第93話 平和なのだが襲撃ラッシュ
「ヴィレイシェ様の仇!!」
海辺の砂浜に小ぶりのテントを張り、その下で日差しを避ける方法を試していたルリアージェは、響いた上空の声に顔を上げた。しかしテントの天井があるだけ。しかたなく日差しが眩しい外へ顔を覗かせる。
買い物に出た際に地元の人から、大きな傘をさして日差しを避ける話を聞いたリシュアの提案で張られたテントの外は、足元の砂もじりじり熱い。火傷しないよう気を付けながら覗いた先に、緑色の髪を振り乱す女性が浮いていた。
「……魔性か」
ヴィレイシェという名前は聞いた気がする。その程度の感覚しかないルリアージェが、再びテントの中に引っ込んだ。日焼けが過ぎると肌が痛くなる。前にタイカに滞在した際に経験しているので、今回は日差しの下で寝たりしないよう注意していた。
午前中に海で遊んだ身体は怠く、欠伸をしながら日陰の砂に寝転がる。
「リアったら、胸元が危険よ」
平均より平たい胸は、水着がずれて際どいところまで見えていた。薄く透けた布を上に被せて注意するライラを、ジルが舌打ちして小突く。
「あと少しだったのに」
「やらしい男ね。そういうのは嫌われるのよ」
2人のやり取りの意味が理解できないルリアージェは、きょとんとした顔で薄布を被った。くるくると巻いて器用にドレスのように身に纏う。
「無視するなっ!」
叫んだ魔性の声と同時に、テントの上で何かが弾ける音がした。どうやらジルの結界に攻撃が当たったらしい。布製のテントは揺れもしないので、どの程度の攻撃だったかわからなかった。しかし周囲の砂がぶわっと舞い上がった様子から判断すると、風の魔法だったのか。
「ジル、今度はどこの関係者だ?」
「うーん、アスタレーンに行くときに邪魔した奴絡みだ」
単純な興味で尋ねるルリアージェへ答えながら、ジルは隣で順番を決めている2人に目をくれた。リシュアとパウリーネの2人は、どちらがあの魔性を片づけるかで揉めている。
「私が行くわ。海辺ですもの」
「相手は風を使うのです。ならば上位の風で押さえた方がより屈辱的でしょう」
互いの言い分が食い違うため、しばらく決着がつきそうにない。
「どっちでもいいから……」
「私がもらいます」
テントの影から声だけが聞こえ、外に人影が増えた。情報集めと言って姿を消していたリオネルが戻ったらしい。熱い日差しを物ともしない白炎の使い手は、緑の髪の女魔性に優雅に一礼した。
「死神の眷属、白炎のリオネルと申します」
「……死神の……っ! 死ね」
珍しく丁寧に名乗りを上げるリオネルの声に、ジルが「ああ……酷い殺され方するぞ」と眉をひそめる。ジルの説明によれば、リオネルが異常に丁寧な時は機嫌が悪いのだとか。迷惑なキレ方をする奴なのだと言いながら、テントから首を出して忠告する。
「おい、この辺を汚さないで遠くに捨てろよ」
「承知しております」
にっこり笑って請け負うリオネルの後ろに、風が刃と化して襲い掛かる。鋭い風が首を落とすかに見えた一瞬で、リオネルの身体は消えていた。転移を使うまでもなく、目の前にあった影に入り込んだのだ。厄介な特技を持つ男は、焦って周囲を見回す魔性の後ろに現れた。
「主の命ですので、灰も残さず燃え尽きてください」
「いや……オレがそう言ったわけじゃないぞ」
燃やし尽くして灰も残らなければ、周辺を汚したことにならない。曲解した部下の言い分にぼそっと反論するジルだが、咎める気はなかった。リオネルが言う通り、燃やし尽くしてもらえば後腐れなくて結構と首を引っ込める。
「狡いわ!!」
「そうです、我々の獲物ですよ」
横から攫われた獲物は、より大きく見える。もったいないと飛び出していくパウリーネとリシュアを見送り、ライラはルリアージェの胸元を少し手直しして感心していた。
「こうやって纏うとドレスみたいで素敵ね。こういう形で巻くドレスを作らせたら、すごく似合うわ」
「ん? これは前に泳ぎに行ったときに教えてもらったんだ」
布の巻き方で盛り上がる2人の隣で、ジルが氷を作って紅茶を用意する。手慣れた様子で取り出した檸檬を風で輪切りにし、カップの上に添えていく。見事な飾り切りに目を輝かせたルリアージェに、冷やした紅茶を差し出した。
「はい、水分補給しててね」
「うん? お前も外に出るのか?」
言葉の端に含まれた意味に気づいて首をかしげると、苦笑いしたジルが種明かしするように教えてくれた。
「まだ来るからな」
ジルの言葉に被るように、リシュア達の歓喜の声が聞こえる。
「獲物が増えたわ」
「等分ですからね」
復讐に燃える魔性の襲来に、倒す対象が増えたと喜ぶのは間違っている。そう思うのだが、彼らが負けるとは思わないルリアージェは「気をつけて」と気軽に送り出した。
「ライラはいいのか?」
「ええ。ジルも出てったから、あたくしがリアを独占出来るじゃない」
優しい言い方をするライラは、三つ編みを背に放りながら笑う。この場で一番非力で、人質にされかねない人族であるルリアージェを守る存在が必要だ。そう言われても傷つくことはないのだが、一緒に居られて嬉しいから残ると告げるライラは外を窺った。
「あらやだ。意外と多いわね」
「……確かに」
ライラの声に誘われて顔を覗かせたルリアージェの目に、十数名の魔性が見えた。高いところから見下ろすことを好む魔性が多いため、上を見上げる首が疲れる。
「寝転がって見学する?」
「それは贅沢だが、砂が落ちてきたりしないか」
敷物を移動させて準備を始めたライラが、くすくす笑いながら指先で半円を描いた。作り出した薄緑の結界をこんこんとノックする。物理的に触れられる形で作った結界は、砂を含めた落下物を防ぐものだった。
「これなら安全よ。さらに上にもジルの結界があるし」
「そうだな」
信頼していると態度で示すルリアージェは、テントからはみ出す形で寝転がった。眩しい太陽も多少遮られるようで、快適だ。
「ここを貴様らの墓にしてくれる」
「女王の仇を討つ」
「ずたずたに引き裂いてやるわ」
口々にジルを罵る魔性へ、3人の眷属は得意な獲物を手に準備を整える。リオネルが最初に動いた。執事の真似事をしているときは冷静だが、実は一番過激な性格の男が青い炎を右手に宿して近くの魔性を掴む。一瞬で広がる炎だが、温度を白まで上げずに焼き尽くした。
褐色の肌にかかる金髪がふわりと魔力に煽られる。円形の魔法陣ではなく、星型の魔法陣が青白く輝いて消えた。
「この程度の魔力しか持たないくせに、上位者に歯向かうなど……本当に愚かですね」
挑発するリオネルの口元が弧を描く。その左側ではリシュアが指先で竜巻を操っていた。砂を巻き上げずに風だけが襲い掛かる。切り裂いた魔性を風の球に閉じ込め、国王時代の穏やかな姿が嘘のように意地悪く笑った。
緑の艶を帯びた黒髪を手で押さえながら、濃淡の緑の瞳で風の球を引き寄せる。中の魔性が必死に足掻く姿を楽しむように、ゆっくりと圧し潰していた。その球体の表面に魔法陣が2つ重なる。
「随分と時間をかけてるわね」
ライラが不思議そうに呟くが、彼らが時間をかけている理由はライラの隣にあった。魔法陣を使った魔術を使うたび、ルリアージェが読み解いては目を輝かせる。
「すごいな、あの魔法陣を後で説明してもらいたい」
見た目はあまり血腥い光景でないため、ルリアージェの興味は魔法陣一択だった。人族が扱えないほど高等な魔法陣に、研究者としての好奇心が先行する。
なるほど……と納得したライラが、パウリーネの魔法陣に気づいた。
「リア、パウリーネが水を操るわ」
目の前に海があるため、一番派手な魔術を使える氷静のパウリーネが眷獣を呼び出した。
「おいで、ティン」
水虎が美しい透き通った姿を見せ、パウリーネの膝にすり寄る。その頭を撫でた彼女が右手に作り出した魔法陣をティンの身体に埋め込んだ。
ぶわっと虎の身体が膨張し、海の水をまきこんで凍らせる。舞い上がる水しぶきが収まった空中で、巨大な氷の竜が羽を広げていた。
「これは……見事ね」
さすがにライラも誉め言葉が口をついた。実際のドラゴンを見た経験がある彼女から見ても、遜色ない素晴らしく精密な姿形と大きさだ。
「私はドラゴンを書物でしか知らないが、本当にこんな大きいのか」
「ええ。素晴らしい再現だわ」
「ドラゴンとは綺麗な生き物なのだな」
人族が住まうこの大陸は、ドラゴンや魔物が住まう大陸とは繋がっていない。そのため直接ドラゴンや魔物を目にする機会はなかった。まれに海の向こうから飛来したり流れてきたときは、国を挙げての討伐となるらしいが。
少なくともルリアージェが宮廷魔術師になってから、一度も討伐に参加したことはなかった。
「興味があるなら、ジルに強請ってみたら? きっと連れて行ってくれるわ」
現在の人族に隣の大陸へ渡る方法はない。魔族や神族のような魔力があれば問題ないが、人族がドラゴンや魔物がいる大陸に下りても餌となるだけだろう。事実、流れ着いた小さな魔物相手に国の騎士団が総掛かりなのだ。
強大な魔物がたくさんいる大陸は、憧れを上回る恐怖の代名詞だった。
「だが……危険だろう?」
「平気よ。上位魔性クラスなら、ドラゴンなんて大きなトカゲと同じだもの。私やジルはもちろんだけど、あの3人も全然問題じゃないわ」
驚きの事実に目を見開く。
「そもそも魔物って、魔性の成りそこないですもの。私たちよりずっと格下よ」
言われて気づく。以前に襲ってきた魔性を、ジルは「魔物」と呼んで区別していた。挑発するために口にした言葉だが、魔物という単語が彼らを怒らせる原因は格下扱いされたせいだ。人が使役できる範囲も魔物までとされていることから、魔性や上位魔性は別次元の強さを誇るらしい。
ごろんと寝転がった格好で、氷のドラゴンを見上げる。とても美しい生き物を目の前で見ることが出来るなら、それは素晴らしい体験だ。
「強請ってもいい、のか」
迷いながら呟いたルリアージェに、ライラは「強請られたら大喜びすること請け合いね」と微笑んだ。ドンと派手な音がして、氷製のドラゴンが尻尾を振る。魔性を爪で切り裂き、尻尾で叩きつけた魔性が塵となって消えていく。
残された核を回収したリシュアが最初に戻り、リオネルとジルが夕飯の相談をしながら手を振った。反射的に「おかえり」と声をかけると、一瞬目を見開いてからジル達は嬉しそうに頬を笑み崩す。
「ああ、ただいま」
「ただいま戻りました」
当たり前のように返された挨拶を、ルリアージェは嬉しそうに受け止めた。
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