第88話 愚か者は裏切り躍る
「……渡すな、マリニス。その女を…っ、ごほっ…押さえて、おけば、勝てる…っ、のだぞ?」
溢れた血に溺れかけたラーゼンの発言に、マリニスは首を横に振った。水の魔王トルカーネが散った今、最古の魔王はラーゼンだ。長く生きた男が自分に執着した理由は知らないが、最初は若い魔王への好奇心だったのだろう。
興味が執着へ変化し、いつの間にか固執にまで進化した。大切に守られる居心地の良さに甘えたが、マリニスだとて火の魔王の名を受け継ぐ男だ。いつまでも繭に包まれ、微温湯に浸って逃げていられるわけがない。
「死神ジフィール、この女を返せば手を引くか?」
「……お前、何か勘違いしていないか?」
眉をひそめたジルが不機嫌そうに吐き捨てる。霊力と魔力が互いを喰らい合いながら、ジルの周囲で渦を巻いていた。巻き込まれた黒髪がぶわりと風をはらみ、広げられた黒い翼が威圧するように羽ばたく。
「新参者の魔王ごときが、オレと対等の取引が出来るとでも?」
右手首から垂れる血がぼんやりと光を放ち、足元に血の魔方陣を描く。この時間を稼ぐために、マリニスと無駄な話をしたのだ。流した魔力文字に神族の血を注ぎ、高めた霊力で固定した。にやりと口角を持ち上げたジルの背後に、3人が召喚される。
「お待たせいたしました、我が君」
「多少苦戦されたみたいですね」
リシュアとリオネルは膝をついて、ジルの衣の裾に接吻けた。少し離れた位置で新たな魔方陣を用意するパウリーネが、城に用意した氷球を呼ぶ通り道を開く。一気に周囲の温度が下がり、冷たい風がパウリーネの足元から吹きだした。
作った大量の氷は魔力ある限り溶けることはない。この氷の結界をターゲットの周囲に置くことで、最上級魔術を使う手筈が整うのだ。
「いつでも構いませんわ」
「やれ」
氷球で魔方陣を描く水虎を従えるパウリーネへ、ジルは攻撃の指示を出した。まだルリアージェを人質に取っているマリニスは慌てて炎の結界を張る。ルリアージェを閉じ込めた球体を引き寄せて盾にしようとした彼の手は、空をかいた。
驚愕の表情で視線を向けたマリニスの腕を、緑の光が切り裂く。ずたずたになった腕を引き寄せたマリニスの前に、ブラウンの髪の女が立っていた。まろやかな曲線美を誇る肢体は緑の衣をまとい、同色の瞳はとろりと垂れて蠱惑的だ。足元に引きずるほど長い茶髪が、まるで生き物のように蠢いた。
「誰だ、貴様っ! 死神の眷属か」
「ライラ!」
見たことがない大人の姿で現れても、ルリアージェは惑わされない。どうしたのかと問う響きを滲ませながらも、迷うことなく名を呼んだ。
にっこり笑った女性は裾の長いロングドレスを捌いて、奪い取った球体を抱きしめる。両手から放たれる癒しの緑が絡みつき、蔦は球体を覆いつくした。ぴしっと乾いた音が響いたあと、球体は割れて砕ける。
破片を浴びないよう自らに『白天の盾』を施したルリアージェが、蒼い瞳を輝かせてライラに抱き着いた。少女の姿と違い、抱き合うと視線が近い。本体である子供の身体を脱ぎ捨てたライラは、精霊としてこの場にいた。
どんな場所でも入り込める精霊の特性を利用し、ルリアージェの居場所を探しあてたのだ。本体は氷の棺に納められ、滅多なものの侵入を許さない死神の黒城に保管された。これ以上安全な場所はなかなかない。そのため本体を傷つけられる心配なしに、ライラは動き回っていた。
「よくわかったわね、リア」
「間違うはずがない」
言い切ったルリアージェを引き寄せたライラの周りに、緑色の蔦が結界を作り出す。触れる敵を排除し、魔力尽きるまで侵入を防ぐ鉄壁の守りだった。魔性殺しのアズライルの刃であっても苦戦するほど、堅固な守りの中で、ライラはマリニスへ微笑んだ。
「死神の眷属ではなくて、リアの眷属よ。失礼な火の魔王さん」
ライラが言い終わった瞬間、リオネルが白炎でマリニスを覆い隠した。火の魔王マリニスに扱えない最上級の白炎が退路を断つ。手札を奪われ囚われたマリニスに、容赦なくパウリーネの氷球が襲い掛かる。咄嗟に結界で防ぐが、こらえきれずに膝をつく。
火の魔王マリニスの欠点は、冷気だ。通常の冷気ではなく、氷静のパウリーネが操る最上級魔術である『凍獄』がマリニスを覆った。炎のような魔力が萎んでいく。身動きできなくて、息苦しさにマリニスの顔が歪んだ。真っ赤な髪が顔を覆う。
「…ジフィー、ルっ……、取引、を……ないか?」
「うん? 何を」
圧倒的に有利な立場のジルに対し、どんな取引を持ち掛けるのか。ラーゼンの声に首をかしげて続きを待った。
「……あの、女の命、と……っきか、え」
「何か仕掛けたか?! ライラ!!」
ルリアージェの命と引き換えと聞いた時点で、ライラの名を呼ぶ。反応したライラの手を、ルリアージェが振り払った。本人の意思でないのは、彼女の表情でわかる。身体が操られる不気味な感覚に、美女は叫んだ。
「私に近づくな。何をするか、わからない!」
「リアを放り出せるはずないでしょ!」
たとえ長い己の生命に終止符を打つことになっても、魔力や霊力が吹き荒れる外へ放り出すなんて出来ない。この結界は敵を排除するまで解かないと強く願いながら、ライラは蔦に命じた。この命が尽きても、魔力が残る限り結界を解かぬように……と。
ルリアージェの手が震えながら持ち上がり、己の首にかかった。指先が赤くなるほど力を込めて自らを絞める。人は自分の首を絞めても意識がなくなった時点で手が緩むものだ。しかし操られた身体は、確実に死ぬまで絞め続けるだろう。
最愛の存在を失ってしまう――ジルの表情が歪んだ。
「ちっ……わかった。お前を見逃せばいいのか?」
「……リニ、スを」
「ダメだ! ラーゼン!!」
もっとも苦手とする冷気に苦しめられながら、マリニスが白炎の中で叫ぶ。一瞬宙を睨んだジルがひらりと手を振った。
主の合図で、パウリーネは氷を水に変えて流す。リオネルも白炎を消し去った。補助に徹していたリシュアも魔力を散らせる。
攻撃の解除を命じたジルの意思を汲んで、誰もが引き下がった。悔しそうな顔をする者はなく、不安そうにライラの緑の蔦を見つめる。解けていく蔦の中から、ライラに支えられたルリアージェの銀髪が覗いた。
咳き込んでいるが、もう自分の首を絞める手は自由になっている。急いでルリアージェの隣に転移したジルが、心配そうに眉根を寄せた。首についた指の跡を治癒して抱きしめる。奪われたライラが肩を竦めた。
「両方とも助けてやる。貸し1だぞ、ラーゼン」
忌々しいが、彼らが互いを庇う姿にルリアージェを想う自分が重なった。左手で触れてアズライルを消すと、首の傷を撫でて治したラーゼンが立ち上がる。
「姫君を苦しめたことは詫びよう。この借りはいつでも返す」
ラーゼンがルリアージェに寄り添うジルに頭を下げた。ぶわりと大きな風が巻き起こり、風の渓谷の気流が乱れる。
「風の魔王ともあろうお方が、なんてざまだ」
吐き捨てるように声を上げたのは、暴風のエアリデだった。彼の手に握られた白い粉に、ジルが口元を緩める。挑発するように、3人に合図を送った。
「愚か者と弱い奴ほどよく吠える」
最初に動いたのは好戦的なリオネルだ。青白い炎を風の螺旋に乗せて、エアリデへ送り込む。叩きつける暴風で防ごうとしたエアリデの反応は早かったが、風を操る能力ではリシュアの方が上手だった。
「この程度の実力でケンカを売ったのですか」
さらに挑発する2人の後ろで、パウリーネが眉をひそめた。
「やだ、私の出番がなくなっちゃう」
鋭く尖らせた氷の矢を大量に作り出し、エアリデの周囲に散らせる。どこからでも狙えるよう、数百本の矢を一瞬で作りだした。逃げ場を奪った死神の眷属達が包囲網を狭めていく。リオネルの口角が持ち上がった。
「どうやって死にたいですか?」
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