リアがオレを遠ざけるとしても、これはオレの罪であり罰だ」
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