第89話 断罪と許しの天使
「やめろ、エアリデ」
借りがあるラーゼンの命令に、エアリデは顔を歪めた。こんな奴は魔王じゃない、おれの主じゃない。千載一遇のチャンスを手放す奴が、魔王を名乗る資格なんてないはずだ。おれのほうが……! そうだ、おれの方がよほど魔王に相応しいじゃないか! 秘めた欲望が燃え上がる。
「煩い! 死神に膝をおる魔王など、主君ではない!!」
主従の契りを否定したエアリデの声に、ラーゼンが舌打ちした。直後、リシュアの手から風の支配権が奪われる。それはエアリデも同様だった。膨大な魔王の魔力を制御につぎ込んだラーゼンの手に、透き通った風の刃が現れる。握っているのではなく、手から離れた位置に浮かんでいた。
「もう一度言う、手を引け。エアリデ」
ラーゼンの警告にもエアリデは頷かない。なんとか風の制御を取り戻そうと魔力を練る姿に、風の魔王はやれやれと首を横に振った。言うことを聞かない幼子を叱るように、淡々と口にする。
「ならば死ね」
言葉と同時に、振り抜くこともなく剣はエアリデの眉間を突きとおした。風に乗ると透明になり見えなくなった剣は、避ける余裕のないエアリデの額を貫いて消失する。急速に目が光を失い、エアリデだった身体は塵になった。
緩んだ手から白い粉の入った瓶が落ちる。騒動を横目に、ジルは切り落とされた右手を拾い上げた。己の血で治癒しながら振り返る。
「これは……まさか?」
蔦で受け止めたライラが手元で粉を眺める。それは神族の骨を砕いて作る粉に似ていた。
「貸してみろ」
ジルは無造作に瓶を開けて中身を振りまいた。まだ風が渦巻く渓谷の中を粉が躍り、霊力を纏ったままのジルへ降り注ぐ。
「ジル!?」
また苦しむのではないか。過去に見た記憶がよみがえったルリアージェが抱き着く。しかしジルは粉を浴びても笑みを浮かべていた。苦しむどころか平然と笑みを浮かべる。
「レンに偽物を掴まされたな。アイツが渡すわけない」
そこには信頼に似た絆があった。長い年月を行き過ぎて寿命という概念すら曖昧な傍観者が、死ぬ心配もないのに、魔性相手に駆け引きで負けるはずがない。適当に痛めつけられたフリでもして、偽物を渡せばいいのだから。死神を敵に回して、エアリデに味方する義理はなかった。
赤毛の青年の姿を思い出し、可能な限り力になると言ってくれた言葉が浮かんでくる。ほっとしたルリアージェの腰に手を回し、銀髪にジルが唇を落とした。
「さっきの貸しはチャラにしてやるから、消えろ」
ひらひら手を振って、ラーゼンを追い払う仕草をみせた。苦笑いしたラーゼンが、マリニスを促して転移する。死神の気が変わる前に退散する彼の潔さは、称賛ものだった。
己の領域から撤退した風の魔王の行動は、周囲の魔性達によって広がるだろう。今回の騒動は、死神ジルが風の魔王ラーゼンと火の魔王マリニスを退けた実績となる。その不名誉を被っても、ラーゼンはまったく気に留めないはずだ。
古参の上位魔性達は安易に噂に流されることはない。長く生きたが故に、他者の評価に左右されず本質を見抜く目を養った者ばかりだった。そうでなくては、龍炎のラヴィアや暴風のエアリデのように自滅して残ってないだろう。
ルリアージェの銀髪に接吻けるジルは顔をあげた。
「……んっ」
顎に手をかけて、ルリアージェの頬にキスをしてから唇を重ねる。そっぽを向いて見ていないフリをする4人の耳に、ばさりと羽の音が響いた。ジルの羽音だと思った彼らだが、驚きの声を上げたのはジルだ。
「っ! リア、それ」
焦った響きに4人が顔を向けると……白い羽が広がっていた。ジルの背にある黒い翼はそのままに、ルリアージェの背に白い翼が1対生える。不思議そうにしながら、ルリアージェが自分の背にある翼を見て、腰のあたりの羽を掴んで引っ張った。
「っ、痛……」
1本引き抜いて、痛みに顔をしかめる。幻ではなく、本物らしい。抜いた場所を擦るルリアージェの仕草に、茫然としていたパウリーネが声を漏らした。
「本物?」
「やだ……なんで?」
「リア様は、神族……のはずないですね」
滅亡した神族以外で、背に翼持つ種族の話は存在しない。かつて神は自らに似せて人を作ったという。その神話に基づいて『もっとも神に近い』とされた神族が殺された世界に、翼を背負うのはジルだけのはずだった。
「触れても構いませんか?」
不思議そうにする4人は声をかけてから、そっと翼に触れた。間違いなく鳥の羽の手触りで、動かすルリアージェの背から生えている。信じられないと口々に呟く眷属の前で、ジルは大きく息を吐いた。
「原因は……なんとなく想像がつく」
ジルは苦々しい表情を隠そうともせず、ルリアージェの首に手を触れた。その触れた場所から、痛みが完全に消えていく。霊力による治癒は、喉に残っていた違和感まで消し去った。指跡はもちろん、喉の痛みも炎症もすべて治癒し終えてから自分の翼をしまう。
渦巻いた霊力が消えたことで、魔力の風が収まる。舞い上がる黒髪がジルの背に落ち着いた。膝まで届く長い髪をかき上げる。
「……ありがとう、ジル」
微笑んだルリアージェの声に、何も言えずにジルは膝をついた。崩れるように膝をついた姿勢から、ルリアージェの腹に顔を埋めて強く抱きしめる。腰に回った腕の力の強さに驚きつつ、顔を伏せたジルの黒髪を撫でた。
「どうした?」
頷くだけで何も言わないジルの姿に、3人の眷属はライラを連れて姿を消す。風の魔王の領域である渓谷に作られた洞窟城の奥で、ジルは子供のようにしがみ付いて離れなかった。
「ジル……ジフィールと呼んだらいいのか?」
ジフィールは過去の名だった。今は違うが、ルリアージェがジルと呼ぶならそれが正しい。
「ジルでいい」
勝てる戦いを捨てさせてしまった。そう呟いたルリアージェへ、ようやくジルが顔を上げた。不安そうな表情で「ごめん」と謝る。彼の謝罪の意味がわからなくて、じっと続きを待った。
白い翼を畳んで、首を傾げた。
「ごめん、いつか……ぜんぶ話すけど、オレを許さなくていいから」
ジルが何かを悔いているのが伝わる。内容がわからないまま、ルリアージェはジルを立たせた。目の前で申し訳なさそうにするジルが隠した秘密を暴くのは、簡単だろう。命じれば彼は逆らわない。それでも……いつか話してくれるというなら、待つのも悪くないと思った。
ジルが弱った姿を見せるのは、数えるほどしかいない。自分より高い位置にある頭を撫でながら、自然と口元が緩んだ。信頼されているのだ、私は。
ライラが教えてくれた話の中に、ジルは絶対に自分の過去を口にしないとあった。己の過去を探ったり他人に話そうとする存在を許さず、すべて殺してしまうほど憎んだ話も……それは殺伐とした己の生きざまを恥じたのではなく、自分自身を嫌っていたため。
大嫌いな自分を否定するジルが、ようやく自らを許して話してくれた相手が私だとしたら――なんて幸運だろう。主に選ばれたこと以上に、彼の心を捧げられた事実に胸は躍った。だから、どんな話でも受け入れられる。
心で感情が整理されたら、ジルは隠さずに教えてくれるだろう。その時に彼の隣に自分がいればいいだけ。許されないと決めつけて嘆く男を、許したいと思った。
「いつか話してくれればいい。ジルは私の隣にいるのだろう?」
自分を捨てた家族と違い、いつまでも傍にいると言った。その心を信じるから、悩み、選ぶ必要はない。これからも続くはずの日々だけでなく、過去さえ愛しいと感じる。
魔王すら退ける男に求められる自覚が芽生え、ルリアージェの心を浮足立たせた。
「愛して、いいのか」
「愛して愛されるのに、資格なんていらないと思うぞ」
くすくす笑ったルリアージェが両手を広げて、首をかしげる。待つ姿勢を見せた美女は、ぎこちなく微笑んだ死神の腕に飛び込んだ。
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第一部完
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ここで第一部終了となります。
今月中に再開予定ですが、少しお時間をください(o´-ω-)o)ペコッ
いつもお読みいただき、ありがとうございます(o´-ω-)o)ペコッ
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